遥か30年も前の太古の昔話だが、剣崎は立身出世の夢を追い求めて、剣崎は自身の立身出世の夢を追い求めて、東京都世田谷区で小田急沿線の梅ヶ丘駅に近い松原にある古いアパートに引っ越した。
彼の地元は新潟で、上越新幹線で2時間くらいかけて東京駅に到着した。26才になった剣崎にとって、これが都会に初めて巣立った最初の旅立ちの日だった。
「JRで渋谷まで行きたいのですが、ホームはどちらの方向になりますか?」
剣崎は、JRのみどりの窓口に腰を掛けて対応していた女性の案内係に電車の路線を訪ねた。
「あちら右手の改札を抜けまして、階段を降りたところに山手線内回りという大きな掲示板がありますので、その先の階段を下りて右手のホームになります。」
係員は丁寧に説明した。彼は、
「どうもありがとうございます。」
彼はお礼だけを軽くいってその場を立ち去ろうとした。だが早い時間に到着できたし、土曜日で仕事もしていなかったので、特に急ぐ必要もなかった。右も左もわからない田舎からやってきた20代の若造にとって、係員の女性はとても物腰柔らかく、世話好きなお姉さんに映ったので、まるで小さな子供が年の離れたお姉さんに甘えるかのように、彼は自分が今どんな思いでこの都会にやってきたかを少しでも気持ちを共有したくなった。
「実は今日、世田谷に引っ越しに来たんですよ、大した荷物も持ってなくて、いやただそれだけを言いたくて、、ありがとうございました!」
女性は
「そうなんですね、それはそれはすごいことですね!頑張ってください!」
とねぎらいの事がをかけて下さった。剣崎は東京に来て最初に声をかけたお相手が、最上のねぎらいの言葉を頂いたことに、それがたとえ社交辞令であっても、嬉しくなった。
「荷物はこれだけで、後は引越しで送ってあるんです!それじゃあ、ありがとう!」
自分の持っている荷物を指さし、みたびお礼を言った後、彼女から視線を一切外さず、満面の笑みをたたえながら、手を振り続けていた。行く先を見ずにずっと後ろを向いていたので、あふれかえる東京駅の人波にぶつかりそうになった。それからはフッと我に返り、小走りに気持ちが高揚し、心が躍り彼はそのまま駆け足で目的のホームに向かった。
電車を渋谷駅で乗り継ぎ、梅ヶ丘駅に到着してからも、ポケット地図を片手に、道に迷いながらも時には道行く人に案内していただいた。そして駅を降りてから1時間後、ようやく新天地の拠点にたどり着いた。入り口の塀には「宇都木荘」と書かれてあった。
新生活となる拠点となる部屋の中に入る。伽藍とした6畳の部屋の中、畳のイグサの香りをクンクンとかぎ、それからあおむけとなって天井を見上げ、明るい日差しが差し込む部屋の中で、剣崎はそっと耳を澄ませた。少し離れた国道で車の音が軽く響くくらいで、思ったより静かな環境だった。

しばらくして、引っ越し業者がやってきて、荷物を受け取り搬入した。一通り業者から送られてきた段ボール箱は20箱、自転車一台、組み外した三段ボックス、冷蔵庫、洗濯機などもろもろを室内に搬入し終わってほっと一息ついた。
剣崎は、ほっと一息つきたくて、近くの公園にある自販機まで歩き、部屋に戻り、買った缶コーヒーをゆっくり味わい、感慨に浸っていた。珈琲を飲み干すと、これからお世話になる大家さんに挨拶に伺った。大家さんは塀の隣の木造二階建てに住んでいた。門扉のインターホンを押すと、中からいかにも大家さんらしい60前後の年配の男性が出てきた。
「今日101号室に引っ越しに来して住むことになりました、剣崎と言います。これからお世話になります。今後ともよろしくお願いします。」
と大家さんに言うと、
「ああ、今日からでしたね。剣崎さん!こちらこそよろしくお願いしますね。何かアパートで壊れたとか、困ったことがあったら何でも相談してください。」
と気さくに話しかけてきて、顔合わせの挨拶を終えた。
剣崎は部屋に戻って、再び畳であおむけになり、天井を見つめた。これまでの人生どれだけの息苦しさ、生きづらさを感じたこととか。家族関係、職場での人間関係、地縁血縁、一切合切が苦しかった。心ここにあらず、ここではないどこかに魂がさまよい続けていた。それが今、ようやく解き放れたのだ。
「ああ、これで自由の身なんだ。ここから俺の人生が始まる。さあ一旗揚げてやろうか!」