髄膜種/髄膜腫が見つかった20代現役OLのブログ〜きっかけは視力低下〜

髄膜種/髄膜腫が見つかった20代現役OLのブログ〜きっかけは視力低下〜

ごくごくフツーの20代OLが、視力低下をきっかけに髄膜腫だと診断を受ける。その後の14日間の入院生活〜手術〜退院後の生活についての記録。

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皆さん、こんにちは。
ぎりぎり20代現役OLのJyaiです!

このブログは、私が髄膜腫と診断されるまでの紆余曲折、手術、入院生活、退院後の生活を、自分の備忘録として、また同じ病気で不安を抱えられている方々の参考に少しでも使ってもらえればという想いで書いていこうと思います。

…非常にずぼらかつ飽き性なので、更新は気が向いた時マイペースで行います…次はいつ更新されるのか、こうご期待!

早速ですが、髄膜種と診断された経緯についてお話しします。
私が診断された髄膜種は、正式には鞍結節部髄膜腫(あんけつせつぶずいまくしゆ)というホルモンの中枢である下垂体近くに出来る髄膜種です。

2012年6月の会社の健康診断で、一昨年に比べて左目だけ視力が落ちていることを産業医から指摘されました。
自分としては、当初は左目が見えずらくなった認識も無く、当時仕事も忙しく終電間際までオフィスにいることも度々だったので、あまり気にも止めずそのまま半年程経ちました。
数ヶ月後、普段コンタクトをしているのですが、確かに左目の度数があっていない、見えずらいと感じるようになり、自宅近くの眼科に行きました。
しかし、そこで診断されたのは白内障でした。(!!)
(今となって思うと2年半前のこの診断の時に、もっと詳しく正確に診断されていれば、髄膜種は今より小さい状態で、かつ神経の圧迫も初期段階で発見されていたのかもしれません。まあ、すでに起こったことをどうだこうだ言っても仕方が無いので今は何も思っていませんが)

白内障と言えば、水晶体が白濁してしまう一般的に加齢とともに発生し易くなる疾患ですので、当時20代半ばだった私からすると、「何で??」という困惑した気持ちでした。
ただ、白内障の症状である、白霧がかかったような見え方に当てはまっていた為、白内障であることを信じ切っていました。

コンタクトを新調する際も、別の眼科で白内障であることを伝えていましたが、特にそれに対して否定的な意見も無く、その後2年半に渡って自分は白内障だから左目が見えずらいのだと信じ切っていました。

転機となったのは引越しでした。主人は結婚後すぐに海外駐在で、私は1人暮らしをしていたのですが、彼が2年の任期を終えて帰国するのに合わせて、夫婦2人で暮らせるマンションへ転居したのです。

その当時、左目の見えずらさに煩わしさを感じたり、1日オフィスでPC作業をすると左のこめかみや左の眉毛のあたりに鈍痛があるなど日常生活に支障を来たし初めていました。
そこで、そろそろ白内障の手術でもした方が良いのかなーとのん気に考えながら、引越し先近くで人気な眼科を調べ受診しました。
そこは非常に人気な眼科で、平日夕方に行こうものなら診察までに1~2時間も待たせられましたが、見るからに最新鋭の機器を備え信頼の置ける印象を受けました。

一度目の診察で、先生から開口一番「こりゃ白内障じゃないよ、全然濁って無い、表面に細かい傷はあるけど」と…。
なんと…?!!!
さらに先生は、「白内障で頭痛がすることはまずないから、視神経と脳の間で何かあるかもしれない」と…!
これまで数々の眼科で白内障だと伝えて特にそれを否定されることが無かった私には、脳というワードが出てきたことはまさに青天の霹靂でした。

1週間後そちらの眼科で視野検査を行い、脳に何か起こっていることはより明白になりました。
視野検査は、ドーム型の測定器に顔を入れ、真っ直ぐを見たまま色んな箇所で点灯する色んな強さの光が見えるかを、片目ずつ5分程度測定しました。
結果は驚く程明らかに、右目の見え方はどの方角も弱い光も捉えているのに対し、左目は特に左側半分の光をほとんど捉えていませんでした。
自覚症状では、全体的に白霞がかかっている印象だったので、この結果には本当に驚きました。

そして、すぐに総合病院の脳外科宛に紹介状を書いてもらしました。

この時に思ったこと、お医者さんによってどこまで粘り強く調べてくれるか、ましてや、その診断結果に差があり、万能では無いんだと。
そして、もしまた自分や身の回りの人に何か気になる症状が出たら、必ず最新鋭の設備を備えた人気の病院に行こう、かつ他のお医者さんの意見も必ず聞こうと。

つづく。