こんばんは!動点Pです。

来週の月曜日は祝日ということを今日知った時はテンション上がりました笑。そうなると月曜日の授業は今日が最終回でした。はやーいって感じです。


「集合と位相」っていう数学の講義があるんですけど、それは今日が最終回でした。ちょこちょこ書いていると思いますが、この科目は抽象度がとてつもなく高いです。端的にいうと、集合に位相という区切りを入れて、「近い」や「遠い」を定められる空間を作ります。次から始まるまとまりの文章は今言ったことの説明なので、興味が無ければ飛ばしてください笑。


例えば、中学や高校で関数というものを学びます。そこでは実数から実数への対応関係があって、「関数が連続なのか」みたいな話をします。これというのは実数同士に距離が定まっていることから、連続の定義を作れるんですよね。その拡張として、距離の考えられない集合に、物差しを入れて距離みたいなものを考えられるようにして、連続というものを考えようというのが目的です。そうすると、集合と集合の間に対応関係が作れるのでさまざまな性質が言えるようになります。


今のは前置きで、今日話したいのは「どうして大学数学は難しく感じられてしまうのか」です。よく言われることですが高校から大学に上がると、化学は物理に、物理は数学に、そして数学は哲学になると表現されます。その言葉からも分からように大学数学は抽象度が増します。特に冒頭で話した「集合と位相」という科目は大学数学の中でも難しいとされています。どうして難しいと感じられてしまうのかを、3ヶ月ほど勉強して分かったことを書きます。



大きな理由は「完成された抽象的な理論を学ぶから」だと思います。  


高校までの数学は抽象度が大して高くなくて、人間が普通に生活してたら感覚的に分かるものが多いです。なので定義や定理の多くは証明には困ることもあるかもしれませんが、理解できないということはないと思います。あとは小学校の算数から高校の数学で段々と抽象的になるので、少しづつ理解を深めることが出来ます。


それに対して、大学数学では一気に抽象度を上げることで様々なものに適応ができるようにします。例えば、直角三角形の公式よりも、一般の三角形の公式の方が適応範囲は広いですよね。そのように抽象化をすると応用が効きやすくなります。「集合と位相」という科目では最小限の定義だけをして、これから学ぶ様々な数学を記述する言葉のような役割をしているのではないかと僕は思っています。


「完成された抽象的な理論」とさっき書きましたが、完成されているというのも大学数学が難しい理由です。今後の数学に備えて難しいことを勉強するため、学ぶ段階ではどうして勉強するのか、どうしてこのような定義や定理を学ぶのかが理解できない場合が多いからです。


どうして勉強するかも分からないまま、意味のわからない定義がバンバン出てきて何とか理解しないといけないというのが大学数学が哲学と言われてしまう原因な気がしました。


ここまで数学のネガキャンみたいなことをしましたが、良いところも沢山あります笑。僕が1番気に入っているのは、最小限の定義を決めるだけで色々なことが分かることですね。一般化をすれば今まで見えなかった共通点が見えてくるので、より簡潔な議論をできるようになります。僕も「集合と位相」の科目は何を言っているのか分からなくて苦戦した時期もありましたが、今ではその抽象度の高さに惹かれて、今後どういう数学的な性質が言えるのかとても楽しみです。


これから大学で数学をやる人たちは面食らわないように多少頭の片隅に入れておくと良いかもしれませんね笑。


今日はこのくらいにします!見てくださった方ありがとうございました。