9 rats circuit

9 rats circuit

シンガーソングライター
9MA blog!!

9MA blog!!
朝、靴を履く前に少しだけ時間がかかるようになった。


立ち上がった瞬間、足の裏に意識を向ける。



今日も問題なく動けるかどうか。
確認するのは、それだけだ。



三十代は営業職に多くの時間を使った。

小さな会社が多く、職場は落ち着かなかった。



四十代に入ってからは、飲食の現場に長く立つようになった。

立ち仕事、対人対応、時間に追われる毎日。



職種は変わっても、余裕がないという点は変わらなかった。




いつからか、身体の異変、バイオリズムが先に変わり始めた。


手足に残る感覚、言葉が出るまでのわずかな間。
   


以前なら一瞬で済んだ動作に、微妙な遅れが生まれる。

足首の硬直により、歩く速度も落ちた。


無理はできるが、無理が残る。
そういう種類の疲れを、初めて知った。



不思議と、強い焦りはなかった。


むしろここまでよく動いてきた、という感覚の方が先にあった。



体は、ずっと正確だったのかもしれない。
限界を越えない場所で、静かに知らせていただけだ。



もうすぐ四十代が終わる。
何かを成し遂げたという実感はない。

ただ、まだ立っている。歩けている。
それだけで、今日は十分だと思っている。


私は変わらず櫻庭露樹氏が提唱されている様に、40代からの【減らす】人生 を全うし続けようと思う。

現在の自分(KUMAKAWA)を形成する3要素をご紹介いたします🙇‍♂️


黯(あん):孤独の化身

20年間、誰にも呼ばれなかった声がある。
20年間、見られることも、触れられることもなかった自分がいる。

今夜、封印を解く。
黯(あん)――孤独の名を持つ者よ、出でよ。

黒い部屋の隅で待っていたお前と、ついに私は向き合う。

※これは俺の、祈りであり呪いである。

劫(ごう):怒りと搾取の鬼

与えられた時間、削られた命、奪われた尊厳。
あの職場、あの上司、あの“沈黙”。

笑っていたが、奥底では私の心は燃えていた。

今こそ呼ぼう。
劫(ごう)――怒りを燃料に生まれた者よ、出よ。

拳を握る。声を上げる。俺はもう沈黙しない。


燼(じん):表現の炎・芸術の鬼

声を殺した20年。
歌えなかった日々。

それでも、歌いたいと願った夜が何度もあった。

今、火を灯す。
燼(じん)――魂の灰から立ち上がる者よ、舞え。

この声は、私の過去を焼き尽くすためにある。


黯(あん)——孤独
劫(ごう)——怒りと搾取
燼(じん)——芸術の渇望

この3柱は、私の中に棲む“見捨てられた自分”と言う意味合いです。


私は、彼らを“演じる”ことで、人生の封印を解く。

NGO ジャパンホープ代表の服部が亡くなった事を最近ネットで知って、インスタ等で情報を求めたが誰からの反応も無く、さらにネットで調べたら倒れたのは2021年12月2日との事でした。



3年半も経ってますが私と服部は連絡取らない期間が3年を超える事は普通にあったので、タイムリーに知らなかった事による特段の感情はありませんが、最後に電話した事は覚えている。



恐らく2020年初頭あたりか2019年の12月か、当時私は香川県に住んでおり、服部が四国入りする予定があるとの事で、タイミングが合えば高松あたりで落ち合おうと話した電話。



そして、スケジュールが合わなかったらまた日本のどっかで会おうと約束した電話だった。



彼はいつも、うまくいかない私の人生を危惧して、色々と誘ってくれたりした。



彼がやっている被災地復興支援活動の関係でバンド関係の方との交流も広く、大きなフェスに招待されたので一緒に行かない?とか、私なんかがその様な形で入場するのは畏れ多いようなイベントやバンドのライブに度々誘ってくれたりもして、今となっては何の音楽活動もしていない俺なんかの事を気にかけてくれていた。






この写メは2013年あたり、北戸田駅付近の居酒屋にて服部と。


私はSNSなどには、何か理由があって過去の自身の画像を投稿する事はありますが、一定期間が経過したらいつも削除することにしています。


大昔のバンド時代の自身の画像をいつまでも残すのは意味がない、前進したいという思いからです。


最近ではYouTubeに上げた過去のバンドの楽曲もアカウントごと削除してしまいましたが、新しいアプローチをしたいので、これで良いかなと。



この画像は服部と一緒に写っている唯一残っている画像なので、しばらく消さずにこのままにしておきます。私みたいに、これから服部の事を知る方もいるかもしれないので。


ジャパンホープ 服部浩之 で誰もが検索ヒットする様に。



私におきましては新曲、今までの9MAという名の活動ではなく新しいアプローチこそが私の生き甲斐というか生きていくテーマであるので、精神的に整えて、発表できるように生き抜くことが大事。



ジャンルがどうとか、どっかの界隈に評価されたいとかは特に無く、自分の芸術を自分でどこまで高められるか、という事に注力していければ。あとは健康でいる様に。


期限を決めて動き出せる様、日々を丁寧に生きていきます。


あと服部のお墓など知ってる方おられましたら教えて頂ければ幸いです🙇‍♂️












こちらのブログ1年放置しておりました😅


いゃああ一年て長いようでアッと言う間、諸般の事情で(笑) 音楽活動はあれから頓挫しており、六道四生の順逆の境を息も絶へ々へに張ひ付くばり、なんとか2025年4月を迎えた次第です。


少しずつ活動再開に向けて、今風の言葉で現しますと、整えていく次第でございますので何卒よろしくお願い致します🙇🗼

四年ぶりです🙇

本日47歳になりました9MAです🙇

今年からソロ活動やっとスタートしました!アメブロもぼちぼち再開しますのでよろしくお願い致します🙇

昨日は一年ぶりくらいに丸一日、店舗に行かない休日をいただいた。ずっと家にいて、疲労が抜けずに何もできませんでしたが、睡眠を取り、充電。

BOOWYのLAST GIGSの19870404のCDを初めて聴いたが、それまでに発売されていた4月4日、5日の合体したものとはかなり違う印象、この日のみで聴くとすごいラフな演奏で安心感をおぼえる。marionetteイントロでの氷室の煽りとか、ギターのミスが多かったり、LASTGIGSの音源でこの日の演奏が少ないのも商品としては頷けるがコアなファンにとってはリアリティーがあり、たまらなくカッコ良い。ピストルズに例えるとチェルムスフォードプリズンのライブ音源といったところか。

1987年、私は小学校5年で、LASTGIGSのCDアルバム発売によりBOOWYを知ることになる。解散後という、あらかじめ失われたヒーローだった。まるで日本におけるブルース・リーのように。

ふと当時の自身の事を思い出す。

そして 記憶から消していた、とある事柄を30年ぶりに思い出した。

きっと30年間、思い出さなくても良い事柄であり、いま思い出した事は、まるでタイムカプセルを開けたような気分で、やっと笑える、思い出になったのだなと。30年かかった。

50歳になったらお酒を辞めたいと思っていたけど昨年、とある出来事により断酒せざるを得なく、予定より7年も早まってしまい、飲み友達とも一気に連絡すら取らなくなり、人間関係がよりシンプルになり、スッキリしている。

とにかく今年は後半からまたガラリと違う生活環境となる。目標を定めて邁進するしかない。

また動画配信できるように少しずつ準備しております。またインスタから今月中には配信再開したいですね。こちらにいる間に観光もしたいのでブログもぼちぼちやっていきます。それでは良い週末をm(__)m




気付けば西日本に来て半年。未だにいろいろありすぎて落ち着かない状況。
そんな合間に最近は生配信を始めた。一昨年くらいから配信したいと考えていたので行動するまで実に2年かかった。  行動しなければ何もはじまらない。批判されようがなんだろうが、やり続ける。

そして自身の状況を整えて、晴れて大宮に戻りたい。

一生のうちに会っておきたい有名人は斎藤一人さんと、長崎のあんでるせんのマスターでしょうか。まだまだ本当の意味で生きないと。





最近は面接を行うことが多く応募者といろいろな話をしますが、自身ががむしゃらに求人応募を繰り返していた8年前、面接官からよく聞かれたのが成功体験をおしえてくださいという内容。 あれってその会社での面接マニュアルの質問項目のひとつなのだろうけど、私は堂々と言える成功体験などないのでいつも困り、適当な返答でやり過ごした。

ですので応募者に、過去の栄光を語ってほしいとは思わないし面接官である自身が、応募者の過去などあまり興味が無いので絶対聞かない。それよりもストーリーだてて架空の状況の中で『このような状況であなたはどうしますか』とか聞いた方がよっぽど有意義なのではないか。それもやりませんけど・・・普通に面接でお話しているなかで、ある程度最低ラインの人間性は伝わるのではと思いますm(__)m


弊社グループ代表であり創立者の片山直之社長がおなくなりになられて、新社長として専務がご就任されました。

私も身体の不調もあり今後の勤務を懸念し社の上長と相談中なのですが、この年齢にして当社に採用され、以降短い期間でいろいろな事を経験させていただいた事は感謝してますので、純粋に片山社長のご冥福をお祈りしたくここに記載いたします。