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9 rats circuit

シンガーソングライター
9MA blog!!





以前から決まっていたことですが、昨日で職場を退職致しました。

お店に遊びに来てくださったバンド関係者の皆さん、わざわざ最期の電話をくださったクライアント様、
短い間でしたがありがとうございました。

しかし、昨日の集中豪雨は戸田市だけか!?

実は昨日の仕事で、いちばん恐れていたのが雨だったんです。
小雨で終わってホッとしていた瞬間の、最後のフィナーレで超集中豪雨・・・
まるで作られたドラマのような事って本当にあるんですね。

神様がいたとしたら、『コレ、思い出としてとっときなよ』といわんばかりの雨のプレゼント。

だとしたらずいぶん手荒な神様に
笑っちゃうぐらいに感謝です。


真っ直ぐに仕事してきて 間違ってなかったんだという
夜空からの解答を得た気がする。


損得の価値観ではなく、人間対人間の関係をこれからも・・・













確か小学校3年の春ぐらい!?まだ大阪に住んでいた頃にエレクトーンを習っていたが、発表会の課題曲のこの曲を、俺だけ弾けなかったので先生の苦渋の判断でグループ演奏のボーカルに抜擢された。

たぶん発表会としてはボーカルは無いものとして、教室のクラス全員でインストでやりたかったのだと思うが、演奏がまるで出来ない俺への配慮だと思う。

当時の先生は厳しくて怖かったが、授業はサボるは演奏はヘタだわの俺に対してなぜか優しかった。

本番はボーカルとしてステージ中央に立つのが嫌で、もうちょっと前に出なさいと先生に合図された。

てか歌詞もロクに覚えなかったのでカンペみたいなのを他の先生が俺に見えるように持っていてくれてた気がする。


1985年、世間はグリコ森永事件で物騒な世の中という認識を小学校低学年の僕たちはお菓子を買う際に包装が怪しくないか確認したり、みんな事件の怖さを認識していた。
しかも僕の住んでいた場所は茨木市なのであの事件は他人事ではなかった。

その数か月あとは日航機墜落事故があり、飛行機で関東に引っ越すか否か予定を立てていたウチの家族は電車で関東に引っ越すこととなる。


大阪時代で最も強烈に残っている場面のひとつである。





昨日の朝、ラジオで大野勢太郎さんが【適正価格】という事を言っていた。



小林克也さんのような一流は 高いんだと。



なるほどと思った。



今の俺の給料は、確かに身分相応の適正価格だと。


正直、環境のせいにしていた。


まず今の環境で、周りを頷かせてみろと言われているようだった。


その上で次のステージに行くなら それは自由で。


70歳まで現役でいるなら、仕事も音楽活動も、焦る事は無いか。


遅咲きで身分相応、今は今の給料の中でやりくりするのが使命というところか。


音楽活動がやりたいのに 何故か出来ない環境に疑問を感じていたが、たぶん その時期ではないと天が判断しての事だろう。


運命とは!?とかあまり考えるのも良くないのかもしれない。
でも今の職場や住んでる土地に、何かの縁で呼ばれて此処に自分が存在するんだろうな~とか、いつも思っている。


とりあえず、目指すは小林克也さんだな(笑)