(人間が作った宗派の教えなどに)隔てられることなく、直接神に向き合って、 偉大なる神を知ろう。 神の摂理(ご計画)や、私の務め(使命)を。 そして、無限の神と、人類のことを。
こうして、(心の)迷いの雲は払われて、 (神の)光に頼る人々はみな、 神の御座(みくら)の栄光を、仰ぎ見るだろう。 長い時代にわたって隠されてきた秘密も、今はっきりと(明らかになって)。
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しかしながら、神が人間に与えようとしておられる、この清らかな幸福は、 今や、**「神の目的の展開(計画が進むこと)」と、「神の言葉(聖書)の正しい解釈」**とを通じて、 この世界に到来しつつあるのである。
そして、この本(本書)は、その「清らかな幸福」と「啓示」の一部であることを信ずるものです。
人間の(作り出した)むなしい空論を捨てて、神が私たちに授けてくださった「理性」を使いながら、聖書の研究に従事する者は(イザヤ書1章18節)、 「契約の虹」が天空にかかっているのを、必ずや見ることができるでしょう。
しかしながら、このような真理は、「信仰の目」を備えている者だけに理解できるものであって、 信じない者(不信者)には、とうてい窺い知ることのできない領域なのです。
イスラエルの詩人は、歌ってこう言いました。 「光(すなわち真理)は、義人(正しい人)のために蒔(ま)かれている」(詩編 97編11節)と。
(その言葉通り)神の子供たちには、その進む道から闇を追い払うための「ともしび」が与えられています。 「あなたのお言葉は、私の足のともしび、私の道の光です」(詩編 119編105節)。
しかしながら、光のように、ますます輝きを増していき、ついに真昼の明るさ(正午)に至るというのは、ただ「義人」の歩む道だけなのです(箴言 4章18節)。
もっとも(ただし)、ここで「義者(正しい人)」と呼ばれているのは、世間一般でいわゆる「義者(善人や人格者)」と言われている人たちのことではありません。ローマ人への手紙」3章10節
(ここで言う「義者」とは、)信仰によって「義(正しい)」とされた人々のことを指しているのです。
(時間が経つにつれて)いよいよ輝きを増していくその道を歩む特権を得たのは、**この意味における「義者」**であって、 そのような人々は、単に現在の事柄に関する神のご計画(経綸)の展開を見て取れるだけでなく、未来に属する事柄をも見ることができるのです。
もちろん、個々の信者の道が輝く道であることは明らかですが、この言葉(箴言の約束)は、義者、すなわち神によって義とされた人々の**「団体(全体)」に対して、特に適用されるべきものです。**
昔の父祖たち(師父)、預言者、使徒、そして過去から現在にわたる聖徒たちは、みなこの「いや増す(ますます増える)光」の中を歩んだ者たちであり、その光は現在の領域を超えて、「完全な日(真昼)」に至るまで輝くことでしょう。
ですから、この約束の成就を信じる義人は、主にあって喜ぶべきです。
(しかし残念なことに)多くの人々は、「より一層の光を得よう」とする信仰を持っていないために、 輝きを増していく光の中を歩むことができず、暗黒の中に住む者となってしまっているのです。