ブログずっと更新してなかったけど、、
また始めることにしました。
今回は、ちょっと前に行った京都について書きます。
『
計画していた東京旅行が不可能になったので東京都から東を取って京都に行くことにした
バスに乗って、電車に乗って何回も乗り換えして桂駅に着くまで、
"京都に行ったら絶対に行くところリスト"というメモを作って、その中に、
「 一 銀閣寺
二 清水寺 」と書き込んだ。
駅を降りたらすぐバスに乗る予定だったが、乗ってはいけないような気がしたし、
どこから乗ったらいいか分からなかったので、シバラクのうち、マッスグな道を歩いた
(iPoneのマップで見ていたら、ほんとにまっすぐで、
多分迷うことはないと思ったのだが...)。
しばらくの間歩いていると、京都の街の風景、かぜの音と合わない気がした。
こんな気分は初めてだったが、
目に見えないものを掴みたくても掴めない気持ちよりもっとヤな気分だったと記憶している。
もうイヤフォンをつけたくないような気がして、
今日一日はずっとイヤフォンをつけないで生活できた。
音楽がそんなに好きでなくて、
オーディオのことなんか考えたことのない人間には当たり前のことかもしれないが、
昨日まで、常に音楽がともにいないと生活 - 朝、起きることさえ -
できなかった自分にとってはものすごい変化だと思う。
しばらく歩いて、頻繁にバス停が見える頃になると、
もうそろそろバスに乗ってもいいと直感が教えてくれたので、そこらじゅうにあるバス停の中から
ベンチに誰かが座ってるバス停を選んで、銀閣までの道を案内してもらうことにした。
ベンチで隣になったのはおじいちゃん・おばあちゃんの夫婦で、
どのバスに乗ればいいか伺うと
「次の、また次に来るバスに乗ると、銀閣に行けるよ」と教えてくれた
教わった通りのバスに乗り、持ってきていた本を片っ端から読んでいった
(自分は「読むかどうか分からないよね?!」 「っていうか絶対読めないよね?!」
って言うほどの本の冊数を旅先に持っていく癖がある)
(今回も5~6冊持って行ってたと思う)
なんでか分からないけど、自分で ”ココだ!” と感じたバス停で降りたら
銀閣に一番近いバス停より一つ手前だった。
それでも仕方ないと諦め、バス停からすぐにある坂道をどんどん登って行った。
登って登って登ったようなところに、哲学の道っていうのがあって、それを左に曲がる。
砂利道 砂利道 たくさんの煩悩がある。アイスの自販機とか~ コーラの自販機とか~
きっと修学旅行生の立場なら、この煩悩にさいなまれていたんだと思う。
外国人の観光客やどこかの修学旅行生がたくさんいたので
ここがもしかすると銀閣への道なんだなと思って、そこを突き進んでいった。
ここの銀閣への道はさっき通った哲学の道よりも、遥かに煩悩が多い。
なんでも買って、飲んだり食べたいと思う自分に対して、
「どこに行っても、食べ物は食べ物で、飲み物は飲み物である。
ここで無駄なお金を使う必要はない。」と説教する頭が勝負して、
結局は後者が勝利し、抹茶系の飲食物は旅中にとらなかった。
銀閣。そういえば一回家族で行ったことある。
だから、そうインパクトはなく、金閣ほど豪華ではないので(まあそこが魅力なんだけど)
感動もなかった(なんかごめんなさい...)。
でも向月台は何回見ても芸術を感じるものだと、改めて実感した。
一回来たところで、ちょうど遊ぶ約束をしていた佃から、
もう梅に向けて家を出たという連絡を受けたので、すぐに出てバスに乗った。
JR京都駅に到着予定のバス。 そのまま乗っていても良かったが、
「清水寺に行くならここで降りてくださいね~」って運転手さんが言っていたので、
降りることにした (この時点で、佃は梅田に到着していて、
その連絡を受けても清水寺に行きたい思いは変わらない自分にあきれていたと思う
佃くん ごめんなさい...)。
清水寺に着いてみると、またどこかの修学旅行生がいっぱいいることに気づく。
なんでこんなことを考えたのか、自分でも分からないけど、
「カワイイ子ばっかりだな~」
あ、そういえば
「清水寺に行きたかった理由」を話してなかったね。
話は卒業直前の中学の国語の授業だったと思う・・・。
確か先生が「“ 清水寺に恋占いの石が二つあって、目を閉じて、
一方の石から反対側の石まで無事にたどり着くと恋の願いが叶う “ところがあって
機会があったら言ってみてください」と言っていたこと。
今、好きな人がいる僕は、 それを思い出して、
「京都に行ったら絶対に行くところリスト」に入れていたんです!
先生の言う” 恋占いの石 ”があるところというのは、
“ 地主神社 ”という清水寺境内にあるお寺だということをネットで調べた僕は、直行。
二つの石を見つけ、石と石とが想像していたよりも距離があることがわかり、焦る僕。
石から石に簡単には行けない最大の理由(というか唯一の理由)は、
観光客の目!!
カワイイ顔をした修学旅行生の女の子たちは、
友達の助けを借りてたどり着いたりたどり着かなかったりしていた。
そんな中、僕は、出来るだけひと通りが少なくなったときを狙って、目をとじる。
とっても恥ずかしい とっても恥ずかしい とっても恥ずかしい
この石から石の距離より 大阪から東京の距離の方が短いんじゃないか??!
とか考えてるうちに、 右足が 何かに当たった 目を開けると、 石だった。
辿り着いたんだ!! とっても恥ずかしくて、たぶん顔が真っ赤だったと思う。
なんだか、、告白する気持ちととっても似てたと思う。
きっと、、観光客の目を恐れずに、
辿り着くまで真っ暗闇の中を歩く勇気を試すものだと思う。
辿り着く勇気があれば、好きな人へ告白することや、話しかけることもできると思う。
きっとうまく行く自信と言うか確信が自分の中にできたような気がした...。
2013-06/09(日)
また始めることにしました。
今回は、ちょっと前に行った京都について書きます。
『
計画していた東京旅行が不可能になったので東京都から東を取って京都に行くことにした
バスに乗って、電車に乗って何回も乗り換えして桂駅に着くまで、
"京都に行ったら絶対に行くところリスト"というメモを作って、その中に、
「 一 銀閣寺
二 清水寺 」と書き込んだ。
駅を降りたらすぐバスに乗る予定だったが、乗ってはいけないような気がしたし、
どこから乗ったらいいか分からなかったので、シバラクのうち、マッスグな道を歩いた
(iPoneのマップで見ていたら、ほんとにまっすぐで、
多分迷うことはないと思ったのだが...)。
しばらくの間歩いていると、京都の街の風景、かぜの音と合わない気がした。
こんな気分は初めてだったが、
目に見えないものを掴みたくても掴めない気持ちよりもっとヤな気分だったと記憶している。
もうイヤフォンをつけたくないような気がして、
今日一日はずっとイヤフォンをつけないで生活できた。
音楽がそんなに好きでなくて、
オーディオのことなんか考えたことのない人間には当たり前のことかもしれないが、
昨日まで、常に音楽がともにいないと生活 - 朝、起きることさえ -
できなかった自分にとってはものすごい変化だと思う。
しばらく歩いて、頻繁にバス停が見える頃になると、
もうそろそろバスに乗ってもいいと直感が教えてくれたので、そこらじゅうにあるバス停の中から
ベンチに誰かが座ってるバス停を選んで、銀閣までの道を案内してもらうことにした。
ベンチで隣になったのはおじいちゃん・おばあちゃんの夫婦で、
どのバスに乗ればいいか伺うと
「次の、また次に来るバスに乗ると、銀閣に行けるよ」と教えてくれた
教わった通りのバスに乗り、持ってきていた本を片っ端から読んでいった
(自分は「読むかどうか分からないよね?!」 「っていうか絶対読めないよね?!」
って言うほどの本の冊数を旅先に持っていく癖がある)
(今回も5~6冊持って行ってたと思う)
なんでか分からないけど、自分で ”ココだ!” と感じたバス停で降りたら
銀閣に一番近いバス停より一つ手前だった。
それでも仕方ないと諦め、バス停からすぐにある坂道をどんどん登って行った。
登って登って登ったようなところに、哲学の道っていうのがあって、それを左に曲がる。
砂利道 砂利道 たくさんの煩悩がある。アイスの自販機とか~ コーラの自販機とか~
きっと修学旅行生の立場なら、この煩悩にさいなまれていたんだと思う。
外国人の観光客やどこかの修学旅行生がたくさんいたので
ここがもしかすると銀閣への道なんだなと思って、そこを突き進んでいった。
ここの銀閣への道はさっき通った哲学の道よりも、遥かに煩悩が多い。
なんでも買って、飲んだり食べたいと思う自分に対して、
「どこに行っても、食べ物は食べ物で、飲み物は飲み物である。
ここで無駄なお金を使う必要はない。」と説教する頭が勝負して、
結局は後者が勝利し、抹茶系の飲食物は旅中にとらなかった。
銀閣。そういえば一回家族で行ったことある。
だから、そうインパクトはなく、金閣ほど豪華ではないので(まあそこが魅力なんだけど)
感動もなかった(なんかごめんなさい...)。
でも向月台は何回見ても芸術を感じるものだと、改めて実感した。
一回来たところで、ちょうど遊ぶ約束をしていた佃から、
もう梅に向けて家を出たという連絡を受けたので、すぐに出てバスに乗った。
JR京都駅に到着予定のバス。 そのまま乗っていても良かったが、
「清水寺に行くならここで降りてくださいね~」って運転手さんが言っていたので、
降りることにした (この時点で、佃は梅田に到着していて、
その連絡を受けても清水寺に行きたい思いは変わらない自分にあきれていたと思う
佃くん ごめんなさい...)。
清水寺に着いてみると、またどこかの修学旅行生がいっぱいいることに気づく。
なんでこんなことを考えたのか、自分でも分からないけど、
「カワイイ子ばっかりだな~」
あ、そういえば
「清水寺に行きたかった理由」を話してなかったね。
話は卒業直前の中学の国語の授業だったと思う・・・。
確か先生が「“ 清水寺に恋占いの石が二つあって、目を閉じて、
一方の石から反対側の石まで無事にたどり着くと恋の願いが叶う “ところがあって
機会があったら言ってみてください」と言っていたこと。
今、好きな人がいる僕は、 それを思い出して、
「京都に行ったら絶対に行くところリスト」に入れていたんです!
先生の言う” 恋占いの石 ”があるところというのは、
“ 地主神社 ”という清水寺境内にあるお寺だということをネットで調べた僕は、直行。
二つの石を見つけ、石と石とが想像していたよりも距離があることがわかり、焦る僕。
石から石に簡単には行けない最大の理由(というか唯一の理由)は、
観光客の目!!
カワイイ顔をした修学旅行生の女の子たちは、
友達の助けを借りてたどり着いたりたどり着かなかったりしていた。
そんな中、僕は、出来るだけひと通りが少なくなったときを狙って、目をとじる。
とっても恥ずかしい とっても恥ずかしい とっても恥ずかしい
この石から石の距離より 大阪から東京の距離の方が短いんじゃないか??!
とか考えてるうちに、 右足が 何かに当たった 目を開けると、 石だった。
辿り着いたんだ!! とっても恥ずかしくて、たぶん顔が真っ赤だったと思う。
なんだか、、告白する気持ちととっても似てたと思う。
きっと、、観光客の目を恐れずに、
辿り着くまで真っ暗闇の中を歩く勇気を試すものだと思う。
辿り着く勇気があれば、好きな人へ告白することや、話しかけることもできると思う。
きっとうまく行く自信と言うか確信が自分の中にできたような気がした...。
2013-06/09(日)
