親愛なるエホバの証人の皆様

 

最後の挨拶がこのような形になってしまったことをご容赦ください。

私、【名前】は本日2018年3月16日をもってエホバの証人としての立場を捨て、組織とクリスチャン会衆から断絶いたします。

形式にこだわるわけではありませんので排斥の扱いでも構いません。この手紙をお読みになっている長老団の皆様がふさわしく判断していただければと思いますので、少々長くなりますが最後までご拝読いただければと思います。

 

 

 

それではまず、私が今回このような決断に至った経緯についてご説明いたします。

 

皆様がご存知の通り、私は物心が付いた3歳の頃から両親と共にエホバの証人と交わり始めました。

家族と組織の溢れる愛に包まれながら心身共に成長しましたが、最初に疑問を持ったのは小学生の頃でした。

集会中に少しぐずってしまった。帰宅が門限の時間から少し遅れてしまった。友人から携帯ゲーム機を借りた。など、私がエホバの証人の子どもとして少しでもふさわしくない行動をしてしまった時に容赦なく鞭で打ち叩かれたということがその始まりだったのです。

 

当時そのような行動を組織が良しとしていたことは理解しています。

交わっていた【地名】の会衆には私たちの家族以外に幼い子供のいる家庭が無かったため、両親が手探りを強いられていたことはわかります。

子育ての先輩である立派な兄弟姉妹たちはそのようにして成功してきたのですから、参考にしたくなる気持ちにも頷けます。

 

ですが当時の私は虐待にしか感じられませんでした。勿論今の私も、狂気に満ちた蛮行であったとしか思えません。

 

小学校高学年の頃の出来事を例に挙げます。

家族の教育方針として携帯ゲーム機を買い与えてもらえなかった私は、楽しそうにそれで遊ぶ友人が羨ましくて仕方がありませんでした。

そこで両親に内緒で友人にゲーム機を借りることにしました。一緒に遊んでいる時だけでなく、何人かの友人たちは私がそれを家に持ち帰って遊ぶことについても快く了承してくれました。こっそりとそれを持ち帰る時の私の高揚感をなんとなく理解していただけるのではないでしょうか。

 

ただ、それが明るみに出てしまった時には地獄に変わるのです。

両親はどうして家族のルールを破ってまでこのようなことをしたのかと私に質問することや、気持ちや事情に理解を示してから優しく諭すということをほとんどしませんでした。

まずは【母親】姉妹が鬼の形相で問い詰めるのです。誰から借りたのか、と。

正直に答えてしまえばゲーム機を借りた友人に迷惑が掛かってしまうのは目に見えているので、私としては当然口を割るわけにはいきません。

 

そうなると鞭棒の応酬です。

覚えている限りの最初は半分に割れた木製の皿でした。ガスホースの時期もあったでしょうか。最後は紳士用の革ベルトに落ち着きましたね。

母親】姉妹は私のお尻が赤く腫れあがるまで執拗に打ち叩きます。自分の息子が許しを請いながら大声で泣き叫んでいるにも関わらずです。

父親】兄弟が帰宅すれば【母親】姉妹は説明もそこそこに鞭棒を彼に渡すので、そこからは更に恐ろしい第二ラウンドが始まります。

成人男性である父親が全力で振り下ろす革ベルトは恐怖そのものでした。

手元が狂って腰や太ももに当たった時には、声も出せないほどのとんでもない痛みが私を襲いました。

 

そんなことが連日続くのです。

小学生が悲痛に泣き叫ぶ声と鞭棒から出る乾いた破裂音が連続するのです。それを耳にした近隣住民が通報してくれないかとさえ思いました。

近くの交番に赴き、両親の恐ろしい形相を説明すればどうにかなるのではないかと本気で考えたこともありました。

 

私の犯した罪はそれほど大きなものだったのでしょうか。

 

勿論私自身がその鞭棒にふさわしいまでの悪行をしてしまったこともあります。

ゲーム機の話はただの一例であり、両親のお金をくすねたことも何度かあります。

 

でもそれなら、私が納得できるまで聖書から教えを説いてくれればよかったのではないでしょうか。

なぜこれをしてはならないのか。この罪を重ねることによってどんな報いを身に受けるのか。自分たちが学んでいる聖書の原則から辛抱強く教えてくれればよかったのではないでしょうか。

もしかするとそう努力してくれていたのかもしれません。

母親】姉妹が涙ながらに私に訴えかける姿をおぼろげながら思い出すこともできます。

 

ですが、最も印象に残っているのは最終的に鞭棒を持ち、私を部屋の隅に追い詰める鬼の形相なのです。

あそこまでする必要はあったのでしょうか。あれほどまで執拗に、何百回も何千回も打ち叩く必要があったのでしょうか。

 

母親】姉妹は覚えておられるでしょうか。

「このまま悪い子になるぐらいなら私に殺されてあなただけでもパラダイスで復活した方が良い。私はこれによって楽園には行けなくなるがそれも辞さない。」と包丁を手に私に詰め寄ったこともありましたね。

もっと私が幼い時には狭い物置の中に何十分も閉じ込めて、泣いて反省しながら許しを請うのを尻目に笑っていることもありましたね。

 

父親】兄弟は覚えておられるでしょうか。

小学生である私に「お前は育ててもらっている分際なのだから、私たちの言うことが聞けないのならこの家から出ていけ」と恫喝するのが貴方の癖でしたね。

実際に夜、パジャマ姿のまま外に放り出して家の鍵を閉じたこともありましたね。

家出をした私を発見した時にはかけている眼鏡が吹き飛び、鼻血が出るまで顔面を殴打したこともありましたね。

 

全てを挙げればきりがありませんが、その一つ一つが私にとって拭いきることができないまでのトラウマになっているのをご存知でしょうか。

私の背中の腰に近い部分に、何かで引っ掻いた跡のような横方向の筋が無数に入っているのはご存知でしょうか。

それがおびただしい回数にわたって振るわれた鞭棒の後遺症であると考え、それを見るたびに恐怖がフラッシュバックしていたことをご存知でしょうか。

学校で内科検診に訪れた医師にそれについて質問され、中学生である私が答えに窮したことをご存知でしょうか。

 

22歳になった今も時折、悪夢にうなされていることをご存知でしょうか。

小学生の時から決まって同じ夢に叩き起こされていることをご存知でしょうか。

逃げ惑う自分を、革ベルトを手にした文字通りの悪魔が高笑いしながらいつまでも追いかけてくる夢を見る恐怖をご存知でしょうか。

逃げ切れずに追い詰められ、最後に深い穴に落ちる場面で脂汗を噴き出しながら飛び起きているのをご存知でしょうか。

 

私の犯した罪はそれほど大きなものだったのでしょうか。

ここまでが、幼い私が組織と家族の教育方針に最初に疑問を抱くまでのいきさつです。

 

 

 

中学生になってからの私は月並みに反抗期を迎えました。

両親の怒りに触れるような言動をわざと行い、霊的な活動も徐々に拒否するようになりましたが、私が大人の体格になりつつあったからでしょうか、お尻を出して鞭棒で打ち叩かれることは無くなりました。

ですが私の思いを、思春期を迎えた男子が抱いて当然であるような思いを両親が本当の意味で親身になって受け止めてくれたことはありませんでした。

 

なぜ学校の友人と同じように夜遅くまで遊んではいけないのか。

なぜ親しい友人の家に泊まりに行ってはいけないのか。

なぜ毎日練習があるような部活に入ってはいけないのか。

なぜ武道の授業に出席してはいけないのか。

なぜ好きになった女の子と交際してはいけないのか。

そもそもなぜ集会に行かなければならないのか。

なぜ友人たちと違う道を歩むことを強制されなければならないのか。

 

大人のエホバの証人である両親にとっては一過性の些細な悩みに見えたのでしょうか。

私の示す態度が良くなかったのも一因だったのでしょうか。

両親共に聖書や協会の出版物によって粘り強く教え導いてくれた記憶はありません。

 

それどころかすぐさま匙を投げ、家族の崇拝を行わなくなったのではなかったでしょうか。

論理性の全く無い感情に任せた説教と、激しい口論の最後に吐き出すいつもの決まった言葉。前述のものとも少し重複しますね。

「子どもが親の言うことに従うのは当然。不従順は許さない。納得できないなら家から出ていけ。」

中学生である私にそこまでの覚悟が無いことを見抜いていたのでしょう。味を占めた【父親】兄弟は毎回その言葉で話を終わらせました。

 

その頃から【父親】兄弟の言動にも疑問を持ち始めました。

エホバの証人の集会や大会の実演で見るような模範的な親子の会話とは全く逆の諭し方。

一般の人が用いるような人生論を軸に論理を発展させ、聖句を用いた会話をしてみせたことは全くと言っていいほどありませんでした。

私が感情的になったり、だんまり戦術を用いるようになると大声で怒鳴り、脅すような口調で恫喝し、私の反論を最後まで聞くことすらせず威圧的な論調を貫きました。

 

そしてその基本的な姿勢は10年経った今もほとんど変わっていません。

そんな様子を思い出すことができる最近の様々な出来事についても、家族の皆さんでしたら記憶に新しいのではないでしょうか。

 

 

 

高校生になってからはエホバの証人の真理そのものに疑問を感じるようになりました。

私が中学校を卒業する日に、あの東日本大震災が起こったのもそのきっかけでした。

若い青年として当時抱いた思いをご理解いただけるのではないでしょうか。

 

なぜ罪も無い人が何万人も無くなってしまうような自然災害が発生することをエホバはお許しになっているのか。

なぜそれに際して、自分を神として崇拝する忠実な信徒を保護されなかったのか。

沢山の人が苦しみや悲しみを抱いていることをご覧になっているのなら、なぜ一刻も早く地球をパラダイスに変えないのか。

 

今の私は勿論、上記の疑問に関してエホバの証人の皆様が信じている真理を存じています。

根拠となる聖句を挙げて、わかりやすく説明することすら容易いでしょう。

 

でもそれは果たして本当の真理なのでしょうか。

なかなか来ない幸福な時代を待ちわび、現状を納得するための気休めにしか過ぎないのではないでしょうか。

元来の聖書の文言を自分たちにとって都合の良いものとするために表現を調整し、それでもどうにもならない場合は苦し紛れに解釈を変更しているだけなのではないでしょうか。

 

全ての苦々しさを悪魔サタンのせいにしてしまえば楽でしょう。

犯してしまう罪はアダムから受け継いだ不完全さのせいにしてしまえば楽でしょう。

どうにもならないことについては目を背けてしまえばいいでしょう。

逆境の中にあっても健気にエホバ神を信じ続けていれば、心だけでも救われるでしょう。

 

一般的な理解力を持つようになった高校生の私にとっては不思議で仕方ありませんでした。

エホバの証人はこんな絵空事をなぜ本気で信じられるのだろうと。

 

そこで初めて、自分がこの宗教しか知らないことに気付きました。

学校の図書館で宗教関連書を読み漁りました。結局実現されることはありませんでしたが一般のキリスト教会に行ってその教えを聞こうと計画したこともありました。

本当のことを教えている宗教を見つけたいという思いが半分。

エホバの証人の間違った考えについて両親を論駁してやろうという思いが半分。

皆様に言わせれば”ませている”の一言で片付くのかもしれませんが、当時の私は何としてでも自分の言動の正当性を証明したかったのです。

 

私の思いとは裏腹に、その頃の両親の私に対する態度はかなり変化していました。

もう何を言っても無駄だと感じていたのでしょうか。会衆の信頼できる長老兄弟に研究司会をお願いしたのでそれで十分だと感じたのでしょうか。それとも【父親】兄弟が長年続けてきた世俗の仕事が微妙な状況になったことによってそれどころではなくなっていたのでしょうか。

当時の両親の思いの内はわかりませんが、私が部活動に注力して集会にあまり行かなくなっても口うるさく言わなくなりました。

お互いの持つ意見を交換するどころか、日常の会話ですらほとんど行わないような状態になっていました。

 

 

 

そうこうしていると【父親】兄弟の転勤による【地名】への引っ越しが決まりました。

両親は息子たちにより良い環境をとの思いで奔走してくれていたようですが、私の思いは全く別の所にありました。

自分の生活環境が一変するこの機会に、なるべくならエホバの証人との関わりを断ちたかったのです。

 

高校3年生から転学するという負担を考慮され、私だけは【地名】に引っ越さずに【地名】の祖父母宅から【地名】の高校に引き続き通学するという案もありました。

しかし、大学受験を控える大切な一年間に往復4時間をかけて通学することは現実的な事ではありませんでした。

何よりその案を遂行したとしても、高校3年生を終えた暁には【地名】に引っ越して家族と再び合流しなければならないのです。

勿論、祖父母宅で生活する一年の間でクリスチャンとして不活発になるのは難しいことではありません。

でも私にとってそれだけでは不十分なのです。多くのクリスチャン二世のように真理からフェードアウトするだけでなく、エホバの組織と家族からできるだけ距離を取りたかったのです。

 

心が疎遠になってしまっている両親に自分の思いを全て吐露することのできる機会を作るため、そしてそれが心からのもので揺るがない決意を持っていることを示すために自身がどのような行動をするべきか真剣に考えました。

生ぬるい仕方ではいつも通りの結果に落ち着いてしまうのは明白でした。

まともに取り合ってもらえるわけもなく、毎度の「育ててもらっている分際で」となるのは自明の理だったのです。

 

そして悩みぬいた苦肉の策で、社会的な破滅を身に招くかもしれないほどの恐ろしい計画を実行します。

家族が、正確には【母親】姉妹と【】兄弟が集会に出かけている時間に、近所のスーパーマーケットでわざと係員に見つかるように万引きをしたのです。

ポケットの中に入れたのはペンなどの安価な文房具。金銭的に困っているわけではないことをアピールする目的でした。

幸運なことにそのようなことにはならなかったものの、警察と学校に通報されて補導歴が付くかもしれない危険な賭けでした。

 

そこまでしてでも伝えたい思いがあったのです。ここまですれば両親も私の思いを真剣に聞いてくれると思ったのです。

たとえそれが上手くいかなかったとしても、国で定められた法を犯したという事実は残ります。

伝道者にすらなっていなかったとはいえ、会衆から排斥してもらえるのではないかという打算もありました。

 

今思い返せば、もっと違う方法もあったのではないかと思います。

ですが限られた時間の中で、単身赴任で半年早く【地名】に引っ越していた【父親】兄弟が飛んで【地名】に帰ってくるほどの衝撃を残さなければとの焦りと圧迫感に囚われていた当時の私に、これ以上の良策は思いつかなかったのです。

 

どうなったでしょうか。

思惑通り万引き行為が露呈してスーパーの事務室に連れて行かれた私は、動機を尋ねる係員の問いかけに曖昧に答えながら、連絡を受けた【母親】姉妹が駆けつけるのを待ちました。

どうなったでしょうか。

】兄弟に手を引かれながら王国会館から急いでやってきた【母親】姉妹はどのような反応を示したでしょうか。

まず係員の方に対する謝罪の言葉があったかもしれません。そして係員の方に尋ねます。「なんでこんなことをしたのかは話しましたか?」と。

係員の方が「引っ越しが…」とまで答えたところで、すかさず「やっぱり!」と。「どうせそれを言い訳にすると思っていたんですよ。」と。

 

それを聞いた私がどれだけ落胆したかお分かりいただけるでしょうか。

17歳が今後の人生を賭けるまでの決心で犯罪行為に手を染めたのです。

それがどうでしょう。私の口から事情を聞くことが一切無いまま、ただ単純に引っ越しが嫌で、それに抗議する意味で窃盗行為をしたのだと決めつけたのです。

 

母親】姉妹も慌て、混乱して感情的になっていたのでしょう。

ただそうであったとしても一生忘れることが無いであろうあの場所で、少なくとも私はそう感じてしまったのです。

 

それからどうなったでしょうか。

結局のところ、【幸雄】兄弟が大阪に帰ってくることはありませんでした。

自分の息子が犯罪行為に手を染めるという家族の非常事態であるにも関わらずです。

それどころか、自らが交通事故を起こした時には笑いながら「息子のことが心配すぎて」と周囲に弁明したそうですね。

又聞きなので真偽は不明ですが、火の無いところに煙は立たずではないでしょうか。その無神経さに呆れたことを覚えています。

 

母親】姉妹はどうだったでしょうか。

私に対する腫れ物に触れるような扱いは以前にも増して露骨になりました。

何か一言でも私の感情を慮るような言葉をかけてくれたでしょうか。深慮を汲み取ろうとする問いかけはあったのでしょうか。

もしかしたらあったのかもしれません。ですが申し訳ないことに全く覚えていません。

ということはつまり、その程度の印象にしか残らなかったということなのでしょう。

 

 

 

女々しい文章が続いてしまい申し訳ございませんが、もうしばらくお付き合いいただければと思います。

 

この一件以降、私の考えは大きく変わりました。

ここまでしても駄目だったということは、もっと思い切った計画が必要だということです。

ただ両親を動揺させるだけでは不十分であることを学びました。もっと徹底的に、もっと完璧に行わなければならないのです。

 

色々な思いが混ざり合い、両親とエホバ、そしてその組織への純粋な恨みへと変換されました。

どんな結末を迎えることになるとしても、心が壊れるまで痛めつけてやりたいと思うようになりました。

私が味わったものと同等以上の、願わくば何十倍、何百倍もの心痛を。

そして息ができなくなるほどの苦しみを与えることによって復讐したいと考え始めるようになりました。

 

どうすればよいでしょうか。

手っ取り早く自殺する案も脳裏をよぎりましたが、よくよく考えればなぜ私が死んでやらなければならないのでしょう。

今度は法に触れるような危険を冒したくはありません。どれだけ時間がかかるとしてもあくまで堂々と、というのが今回のコンセプトです。

両親と会衆を最も悲しませるためにはどんな行動が求められるでしょうか。エホバを出し抜くことができるでしょうか。

答えを導き出すのは簡単でした。

誰からも愛される爽やかで霊的に円熟したクリスチャンの兄弟に成長し、状況が整うや否や全ての悪意をぶちまけながら青天の霹靂のごとく去るのです。

 

 

 

それからのことは皆様の知る通りです。

地名】の高校に編入して3年生になった私は定期的に集会に交わるようになりました。

ただ掌を返したように急に態度を変えるのは不自然なので、時折些細なことで両親と衝突する演技をすることも忘れませんでした。

集会の時間に遅れながらも、自転車を懸命に漕いで王国会館にやってくる健気な青年を演じるのは容易いことでした。

名前】兄弟による、共に聖書を研究しようという誘いに応じたのもその頃でした。

進歩的で意欲的な、ただ高校生らしくこれからの進路に悩み葛藤する18歳を演じるのも容易いことでした。

 

大学受験を志しながらも失敗するという経緯も私の書いたシナリオ通りでした。

少しだけ考えてみてください。真剣に大学進学を考えている受験生が、たった一つの大学のたった一つの学部にしか出願しないということがあるでしょうか。

滑り止めとなる大学を一つも受験しないことは常識的にあり得ませんし、センター利用入試や後期受験を一切考えずにその年の合格を勝ち取ることをすっぱりと諦めてしまうなんてことは正気の沙汰ではありません。

 

どのような思惑があったかは言うまでもありません。

高等教育を受ける道に進むか、それともまっすぐエホバの道を歩むかを悩んだ末に、しっかり自分の思いと立場を定めて伝道者となる姿を演じたかったのです。

 

驚くべきことにこのエピソードはその4年後にエホバの証人の大会で、私の口によって大勢のクリスチャンの前で話されることになりました。

しかも自分の弟である【】兄弟がバプテスマを受けるという記念すべき日にです。

一度は真理から離れかけた彼が成長し、これからエホバの証人として真っすぐに歩むことを堂々と宣言するのです。

今から約1年半前、社会人になってすぐの頃に一時的に霊的に不活発になりかけた【】兄弟が、もしそのまま真理から離れてしまっていたとしたら、私の計画も幾らかの調整を余儀なくされていたことでしょう。

でもそれは杞憂に終わったのです。

自分が意図していた以上に物事が順調に進んでいることと、まるで映画かドラマを思わせるかのようなタイミングの演出によって自分の脚本が劇的な物語になりつつあるのを実感した私はほくそ笑むのを抑えるのに必死でした。

 

話を戻しましょう。

結果的に大学受験に失敗したその翌々月でしょうか。2014年、春の桜が咲き始めるかという頃に私は無事に伝道者となり、【個人的情報】母親と共に集合場所まで赴いて熱心に伝道に勤しむ19歳を演じることもできました。

翌年の2015年にはバプテスマを受けました。

そして更にその翌年、2016年の9月からは正規開拓奉仕を始めました。

 

誰の目から見ても順調な歩みではないでしょうか。

会衆からの信頼を裏付けるかのように任される仕事が徐々に多くなり、それを喜んで果たそうとする積極的な姿勢は誰しもが認めるところだったのではないでしょうか。

ですが、それはあってはならないことなのです。

なぜなら私は最後に全てを裏切る計画で、表面的にのみしかエホバを賛美していないからです。

 

 

 

ここで、私がクリスチャンとして成長していく過程の舞台裏をお話ししましょう。

2013年の夏、【名前】兄弟の司会で研究を始めたのと同時期だったでしょうか、私は一学年下の小柄な女性と交際を始めていました。

世間一般によく見られる健全な高校生カップルとして楽しい日々を送ったものです。

片方の手で自転車を押し、もう片方の手は恋人と繋ぎ合わせながら学校から歩いて一緒に帰ることも日常となっていました。

結局その子との交際は2015年の3月まで続きました。

 

この事実は何を意味しているでしょうか。

言うまでもないでしょう。私が伝道者になりたいと申し出た2014年の春には既にエホバの証人の信者でない女性と交際していたということです。

そんな中で私の申し出が何の問題もなく受理されましたので、神の良いたよりを宣べ伝える伝道者の立場でありながら実は密かに恋人がいるという状況が丸1年間続いたのです。

 

それだけに留まりません。

私が水のバプテスマを受けたのは2015年の8月1日でしたが、翌週の9日にはある女性と大阪でデートをしていました。

エホバにこの身を捧げますと誓ってその舌の根が乾かない内に、エホバの証人でない女性に愛の言葉をささやいているのです。

結局同年の10月にその女性との交際が始まり、露呈することも無いまま現在に至っています。

 

そもそもバプテスマに至る経緯も滑稽なものです。

伝道者になってからそれなりに時間が経っており、そろそろ献身を表明しても不自然ではないだろうという考え。そして何より【名前】兄弟との聖書研究にこれ以上時間を割くのも面倒だというだけの理由でバプテスマの討議を始めてもらった私ですが、代わる代わる訪れる3人の長老たちが全く訝しむことなく喜んでいるのを見ると乾いた笑いが収まりませんでした。

長老団は一堂に会し、エホバ神への祈りの内に審議してくださったのでしょう。

全く神を愛していない背教の青年になぜバプテスマへのゴーサインが出たのかを考えると不思議で仕方がありませんが、私の里程標通りに物事が運んだので感謝しています。勿論皮肉です。

 

2016年の5月29日には生まれて初めて煙草を吸いました。

言うまでも無く成人しているので、いくらエホバの証人として避けるように教えられているとしても法律的には何の問題もありません。

そして現在に至るまで、ほぼ毎日のように吸い続けています。

タールの量も本数も徐々に増え、今では一週間に一箱から二箱のペースで煙をくゆらせているので、これまでの総本数は1000本を優に超えていることでしょう。

家の目の前の公園に行くことすら面倒な時はベランダで吸うこともありました。

 

同年の8月、正規開拓奉仕の申込書を長老に提出するわずか一週間前に私は恋人とセックスをしていました。

エホバの証人として言語道断。即座に排斥されてもおかしくない性の不道徳という重罪を犯しながらも、その裏では「これから宣教奉仕をさらに拡大します」と平気な顔で宣うのです。

これもまた皆様がご存知の通り、私の申請書は何の滞りも無く受理されました。

 

2017年の3月、7月、8月、9月、11月。そして2018年の1月にも恋人との逢瀬を重ねました。

一般の人たちがそうするように、毎回何らかの性行為によってお互いの愛を確認するのです。

 

宣教奉仕の分野はどうでしょうか。

自分の信じていない教理を、間違っていると確信している真理を面識の無い人々に宣べ伝えなければならないのです。

勿論本意ではありません。

とはいえ言うまでも無く、仕方なく参加している【特殊】奉仕、公の奉仕、水曜日の取り決めの奉仕だけでは要求時間を満たすことができません。

 

となると伝道に出かけるふりをしないわけにはいけません。

ある時は仕事をするために事業所に、ある時はファミレスに、ある時はパチンコ店の駐車場に。

様々な場所に行っては時間を潰し、くたくたになるまで頑張ったかのような雰囲気を出しながら帰宅するのです。

毎月の奉仕報告にはいつもそれらしい出鱈目な数字を記入していましたが、実際の奉仕時間はその半分以下、三分の一程度が関の山だったでしょう。

 

2017年8月には開拓奉仕学校にも参加しました。

もしかすると他の生徒の目に私は、最年少ながら初日から積極的に挙手して注解し、討議を盛り上げる兄弟のように映っていたかもしれません。

実際のところはどうでしょうか。

予習にはほとんど取り組まず、その前日になるまで教科書は真っ白なままでした。

張り切っていたように見えた注解も、その全てが考察の無いまま何となく出た言葉でした。

 

 

 

そろそろまとめに入りましょう。

私はエホバの証人としてどれだけの罪を犯してきたでしょうか。

度重なる性の不道徳や日常的な喫煙、大酒、宣教奉仕に関する虚偽の報告。細かいものも含めれば文字通りきりがありません。

ではその一つとして明らかになることがあったでしょうか。

家族や長老団、会衆の皆様の目に明らかにならないようにというだけであれば、私が慎重に行動していれば不可能ではないのかもしれません。

 

ですが、もしエホバが本当に生きた神として実在しており、私たち人類のことをいつもご覧になっているのであれば、会衆の霊的清さを守るために私の罪を早々に露呈させるなどということは赤子の手をひねるほど簡単なことではないでしょうか。

私の部屋に入ってすぐ手の届くところに煙草とライターが置いてあります。机の上には電子タバコや恋人とのプリクラ写真が転がっています。家族の誰かを用いて、視線をほんの少しそこに向けさせればいいのです。

そもそも会衆の区域内の公園で毎日何回も喫煙しているのです。成員の誰かにそこを通りかからせるだけでも十分なのではないでしょうか。

 

ですが、皆様が心から信仰しているエホバ神は、たったそれだけのことすらも出来なかったのです。

万引き計画以降、殺意にも似たような激情を心の内に押し留めながら霊的に成長する演技を始めて5年。

エホバの前で罪とみなされる行為をおびただしい回数にわたって重ねてきたにも関わらず、その一つとして明らかにならなかったのです。

 

というよりまず、私の思いを変えることも出来ませんでした。

この5年間、演技であるとはいえ聖書の真理についてしっかり学んできました。家族の崇拝の中で偉そうに講釈を垂れることができる程度の聖書に関する知識も身に着けました。

ですがどうでしょう。どんな諸刃の剣よりも鋭く、魂と霊を分けるまでの力を及ぼすはずの神の言葉は、結局最後の最後まで私の心を打つことがありませんでした。

エホバには演技にまみれた上辺だけでなく、本心から神を賛美することができるように私の思いを整えることも可能なはずではないでしょうか。

自分の犯している罪の大きさを自覚させ、悔い改めるように促すことも出来たはずではないでしょうか。

 

 

 

いよいよこの手紙も終わりに近づいてまいりました。

冗長な文章となってしまいましたが、今日私がこのような行動を起こそうと思うに至った経緯を少しでもご理解いただけましたでしょうか。

 

これまで喜びの内に行っているように見えた崇拝や奉仕、日々の生活や霊的な交わりは全て、ひどく苦々しくどす黒い負の感情を土台としていたことをご理解いただけましたでしょうか。

まやかしの賛美の原動力は、この手で殺したいとまで思わせる両親とエホバへの憎しみだったということはご理解いただけましたでしょうか。

家族と絶縁状態であるという社会的な茨の道を歩むことすら辞さない強い覚悟を隠しながら、演技派俳優を5年という長い期間に渡って務めていたこともご理解いただけましたでしょうか。

 

 

 

家族の皆様へ。

 

皆さんがこの手紙を実際に読んでいる今、私は最低限の荷物を積んだレンタカーのトラックに乗って【地名】を目指していることでしょう。

もしかするともう到着しているかもしれません。

地名】での新生活を始める体制が整うまでの短い期間、【地名】の祖父母宅に仮住まいさせてもらうことになっています。

 

最初に、私が家を離れるに際して煩雑な手続きを皆様に強いてしまうことを先に謝っておきます。

しばらくの間は私宛ての郵便物が届くかと思います。私の方でも転送手続きをする予定ではありますが、もし年金や他の様々な重要な書類が皆様の元に届いてしまった際には、申し訳ないですが【地名】の祖父母宅に送っていただければと思います。

また、【アパート】で私が使わせてもらっていた部屋にはベッドを始めとした沢山の家具や衣類、雑貨が残置されることになります。

時間とお金、またかなりのお手数をかけることになってしまいますが、全てをふさわしく処分していただければと思います。

お願いばかりになってしまい心苦しいのですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

また言うまでもないことかもしれませんが、事務的にどうしても必要なこと以外で私に連絡を取ろうとするのはおやめいただければと思います。

排斥・断絶に関する聖書の原則をよく思い起こし、これからもお元気で生活していただければと思います。

もし皆様が真理を捨て、エホバの証人でなくなる日が来るのであれば、その時はまた笑顔でお会いいたしましょう。

 

 

 

長老の皆様へ。

 

特別集会や主の記念式を控えるこの忙しい時期にお手を煩わせてしまうことを心から申し訳なく思っています。

私からの何点かのお願いに耳を傾けていただければと思います。

 

これもまた言うまでもないことかもしれませんが、最初に私の伝道者カードを削除していただければと思います。

そしてGoogleドライブや、【名前】兄弟と共有状態になっているGoogleカレンダーの編集権限・閲覧権限も速やかに削除していただければと思います。

特にGoogleドライブに関しては様々なアイテムに関する権限を所持しています。

     】、【     】、【         】、【      】、【   】の5つに関して少なくとも閲覧権限がありますので、多大なご面倒をおかけすることと思いますがくれぐれもよろしくお願いいたします。

 

私が現在行っている会衆の仕事に関しても無責任な形で投げ出す形となってしまいました。沢山のご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。

とりわけ区域係としての奉仕と【特殊】奉仕に関しては大きな調整が求められるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

それぞれの引継ぎについて簡単にまとめたものを置いていきますので、【名前】家のどなたかからから受け取って参考にしていただければと思います。

 

最後にまた大切なお願いです。

長老の立場である皆様は会衆から排斥された、もしくは組織から断絶した人に近付いてエホバの愛を思い起こさせるという大切な役目を担っておられることと思います。

ですが、私に関しては遠慮させていただければと思います。

これから生活の場所が【地名】や【地名】に移ることになりますので、私がこれから行く先々の地区にある会衆に連絡して情報を共有していただく分には一向に構いません。ですがその際には絶対に訪問することの無いようにということを併せてお伝えいただければと思います。

種々の事務的な事柄でどうしても連絡が必要な場合は、お手数ですが【アドレス】にメールという形でお願いいたします。お電話に出ることはできませんので、申し訳ございませんがご容赦いただければと思います。

 

 

 

ここまで大変長くなってしまった上に、ブログ調の乱筆乱文と誤字脱字にて失礼いたしました。

家族の皆様につきましては、今年中にも引っ越しなどによる環境の変化に直面されることと思います。くれぐれもご自愛ください。

そして、これまで22年間、もうすぐ23年になろうとしていますね。今日まで優しく、粘り強く私のことを育ててきてくださったことに心から感謝しています。本当にありがとうございました。

このような形でお別れになるのは心苦しい限りですが、【父親】兄弟、【母親】姉妹、【】兄弟の皆様それぞれがこれからもエホバと組織に愛される人としてずっと幸福な人生を歩むことができますよう、心からお祈り申し上げます。

 

長老の皆様につきましてもこれまで5年間、私に対して心を尽くし愛情を込めて接してくださったことに心から感謝を申し上げます。

エホバの組織の中で有用な若者となるよう期待し、育ててくださったにも拘らず、応えることができず申し訳ありませんでした。

これからも人々の賜物として沢山の重要な奉仕をなさることと思いますが、お体に気を付けながら邁進なさいますようお祈り申し上げます。

 

さようなら。

これからも皆様にエホバからの溢れんばかりの祝福がありますように。

 

                                                                        2018年3月16日