先日、大阪府泉南市の藤まつりに行ってきました。
数年前から、藤を見に行きたいと思ったら、時すでに遅しで旬の時期を過ぎていた。なんて事が繰り返し起こっていたけど、今年はギリギリに思い出せて、最終日に間に合った。
「泉南市 藤まつり」
で検索すると、
「熊野街道信達宿」とヒットする。
ここはかつて、熊野詣に行く人々が休憩できる旅籠がたくさんあったそうだ。
現地にも、
「この藤を訪ねる人に安らぎを
去り行く人に幸せを」
と書いてあり、よい祈りの言葉だと感じた。
死と再生の旅。生まれ変わり。
心機一転、次の始まりを求める旅人へ手向けた優しい言葉だ。
実は、数年前から熊野に来るように何度か言われていたのをふと思い出す。
那智勝浦に高野山
どちらも行けなかった。
そしたら今回は泉南の藤まつりで、またも熊野へ。
今回は行けて良かった。
藤まつり最終日は、もう藤自体の旬の時期が過ぎてしまっていて、所々枯れてしまっていた。
それは残念だけど、長閑な空気と、古い味のある街並み。
自宅の周りでは見ないような、変わった鳥がいて、可愛い声でお喋りしていた。
何だかとても清々しい。
そして、このミニ旅で特に印象に残ったのは、
「人の手による美」
をたくさん見せてもらったことだ。
イベントには、
様々な地元の方が店を出していて、それを見るのも楽しかった。
ガラス工芸品のお土産は色がとても可愛くて、私はマゼンタ色のストラップを購入した。
着物屋さんの、帯を利用した小物は、柄がとても美しい。
泉南市にアトリエを構える画家の方の展示を見せて頂き、その緻密さと世界観の美しさに目がチカチカしてしまった。
どの絵も色がとても綺麗で、別の作品も全体が繋がってる。
この銀河系、惑星、そこに棲む様々な生物が織りなす循環が描かれているように感じた。
どの絵も素敵なので、ポストカードではなく画集を購入した。
そこにサインを入れてくださり、虎のイラストまで添えてくれて、みるみる形になっていく生の絵にテンションが上がった。
そして、和太鼓の演奏を見ることができた。
ちょうど、そのタイミングで雨がパラパラと降ってきた。
そんな中でも、力強い和太鼓の音は、腹の底に響き渡り、それが心地よい。
人の本能を刺激するような音色が体の中でも響いているのが分かる。
数ヶ月前に、和太鼓が聴きたくて動画を探して見たんだけど、物足りなかったのを思い出した。
数ヶ月越しの回収みたいだった。
雨が少し勢いを増してきていた。
二曲目は、「いぶき」という曲の演奏。
一曲目のような激しめな音ではなく、小さな太鼓を複雑に叩いていく。
その音の連なりが雨音のようで、現実の雨ともリンクしている。
目以外のところで映像が浮かんでくる。
太鼓の音が勢いを増す。
雨が上がり、潤った地面を太陽が照らすと、一気に植物達が芽吹いてくる。
そんな「いぶき」の音。
ダイナミックに植物が芽吹く瞬間のあの感覚、とても心地よいものだった。
音で自然の循環が表現されている。
素晴らしかった。
で、ちょっと余談。
電車で暇つぶしに聞いていたリーディングで、何故か唐突「上腕二頭筋が凄い人」「上腕二頭筋」
と繰り返し言っていて、何じゃそりゃ?と思っていたけど…
和太鼓兄さんの上腕二頭筋に気づいてから、ニヤニヤしそうなのを我慢するのに神経を使ってしまって、ちょっと集中できなくなった(笑)
人の作る美といえば、藤まつりの主役である藤だってそうだ。
自然のものだけど、この藤をこの土地のボランティアの方々が水やりを欠かさず、長年守り続けてきた。
自然と人は、調和できない部分もあり、それはとても悲しいことで、同時に人類の持つ業でもある。
だけどそれだけじゃない。
こんな調和もある。
人の手作業の美もある。
そこにも凄いエネルギーがあると感じた。
帰り道、電車の中で画家の方の絵に感動していたら、なんだか内面がザワザワ賑やかになってきた。
私の脳内に棲む、北斎くんがなんだかちょっと気に入らない様子であった。
私は単純に、別の画家を褒めてるのが面白くないのかと思っていた。
そして北斎くんに語りかけてみた。(脳内で)
私「機嫌悪いなぁ、どないしたんよ?」
北斎くん「やかましいわ。お前、負け犬根性出してんじゃねえ。」
私「え?」
北斎くん「相手が凄いなぁと思ったら、そいつを逆に食ってやるぐらいの気合い見せろや!
それが気に入らんのじゃ!!」
と、口汚なくも鼓舞してくれた。
北斎くん曰く、
最初からあんなふうに自分は出来ないとか思ってないで、嫉妬しろ。
その嫉妬のエネルギーを使ってとにかくやってみろ!
と、そんなことを言いたかったみたい。
なんや渋いな、北斎くん。
脳内では他の偉人達とスイカバー食べてるのに。
