【言霊 備忘録3】24 無限特別重要


【業の相続と錯乱】4

「だが一方、天皇の神性放棄の結果、三千年来日本天皇家が継承把持して居た秘宝である布斗麻邇三種の神器のタブーが解禁されて、その実質を全人類の前に自由に公開して差し支えない事となった。事実、本書に見る如く、その公開が自由に可能である機運が招来された。「摩尼宝珠」「不老不死(天壌無窮万世一系)の仙薬」と渇仰された天皇家の形而上の秘宝が、一転して人類共通の財産となった。此の事は、神性放棄と云う一見悲しむべき事実の半面に於ける絶大なるメリットである。神器継承把持のに責任者である天皇にして初めて、これを放棄して世界人類共有共通の形而上の財産に転換する事が叶ったのである。神性放棄は即ち神性開放である。戦後三十余年、日本の上下を挙げて、未だに天皇が放棄したものの価値の絶大さを知らない。それは「価値は三千大千世界なり。」(提婆達多品)(だいばだったほん)と云われる摩尼宝珠である。」
<---解説1 神性放棄の結果

「今日、全人類が渇仰するロゴスである高天原の本質構成原理は、現在市井(しせい)に住む年老いた学徒によって奉戴開顕され、すなわち日本人によって、日本の国の中に、日本語(大和言葉)を以て護持されて居る。「天壌無窮の天津日嗣」とは、「天地の過ぎ往かぬうちに、律法の一点、一画も廃ることなく、ことごとく全うせらるべし。」(新約 マタイ伝第五章)と云われるものである。ヨハネ伝第一章のロゴス(言葉)を求め、法華経方便品の「妙法蓮華、仏所護念」である「言辞の相」すなわち「一切諸仏所護念経」(阿弥陀経)の真理を求める世界人は、このこの日本に来て親しくこの人類のに至宝を伝授されるがよい。黙示録第二十二章の約束に従って、何人と雖(いえど)も「値なくして」(無料で)これを得られるであろう。」
<---解説2 高天原の本質構成原理

「天皇陛下万歳」と云う言葉は、神代以来「あまつひつぎすめらみこと」に捧げられた祝福の辞である。これを人間天皇、象徴天皇に対する辞として用いても、世界人には何の反応も起こらない。世界に通用しない。人間天皇、象徴天皇は、皇位継承の天璽(あまつみしるし)としての布斗麻邇三種の神器である天壌無窮、万世一系の生命の律法を持って居ないからである。戦争が終わって死んで帰って来た靖国の英霊は、帰るべき所、永遠に服(まつ)ろうべき目標を失って、未だに中有を彷徨して居る。靖国神社から、選択本願の対象であるべき天津日嗣天皇と云う本尊が消えてしまった。」
<---解説3 人間天皇 象徴天皇の持っていないもの

「言霊開眼[新装版]小笠原孝次著 七沢賢治監修
和器出版」

【言霊 備忘録3】23 無限特別重要


【業の相続と錯乱】3

「今日の世界の様相は、業が長い歴史を経過して因果流転、輪廻倒錯を幾重にも繰返して来た挙げ句の果てである。「不落因果、不昧因果」(無門関 第二則)が説かれたが、どうすれば不落因果であるか、どうすれば不昧因果で有り得るか、思索修練を経た「大修行底の人」(無門関 第二則)でも、識別は殆どと云うよりは全く不可能になって居る。因果(業)の催しは貴賤上下学識の如何を問わない。生老病死の四苦が、社会的に地位階級に拘わらぬことと同様である。」
<---解説1 世界の様相

「日本では、川端康成氏でも、三島由紀夫識別でも、遂にその終わりを自ら縮めざるを得ない破目に追い込まれた。『美しい日本のに私』に見る如く、芭蕉と道元と親鸞を学び尽し行じ尽して居る川端氏にも、現代の日本並びに世界の思想界に住んで居る限り、生命の律法は釈き得ない。今の日本には、そして世界には、芭蕉と親鸞の超えて、更に聖書と経文に示されたモーゼと、イエスと、釈迦牟尼仏の教理を超えて、更に高く深い境域に登り得る梯子がない。」
<---解説2 境域に登る

「日本の従来の右翼如く誠意を傾けて天皇に忠節を尽し、その意義を明らかにする為に現代の世界の思惟方法の範囲内での渾身の努力を傾けても、その真剣さは却って逆効果を斎(もた)らす。その理由は、前述の如く歴史的には神武維新に於いて神秘の布斗麻邇政治が逆維新せられて、日本は自由覇道主義の時代に入ったからである。この思惟方法の変化は崇神天皇(すじんてんのう)の時、更に強調せられて三種の神器(言霊布斗麻邇)の同床共殿が廃止されて、伊勢(笠繍邑)(かさぬいむら)神宮の奥深くに秘蔵された。天皇は神代の「天津日嗣天皇」(あまつひつぎすめらみこと)(ロゴスの継承者、言葉の統御椎茸)(ことばのすめらしゃ)として、神器を把持施行する者である実質を喪失して、単なる名目上の天皇、云わば民族の無形の宗教の御本尊としてだけの形態になった。明治憲法にあっては「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス 天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」と僅かにその神道上の意義を冒頭に掲げてあるが、昭和憲法に於いては天皇はみずからの神性(ロゴスの権威)を放棄して、「国民統合の象徴」と云う哲学者(西田幾多郎氏等)がでっち上げた実体の無い概念になった。神性放棄の宣言では、天津日嗣残り伝統を架空の神話と嘲笑したが、国民統合の象徴などと云うことこそ却って架空の概念である。」
<---解説3 天皇 無限特別重要

「ここの所を重ねて説こう。天壌無窮万世一系の天津日嗣の高御座(たかみくら)(天皇の神性)は、人皇百二十四代に至って空虚な神話と目されて放棄された。この放棄の宣言(詔勅)(しょうちょく)は「綸言汗の如し」(りんげんあせのごとし)(漢書)で、天皇自身取消すことが出来ない。日本の政府、議会、裁判所にはこの宣言を取消す機能(権限)がない。それは人為によらず、天照大御神の神勅、すなわちロゴスみずからの権威によって設定されたものであるからである。」
<---解説4 天照大御神の神勅

「言霊開眼[新装版]小笠原孝次著 七沢賢治監修
和器出版」





【言霊 備忘録3】22


【業の相続と錯乱】2

「文明を帰納する道に二筋がある。一つは此の人類文明が創造された、その始原の創造原理である、生命のロゴスに帰一することである。文明の創造原理は、他に求めても得られない。それは常に今此処(中今)に存在して居る人間の生命の合理性、すなわち「生命の光」である言葉は存するのであるから、紛糾を重ねて果てしない理論や政策を一思いにすべて還元揚棄して、出発点の「中今」に帰ることである。「『出て行かれる道は一つしかない。』『というのは?』『それはお前さんのここへ来た道だ。』」(芥川龍之介 『河童』)。学生時代の筆者が『改造』の誌面にこの一節を読んだ時、愕然とした事を今も覚えて居る。」
<---解説1 帰納への二つの道

「文明を帰納する第二の道は、此処まで来たところの歴史(経歴 因縁)を遡って、その歴史の出発点、淵源に帰ることである。宗教的に云うならば、その因縁因果、業のに流転倒錯を、とことんまで反省する事であり、更に神秘的に云うならば、霊(みたま)の輪廻相続の来し方を省みて、その倒錯が始まる以前の清浄な状態に還元することである。日本では、三千年むかしまでは連綿と続いた神代の皇朝の布斗麻邇政治が廃止され、神倭磐余彦(神武)皇朝の自由主義覇道政治時代となった時から、倒錯分裂対立が始まった。文明の淵源、文明の出発点を創世記のアダムとイヴに置くならば、そのアダムとイヴがロゴスの殿堂(範疇)であるエデンを放逐されて、すなわちみずからその生命のロゴスを捨てて、その生命の知恵を忘れたことである。「原罪」が発生した時が、人類の業(カルマ)が発生した時である。その二つの事柄に関し、このロゴスの原理の紹介と歴史の流れの道筋に就いて、今まで拙著『第三文明への通路』『言霊百神』『大祓祝詞解義』『世界維新の進発』『言霊精義』等の中で縷々(るる)説き続けて来た。」
<---解説2 歴史の淵源に戻る

「混乱を避けるために、ロゴスと歴史を二つに分けて考えて来たが、両者は実は一つのものである。歴史を遡った人類の業の淵源は、今此処(中今)に存する生命の律法である。「無量劫の事即ち如今。」(無門関 第四十七則)と云われるが、無量劫の歴史因縁を遡って始原に還り得た所は、今此処に居る人間の中に、それより高次元の領域に展開組織されて居る。生命の全局の原理である。この原理の存在場所を、すなわちその原理そのものを、高天原、天国、パラダイス、エデンの園、仏国土、極楽と云う。その高天原の世界は、アオウエ四智のみを空しく操作して居る現代の人類の知性から一歩次元を超越した、第五次元イの世界に位する布斗麻邇、すなわちイ言霊の最上階の領域である。業の淵源出発点を極め得られない。個体発生(ロゴス)と、系統発生(歴史)の双つ乍らの共通の淵源は「中今」にある。」
<---解説3 歴史とロゴスは一つ

「言霊開眼[新装版]小笠原孝次著 七沢賢治監修
和器出版」