トランプが暗殺され損なったという件。

本音で言えば、
トランプ陣営からすれば「よくやったトランプ!暗殺事件は超追い風!これで勝てる!」だろうし、
反トランプ陣営からすれば「暗殺されちゃえばよかったのに」だろう。

だがこんな発言などは当然ごく身内同士くらいの与太話に留めるのが大人の社会で、
少なくともマスコミではそうした剥き出しの本音は絶対に上がらないようにするのが今までの世の習わしだった。
まああまりにもえげつないことを言うのはやめましょうという自主規制のようなものだ。

とはいえ、現実問題として、これだけ衝撃的な事件が起きれば、これを利用しない手はないのだ。
えげつない事実をいえば、トランプは生き残ったが、集会参加者に死者が出た。
この死者が出たことも大きなアドバンテージになる。トランプ陣営は悲劇の被害者側に立てるのだ。
今の世の中、ポリコレが蔓延したものだから、被害者ポジションに立てるのは何よりも強力なのだから。
実際、全世界の首脳はトランプの無事を喜ぶのとテロの卑劣さへの怒りをコメントしている。
「それ以外にコメントのしようがない」からだ。

ところが今の世の中は正義が過剰に攻撃的になり、自らの正しさを実現するよりも自分たち以外の不正義を叩きのめすことが目的化するようになってきている。
特にポリコレの暴走あたりからその傾向が顕著になってきている。
「少数者の権利を守りましょう」という正義から「少数者の権利を守らないやつは人類の敵」みたいな憎悪に変じ始めている。
環境保護運動がなぜか美術館の作品をペンキで毀損したり、菜食主義者がどういうわけか肉屋を襲撃するような意味のわからない暴走を始めている。
我が国でも、女性の権利向上を目指すはずのフェミニズムが、冤罪レイプをでっち上げて何ら法的手続きも踏まない魔女裁判で草津市長を辞任寸前まで追い込むなどの暴走が起きている。
ことほど左様に、現代の世の中では正義を標榜しつつやっていることは破壊と憎悪の暴走みたいなことがあちこちで頻発しているのだ。
正義は建前で、本音は憎悪というわけである。

そこへ来て、アメリカを二分、ひいては世界をすら二分しかねない敵味方が真っ二つに多い毀誉褒貶の激しいトランプの暗殺問題である。
今でこそ建前とうわべだけでトランプ無事で良かったね、とは言っているが、これからはそんなお行儀のいいこと言ってたら駄目だという流れが徐々に加速していくような予感がする。
支持者側も反対者側も。


左に偏向していることで名高いサンモニで膳場が「大統領選のプラスに"なりかねない"」と発言して炎上しているらしいが、でもこれからはこんな炎上は日常レベルに徐々になっていくのではないかな。
まして今ネットでは正義と憎悪がいくらでも暴走する下地が出来上がっており、炎上の火種はそこかしこにばらまかれている。
そこにあのトランプが、暗殺という超ビッグアクシデントに見舞われ、そして生き延びちゃったわけだ。
もうこれ以上ない最高の燃料、ガソリンである。

本来えげつない剥き出しの本音を言うのはやめましょうと自制してきたマスコミからして、サンモニが正義を暴走させてタガを緩ませてきた。
膳場の発言はそうしたいきさつから生まれた必然だし、そこからきれいごとのタガが緩まないはずがないのだ。
っていうか明らかに反トランプ派の人間が「このような過剰な英雄視は悪しきポピュリズムに繋がる」みたいなきれいごとを言ってももう誰も信じなくなるレベルに達してきている。「トランプを信じるやつはバカ」と言いたいだけなのをうわべだけ取り繕っているのがあからさまに透けて見えてしまうからだ。

そもそもこの暗殺事件自体が、正義の暴走から生まれたようなものだ。
安倍晋三が暗殺されても、暗殺した人殺しの山上には連日差し入れが届くという。
ロシアが戦争を起こしハマスがテロを起こしイスラエルが報復戦争を起こした。
正義がどんどん多極化して憎悪を孕み、いままでの自制のタガを緩ませつつ、きれいごとを全く無視した剥き出しの感情を解放させていく。
個人的には、ポリコレの暴走をもっと早く嗜めておくことができればこんなことにはならなかったんじゃないかと思うが、もう時すでに遅しだ。
ポリコレの暴走を放置した結果生まれたのがトランプだったしな。


11月の選挙までに、暗殺レベルのもう一波乱が起きるような気がしてならない。


今回の都知事選で色々気になることや考えたことがあった。
そして、答えが分からない以上、いろんな予想や考察などをしてもみた。
でも結局「小池圧勝」という答えを知ってしまったら、その答えが唯一無二の事実で確定する。
そうすると、選挙前に遭った様々な不確定要素...「こういう可能性もあり、あんな可能性もある」と考えていたのに、選挙前まであった小池圧勝以外のあらゆる可能性が一気に雲散霧消するのだ。


一度答えを知ってしまうと、あらゆる考察がその答えから逆算した後知恵になる。
蓮舫が負けるのは必然だった、くらいの記事が山程量産される。
小池圧勝、蓮舫敗北の確定した答えに沿っていた予想は、私に言わせれば逆に大して価値はない。
現実にはならなかったものの、もしかしてこうなるのではないかと思っていたことが、なぜ現実にならなかったのか。
そして、なぜ「もしかしたらこうなるのではないか」と思ったのか、それこそが一番大事なことだと思う。


そこで、選挙前に考えたり予想したりしたことをいろいろと振り返ってみたい。
大きく分けて蓮舫、石丸、暇空のそれぞれで反省点がある。
今回は蓮舫に関する都知事選開票前の予想等々について反省したい。






まず立憲民主党が自民の裏金問題を批判していたことについて。
立民も結局パーティーやったじゃないかという逆批判は大したことないと私は踏んでいた。
そして、その現政権への不満をテコにして、「お灸をすえたい」という怒りが増幅すれば、蓮舫都知事誕生もあながち非現実的ではなかった。
蓮舫惨敗の結果が出た今でも、その判断自体に間違いはないと私は考えている。
蓮舫が惨敗したところで、自民の圧倒的不人気が回復するわけがない。
もっとその怒りの炎を正しく煽り立てることができていれば、勝利まではいかなくとも惜敗、少なくとも惨敗は絶対なかったはずだ。


私の予想外だったのは、蓮舫があそこまで共産党をはじめとした極左系の支持者に染まるのか、ということだった。
蓮舫の選挙実務陣営は、殊の外極左系に侵食されてしまっていたようだ。
そして何より驚いたのは、立民執行部が蓮舫の惨敗に本気で驚いていたことだった。
候補者調整という現実問題では共産党との連携もやむなしという判断はかなり合理的だと思うが、その共産党の連中とセットで流入してしまう市民連合のような極左チンピラ連中の負の影響を全くマイナスだと思っていないところが盲点だった。


共産党単体との連携だったら別に私は問題ないと思う。
野党と連携して戦略的に与党を打倒するという判断自体は極めて合理的だからだ。
だが事前運動を平然と行い、小池辞めろコールで公然と演説を妨害し、挙げ句Rシールをそこかしこに貼るようなやり方が、支持されるわけがないのだ。
ここまでくれば完全な極左である。
共産党はこうした極左的なやり方や思想と極めて親和的であったが、しかし今まではそれを隠然と抑えていてさほど明るみに出なかった。
一つは、正義だの平和だの人権だのという美辞麗句で表面を取り繕ったので極左の負の側面を眩惑してきたことと、
もう一つは所詮弱小政党であるので多少ルール違反があったとしても捨て置かれていたという現実的問題があったのだろう。それこそRシール以外の違法なシールや落書きが町中で放置されていたことと同様である。
リンチ共産党事件から共産党の極左的独善性は何一つ変わるところはないと私は思うが、しかし表面上の正義を取り繕うことで、弱小ではありながらも地盤は強固という今日の共産党のスタイルが定着していた。
なので、その強固な地盤を利用するという意味では立民の判断は合理的だった。
ところが、極左的な連中の侵食がマイナスだと判断できなかった立民の不明に私は驚いたのだった。


「共産党との連携は極左の影響とセットだろうが!」という批判もあるかもしれないが、そこはしたたかに
「共産党が普段主張している正義や平和や人権や女性差別問題やLGBT問題こそと連携しているのであって、選挙違反の疑いが濃厚な事前運動や演説妨害やシール貼りなどは断固として拒否する」
などとすれば共産党の美味しいところだけもらってヤバいところは切り捨てられたはずだ。
立民にそうした相手を利用する算盤勘定がまったくなかった、というところに驚きを隠せないのである。


これも選挙後に分かったことだが、蓮舫はどうやら選挙実務には全く関与せず、選挙活動自体に一家言は全くないタイプの政治家だったようだ。
良く言えば「私は知名度を活かして演説とか頑張るから、実務はみなさんよろしくね」というタイプの政治家だったということのようなのだ。
だから神宮再開発問題も、今まで全く関心もなく一つも言及してこなかったのに、選挙が始まった途端振付師に操られるマネキンよろしく突然イシューとして声高に主張したのだろう。
なので選対の実務力こそが要になるところ、今回はその極左の影響がそこかしこに侵食し、正義のためなら違反行為なにするものぞという思想が蓮舫陣営の選挙活動に蔓延していたというのが今回の惨敗の本質だったのだろうというところだ。


というわけで、蓮舫惨敗という結果を受けても、「お灸を据えたい衝動」は毫も衰えていないというのが私の一応の結論である。
その衝動の受け皿になったのが石丸だったのだが、まあまず半年ももたないだろう。これは石丸に関する問題として改めて反省する。


立民は情勢分析力がこの体たらくなので、よほど真摯な分析と自己反省を行って9月の立民の代表選挙を盛り返さない限り党勢凋落は免れ得ないだろう。
そうするとまたお決まりのパターンで、新党乱立といういつか来た道の繰り返しになるだろうと思われる。
自民党もまた分裂するだろう。派閥まで解散させておきながら、岸田には全く明確なビジョンが見えない。
安倍も殺されてしまったし、第2第3の石丸みたいなのも含めて、既存政党の合従連衡が起きて乱痴気騒ぎになるのではないかという予感がする。




今回の都知事選の蓮舫に関する私の反省は、蓮舫や立民が極左の行儀の悪さを全く行儀が悪いと考えていなかったことを見抜けなかった不明にある。
逆に言えば、私が思っている以上に、極左のやり方に問題はないと考える勢力が少なくないということだった。
都知事選を勝利に導く力は無いが、さりとて1つや2つではない明らかな選挙法違反を多く繰り返しても摘発しづらい程度には権力や利権を有しているのだ、ということだ。


これも既存秩序が不安定になっていることの一環として捉えられるだろう。
すでに蓮舫は事前運動問題で告発を受けているが、まあ十中八九お咎めなしだろう。
精々選挙妨害やシール貼りで極左の末端舎弟がお勤めを果たす程度で数人立件されるのが関の山ではないか。それすら五分五分で無罪の可能性も十分あると見ている。
逸脱したのが一人二人なら官憲当局も挙げやすいが、その対象が大勢となれば当然躊躇するだろう。
実行部隊こそ数人程度であっても、それを擁護する連中が少なくないのなら二の足を踏むのが当然だからだ。
チャップリンが言う「一人殺せば犯罪者、百万人殺せば英雄」理論である。


正義の実現のためには、多少の逸脱があっても何の問題があるのだとする勢力。これが今後どれだけ増えるのか。
既存の正義がどれだけ悪くて新しい正義がどれだけ良いかという問題。
そして、既存の正義の悪さに比して、新しい正義がどれだけ悪いことをして許されるのかという問題。
新しい正義が正しいことだけやってくれればこんなにわかりやすいことはないのだが、まあそんな正義があってくれてたのならハナから世相はこんなに混乱してギスギスすることはなかったのだろう。
海外に目を向けてみれば、泡沫の極右と目されていた勢力が驚くほどの伸長を遂げている。
右とか左という判断をすると目測を見誤る。
要は、既存秩序に対する不満を、誰がどれだけ巧みに吸い上げるかという点だ。
今回は蓮舫と立民が失敗したが、しかし不満は未だに回収されずに渦巻いている。
満足を目指すのではなく、不満を煽る戦いが繰り広げられる限り、似たようなことがまた今後も繰り返されていくことになるのだろう。


https://mainichi.jp/articles/20240707/k00/00m/010/147000c
https://www.asahi.com/articles/ASS774DP7S77UTFK00NM.html

「信じられない」
「何が原因かよくわからない」

結果が出てしまった後なので、ここで蓮舫の敗因を語っても後知恵になってしまうだろう。
それよりも、立憲民主党首脳部や執行部はかなり本気で蓮舫の勝利を信じており、敗北する原因などないと考えていたことがわかる。
その衝撃たるや相当のものだろう。

これに対して共産党の反応は呑気なものだった。
https://mainichi.jp/articles/20240707/k00/00m/010/150000c
「意味ない戦いなどではなかった」
負け戦が日常だから、敗北してもびくともせず動じない。
敗北に意味を見出さず、今までの戦いこそに意味があるということで、これからも決して変わりませんという決意表明だ。
反省もなにもあったものではない。
っつかなんで小池がしゃしゃり出てるんだ。党首は田村に変わったはずだろうに。

こうした共産党のふてぶてしさと対比すると、立憲民主党の反応はナイーブと言うか、初々しさまで感じるくらいだ。
それだけ立憲民主党は勝利を信じ、支持を信じ、自らの拠り所とする正義を信じていたのだろう。

これは相当なショックだと思う。
決して表には出さないだろうが、「裏切られた」という気持ちすら起きるのではないだろうか。

それだけ正義が多様化して、ダイバーシティの正義が浸透してきているのだ。
「都知事選は小池VS蓮舫の二項対立にならず議論が多様化してよかった」などと牧歌的に評している人がいるが、これは本来はとても恐ろしいことなのだ。
正義が多様化しているのだから。
多様化した正義が棲み分けをして平和的に過ごせれば問題はないが、しかしたとえその棲み分けが実現したとしてもそう長くは続かないだろう。

今までは大多数の人がなんとなく小池を選んでいたのが、
これからはある人は石丸、ある人は蓮舫、ある人は小池、そして第二第三第四の次世代ヴァージョン石丸が出現して票をバラけさせる多様な正義が出現し、
百家争鳴の春秋時代が起きる可能性は十分高いと考えている。

立憲民主党の今回の敗北のショックは、これから様々な正義が味わうショックの嚆矢なのではないかという予感がしている。
既存秩序も不安定になっている。
秩序が不安定になり、新たな正義が生まれるということは、正義自体も不安定になることを意味する。


そういう意味では神宮再開発を争点とした今回の蓮舫陣営の戦略は、そうした正義の多様性と相対化を象徴しているかもしれない。
蓮舫陣営では鉄板でガチの正義だったはずだ。なにせ信じていたんだから。
だけれど選挙や、世論や、社会の空気がそれを選ばなかった。
有り体に言えば、石丸に浮気した。
神宮再開発はここで賞味期限切れで腐ってしまったが、しかし次は石丸の番だと思う。
石丸の掲げる正義も、多様化して相対化してこぢんまりとしたセクトに分かれて弱体化するはずで、それこそ小規模な自治体レベルではなんとかなるが、数百万規模の世論を問うとなれば、とても束ねきれるだけの正義の力は発揮できないだろう。
石丸の正義は石丸個人が主張する正義ではなく、蓮舫の正義のかけがえとして代替的に選ばれたに過ぎない。
石丸の選挙戦略それ自体に、固有の政策よりも祭り的な雰囲気で投票しようと煽った出自がある。
正義の相対化で勝利をした石丸は、その相対化が故に自らは絶対的に強くなれないだろうと思う。

思うに、圧倒的世界第一位だったアメリカの大統領選挙からしてあのグダグダ感である。
11月を目前にして今から候補者を入れ替えろとか、お前さあ8月の終盤で夏休みの宿題終わってない小学生じゃないんだから、
的なことをあのアメリカがやらかしているのだ。
鉄板の候補者、つまり大勢多数の正義の代弁者という存在は、これからの世界はますますいなくなって縮小均衡になっていくだろう。
小勢力が乱立して、大きくまとまる秩序というものはこれからどんどん少なく小さく狭くなっていくのではないだろうか・・・
10年経ったら、あのとき小池でまとまることができたのが最後の一体感だったな、と振り返る日が来そうな予感がする。

今回の都知事選での候補者乱立というのはおふざけレベルだったが、これからはあのカオスが真面目なレベルで起きることになるのではないか。



立憲民主党が味わった正義の喪失。冒頭の記事を見て私は結構慄然とした。
これは他人事じゃない。
自分の信じた正義が失われるというのは、並大抵のショックではないと思う。
正義ってのは大勢が信じるからこそ正義だと思ったのに、それが逃げ水のごとく自分から遠のいていく。
次は自分の信じる正義の番かも、と思うなら、慄然しない方が嘘だろう。