こんばんは!動点Pです.
明日から12月ですね!昨日も書きましたが年末に実家に帰るのが楽しみです.弟の声変りがそろそろ終わっているはずです笑.
今日はいつもとは違った感じのブログです.昨日書きましたが僕は吃音症です.そのせいで中学や高校の大部分の時間を無駄にしました.一人でいるときにはずっとそのことを考えてしまいますし,音読がある授業をどうやって休もうかなどいろいろな無駄な時間を過ごしてしまいました.今思えばあの時間をすべて数学に使えたら,もっと頭がよくなっていたんだろうなとも思います.吃音が理由で自殺するのはありなのかとかも考えたことがあります笑.
そんな感じに悩む人たち,特に中高生に向けて,僕なりのアドバイスを書きます.というか僕にとってのアドバイスでもあるかもしれません.まずは吃音で悩む人に親近感を持ってもらうためにも,あまり吃音を知らない人のためにも僕の経験をいくつか書きます.前編は僕の体験です.
まずは小学生のときですね.まだこのときは自分であまり自覚していなかったように思えます.言葉はつまってしまうので,からかわれることはたくさんありましたが,あまり大事に考えていませんでした.ただ,1個強烈に覚えていることがあって,僕が小学校2年生の時のことです.
その日は国語の授業参観で,3人くらいのグループに分かれて教科書を交代で音読していく授業でした.ほかのグループが教科書を読み終える中で僕の班だけずっと終わらなかったんですよ.僕が全く言葉が出てこなかったからです.1回も交代することなく,15分くらい僕の無言タイムで,たまにちょっと読めるくらいで終わってしまいました笑.今思えばあれを放置していた先生は何なんですかね笑.僕の弟も吃音ですが,もし弟の授業参観に行ってそんな感じだったら,僕は先生をボコボコに殴ります笑.
次は中学生のときです.このときくらいから自分は何かおかしいと思い始めました.中学一年生の時のことです.実はその時に学級委員をやっていたんですよ.そこで痛い目を見たので人前に立つようになったのはその時で終わりましたけど.
僕のクラスでは授業の最初に学級委員が,「起立!お願いします」みたいなことを言うんですよ.まあ,普通の光景ですよね.僕は起立が途中から言えなくなりました.授業が始まる前は不安になりますし,言い終わってもまた次の授業があります.そのせいで本当に地獄でした.本気で夏休みが終わったら学校が爆発してないかなと思いました.行事があるたびに前に出る機会はありますし,そのたびに笑われた記憶があります.
そうなると自分でもどうして言葉が出てこないのだろうと思うわけです.ふとネットで「言葉が出てこない 病気」みたいなことを検索して,そこで初めて吃音という言葉を知りました.その日の夜にお父さんにそのこと伝えたんですよ.今でも覚えていますが,札幌味噌ラーメンみたいなとこでした.「今日ネットで吃音というものを見つけたんだけど,自分はこれのような気がする」と言った気がします.その時のどきどきも覚えていますね.
それを聞いてお父さんが何を言ったかわかりますか?笑
そんなのは調べたらもっと気にするものなんだから,もう調べるな
と言われました.僕が「いやいやそんなこと言っても吃音なら仕方ないじゃん」と言いかけたら,話を遮られて「うるさいもう話すな」みたいなことを言われた記憶があります.
すごいですよね笑.大正でもそんな根性論なさそうです笑.僕は記憶にないのですが後から聞いたのは,小学校の時の音読の宿題も,僕のお父さんとおばあちゃんは,僕が詰まってしまうたびに何度もやり直しをさせていたらしいです.そのせいで余計言葉が詰まってしまうのは言うまでもありませんね.
そんな感じで周りの理解もなくかなり地獄でした.今では親にも感謝できるようになりましたが,それに加えて色々親のごたごたに巻き込まれて,客観的にみるとちょっと悲惨ですね.自分が可哀想だなんて言ってはいけない気もしますが,今考えてみるとよく頑張ってきたなとも思います笑.
これくらいで僕の吃音人生はそこそこ伝わりましたか.親近感を持ってもらえたら嬉しいです.次はどうすればよいについて書きます.
今日はこのくらいにします!見てくださった方ありがとうございました.