【言の葉の道】92


今まで、主観(母音・ア行)と客観(半母音・ワ行)を題材にしてきました。そして、主観は『する・仕掛ける・して上げる』、客観『してもらう・仕掛けてもらう・してもらう』ということも同時に言ってきました。

何か出来上がったように感じますが、これだけだと外国語(英語)の対立でしかありません。特に、客観の『してもらう』という立場は、常に受け身であるのですが、現実はどうかというと、客観「objective
」の方が、どちらというと、主観「subjective 」より、公正・公平のように扱われているように思います。

従って、日本語の会議や報告であっても、「客観」が優先されているように思います。しかし、外国語(英語)ではそうであっても、日本語では何かしっくりと行かない感じが関係者に残ります。

よく聞くことで、「もっと、他にも言い方や表現があるだろう?」。これは、しっくりいっていないことの表れです。何故か?

日本語、【言霊】には『父韻』(ふいん)と呼ばれる主観(ア行)と客観(ワ行)を結ぶ役割のものがあるからです。

鳥居⛩️の横柱を想像してもらうと、わかりやすいかも知れません。鳥居の様に二段ではありませんが、主観(ア行)と客観(ワ行)を繋ぐ役割です。

ただ、繋ぐだけではなく、この「繋ぐ」によって32の子音(しいん)を生み出します。

この構造が、【言霊】日本語の仕掛けにある為、上記の単純な主観と客観に対して、違和感を覚えるのではないかと投稿者は解釈しています。

【言の葉の道】91


よく聞いたり、言われたりする言葉で「主観で言うな。」「客観的に見てどうかなんだ。」「主観が入っている。」「客観的データはどうなんだ?」

きっと心当たりがあると思います。

最初の疑問は、どうして主観ではダメなのか?主観がなければ、どうやって会話なり、議論なりが構成できるのか?です。

恐らく、主観で話している人個人の考えだとの決めつけがあるのかも知れません。そんな個人の意見は、議論、例えば、会社内部の何かを判断するため、あるいは、方向を決めて行く、そういう公的な場にふさわしくない、のでしょう。

短く言えば、公の場所に個人が出てくるなということなんでしょう。

一方で、これは主観ではなく、客観的データです。あるいは、客観的に見た時の大勢の意見です。

上の例で行くと、会社内部の議論は客観的なデータや大勢の意見をベースに行われるものだとの「主観的意見」なのです。

「歌」の例を投稿していますが、客観というのは、歌詞をみんなで眺めているとも言えます。何も進みません。誰かが歌うと初めて、そうだったのかとなりますが、まだ、客観なのです。そこからは、何も生まれてこないのです。『客観とは、何かをしてもらう』という意味で、立場なのです。

この場合、歌うという行為が主観である歌っている人の解釈、雰囲気などが「歌うーー>してあげる」
を通して、明らかになってくるわけです。

『客観-->してもらう』『主観ーー>してあげる』が混線しているのが、今の議論なのかも知れません。

この『主観』『客観』は【言霊】の『仕掛け』の「核」の一つかも知れません。

【言の葉の道】90


真面目少し【言霊】について

【言霊】に接すると、「神名」(しんめい・神の名)が出てきます。基本、『古事記』の解釈なので、何を解説するにも、「神名」がつきまといます。それを、内容が「神」の言葉、あるいは、「神」に関することだからと思ってしまい、その「神」の『仕掛け・仕組み』にこそ意味があることを見逃しがちです。但し、「神名」の真偽を投稿者は指しているわけではありません。

「名付け」を担当する神(個人であったり、集団であったりします)が存在する様に、何であれ、『名』というものがついています。

大切なことは、現代の一般人がその「神名」の由来を辿るよりも、「神名」の名のもとにまとめられていること、『仕掛け』を理解して、その理解がたとえ浅くとも、現実に使ってみることです。

巷には色々な説がありますが、そのどれがどうという前に、由来が明治天皇で誰を通じて広がっているのが明確な【言霊百神】小笠原孝治氏を解説書にして、『古事記』に直接あたる方が、初めは理解が浅くとも、解説とする【言霊百神】を通して、【言霊】に近いていけます。小笠原孝治氏は、著作【言霊百神】の中で、自分の理解を自分個人の中に閉じ込めておくのではなく、理解している部分からたとえ浅くとも人に広めていくことを推奨されています。

例えば、『仕掛け・仕組み』というような解説は、【言霊百神】には出てきません。運用という意味で仕組みが使われていることはあると思います。

つまり、『仕掛け・仕組み』というのは、投稿者のやり方です。その方が「先天十七神」、父韻の変化や役割等というよりも、最初は理解しやすいからです。

この『仕掛け・仕組み』という枠組みがきっちり身についてから、個々の【言霊音】に由来する「神名」とそれにまつわることに取り組んでもいいのではないかと思っています。

【言霊】の伝えたいのは、崇める(あがめる)のではなくて、主観・客観(陰陽)、父韻が動いて子音ができ、その結果何が起きてくるのか?など、今の世でも【言霊】は、身近に使える、解き明かすことができる『仕掛け・仕組み』であることです。

くどいようですが、神話や神の崇めるお言葉集を否定するわけではありませんが、【言霊】は日本語の素であり、すべての人が使える『仕掛け・仕組み』集です。

『器』や『歌』は、主観・客観の例で、重要です。
また、『味』は規模の小さな企業組織や集まりに【言霊】の視点を持ち込む例として、使えるのではないでしょうか?

これらは、投稿者の解釈です。