こんばんは!動点Pです。

昨日は悲しいニュースがありましたね。誰であっても亡くなってしまうというのは悲しいことです。寿命や病気で亡くなってしまうのも、勿論耐え難い悲しさはありますが、1日前は元気に生きていた人が他の人の手によって人生が締められてしまうのは、どこに置けばよいか分からない悲しみがあります。ご本人とご家族とその周りの方々の幸福が来ることを願っています。


悲しい話はこれくらいにしましょう。きっと目に見えるものだけが全てじゃないです。と言うよりそう信じる他ないみたいな感じですけど。ここからは明るくいきますね。






一気に話は変わって、今日突然英語を勉強する意味がわかりました。やっとかいって感じですよね笑。僕は英語が少々嫌いであると言うのもありますが、それ以上に西洋至上主義みたいなものが嫌いです笑。そこは触れませんが…笑


まず英語が嫌いというのは、英語を否定してあるわけではなくて、外国語を勉強する前にまずは母国語をしっかりやった方が良いと思うからです。過激なことを言うと、「日本語が理解できないのに英語をやって何になるんだよ」と僕は思っています。


地頭の良さみたいな言われ方がよくされますが、それは言語能力みたいな部分が多いように僕は感じます。同じ文章を読んだとしても言語能力によって理解力が全然違う場合を沢山見てきました。


最近は国語も英語も実用的な部分が重要視されています。確かにそれらは成果が目に見えやすく、学ぶ側も勉強しやすいとは思いますが、もう少し頭を使ってしっかり考えるということをやって欲しいです。難しいことが理解できて初めて現実に応用が効くわけで、初めから役に立つ内容だけ勉強しても根本的には何も理解できません。


まぁそれは理想論な訳で、現実的に考えて何を削るかも考えないと不公平ではありますよね。話が逸れてしまうので今は説明しませんが、僕は数学を削るべきだと思っています。


それで僕が今日わかった英語を勉強する意味ですが、それは言語の勉強の仕方を学ぶためだと思いました。今日中国語の授業を受けていてふと思いついたんですよね。勉強する意味というとたいそうな事に聞こえますが、あくまで僕が今日感じた一例です。


少し説明すると、日本人が一から勉強する言語は日本語ではありませんよね。日本語は勉強すると言うよりも体に染み付くようなものです。未知の言葉に対して、文法や単語を段々と勉強していくのは英語が初めてだと思います。


言語が人間にとっていかに重要かは言うまでもないですよね。なのでその重要な言語を学ぶ練習として、最もメジャーな英語という言語を習得するのは妥当なことだと思いました。


まぁ僕は実用的というより学問的な人間なので、賛否は分かれるかもしれませんね。どちらがより優れていると言うのは無く、バランスをとっていかないとダメですね。学問よりの人間が多数派になってしまうと、非効率すぎて世界は回らないと思います笑。


実用的な効果というのは実感されやすいですが、学問的な効果は実際に頭を使って学んだ人しか理解できず、なおかつ時間がかかるため疎かになってしまうのは分かりますけどね。


今日はこのくらいにします!見てくださった方ありがとうございました。