毎日がアートだらけ、おはなです
ちょっと前ですが、5月30日は語呂合わせで「ゴミゼロの日」。
SDGsの流行りもあり、ビーチクリーン、街中ゴミ拾いなど、イベントとしてゴミ拾いが行われていることが増えているような気もします。
わたしが通っていた中学校では、毎月末にゴミゼロ運動の日があって、それはゴミ袋を持って通学路に落ちているゴミを拾いながら登校するという行事。
当時のわたしは、この「ゴミゼロの日」に憤っていたなぁ〜と、ふと思い出しました(笑)
ゴミゼロの日じゃなかったら拾わないの?
自然豊かなところで育ったわたしは、たぶん小さいころから地球のことを割と気にしている少女だったように思います
オゾン層の破壊だとか、水位上昇だとか、酸性雨だとか、、いろんなことに興味を持っていました。(もちろん今もですが)
そんなわたしにとっては、中学校時代の「ゴミゼロの日」はとても理解に苦しむ行事だったんです。
その理由は、「『ゴミゼロの日』だけゴミを拾って、その日以外はゴミを拾わないって、おかしくない?」というもの。
ちょっとひねくれてて可愛いなぁなんて、今は思ってしまいますが…(笑)
ゴミゼロの日じゃなくても、ゴミは落ちている
毎日の通学中、ゴミを見かけることはたびたびありました。
空き缶、タバコの吸い殻、プラスチック袋、お菓子の包装紙など…
ゴミゼロの日にはみんなこぞってゲームのようにゴミを拾うのに、そうじゃない日にはゴミを見かけてもまるでスルー。
なんで?!
イベントだからゴミ拾うって、違くない?
ゴミが落ちているっていう事実は一緒なのに、なんで?
だけど、それを思っているだけで、別に友人たちにそれを訴えることはしませんでした。理由は、恥ずかしいし、嫌われたくないから。
だから、一人で悶々としながら、通学路で見つけるゴミを片手で持てるくらいを拾って登校していたのでした
人には気づく力がある。きっかけさえあればいい。
今思い出すと、なんだか微笑ましい気持ちになるのですが(笑)、当時のわたしには結構な問題だったんじゃないかなと思います。
当時わたしが思っていたことは確かにそうなんだけど、大人になった今、ゴミゼロの日に思ったのは、「外に落ちているゴミは他人事じゃないよ」ってアラートできるなら、それで十分じゃないかっていうことでした。
そもそも、いつも歩いている道にゴミが落ちていることに気がつくようになるだけで、十分。
理由は、人には気づく力があって、その気づきを次の行動に繋げる力があるから!
それを信じることができるようになって、わたしのゴミゼロの日へのイメージは大きく変わったのかもしれません。
気づきを次のアクションへ
気づくことができたら、きっとその人それぞれが次のアクションに繋げていくはず。
わたしも今の自分にできる変化を、起こしていきます
それでは、また
おはな