どもども!毎度こんにちは。


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て事で、あとはぐうたら日記です。
読み飛ばして下さい^^;


きょうのあさめしはサトウのごはんと、出汁巻たまごとコーンスープ

絶妙な組み合わせでしょ?



最速5分で完食、9時02分に我が家を飛び立ちました



自宅そばのローソンに普段通り入店して、ジョージアのコーヒーをサクッと買いました。



朝はこれに限ります。。



現場に行ったら、いつものようにニュースの確認をする私(^^)

今日のヘッドラインは?

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 プロ野球、元広島のエース、外木場義郎さん(67)が完全試合を成し遂げたのは、44年前の1968年9月14日の大洋戦(広島)。伝説の大投手、沢村栄治(巨人)に肩を並べる3度のノーヒットノーランを「狙ったことはない。ツキがあった」と振り返る“沢村賞男”が快投の舞台裏と、未来の球界を担う後輩たちへの期待を語った。

 現役15年間で通算445試合に登板。ベストゲームはどの無安打無得点の試合かと思いきや、意外にも本人の答えは違った。

 「昭和50年の初優勝を懸けた10月15日(巨人戦)。自分が投げて(8回途中まで無失点に抑えて20勝目)貢献した試合が一番でしょうね。その後が完全試合やノーヒットノーランかな」

 1度もできない大投手が多い中、なぜ大記録を3度もできたのか。

 「自分でも考えたことないんですよ。若い人が“投げる時は完全試合、走者出したらノーヒット狙う”とか言うけど、僕は初めから狙ってやろうと考えたことはない。ただ勝ちたいのが一番。自分ひとりで投げ抜いてやるという考えなんですよ」

 今年は広島・前田健太(4月6日、DeNA戦)巨人・杉内俊哉(5月30日、楽天戦)と2人のノーヒッターが誕生した。

 「杉内は高校が(同じ)鹿児島(外木場=出水、杉内=鹿児島実)。9回2死までパーフェクト。(27人目の打者に)フルカウントになった時に甘いボールはいけないという感覚があるんでしょうね。完全試合でなくても、塁に出してノーヒットならと考えたんじゃないですか。しっかりしていると思いました」

 最初のノーヒットノーランはプロ1年目、先発2度目の阪神戦だった。

 「無我夢中。私は敗戦処理要員で先発じゃなかったんです。大羽進さん(59年プロ入り、当時25歳の左投手)が練習中に膝を故障して、(先発が)回ってきて、それが記録につながった。投げ合ったのは村山(実)さん。(自分自身が)阪神ファンであこがれてましたからね」

 2度目は68年の大洋戦。史上10人目の完全試合。

 「前の晩から昼過ぎまで雨が降ってまして、中止だなって。それがやんだ。グラウンドに行ったら、まだ下が軟らかくて、これは無理じゃないかって。やるちゅうからしようがないですよ。投げる以上勝たないといけない気持ちでした」

 最初のノーヒットノーランは三振は3。だが、この日は違った。当時のセ・リーグタイの16奪三振まで記録した。

 「僕は肘が持病で、湿気が多い時にはあまりいい感じじゃない。でも、湿ってるから、晴れているより(ボールが)指にかかったんですよ。僕は9回2死から記録より、この打者を絶対抑えてやると考えていた。結果、完全試合だっただけ。気付いたのは7回。ベンチの雰囲気がどうしても違うんです(苦笑い)」

 投球数は114。三振が多かったこともあり、少なくはなかった。

 「フルカウントは1度。(5回2死からの)近藤昭さんにね(当時の報知新聞によれば、フルカウントは2度=初回の近藤和、3ボールも他に1度=5回の松原)。三振になりましたけど、自分ではコントロールも良かったです。当時の大洋は打ち出したら打つ、打てなかったら打てない。でも、強力な打線でした」

 大きなカーブが特徴だったが、速球投手。当時の担当記者は150キロを超えていたという。

 「巨人の江川卓の全盛期に、広島OBで審判の山本文男さんに『俺が見た中でお前の方が速い』と言われました。カーブでなくストレートで勝負したろうと思ってましたしね。大洋戦の16三振もカーブは2つぐらい」

 72年は8連覇を目指す巨人相手だった。3度目の偉業は沢村栄治以来、2人目のことだった。

 「それを意識してやったわけじゃない。沢村さんのフォームをビデオで見たことありますよ。大きくない体(174センチ、71キロ)でいい投げ方なんですよ。戦争がなかったら、5、6回やってるんじゃないですか」

 現役当時は巨人の黄金時代真っただ中。特別な思いはあった。

 「テレビいうたら、当時は巨人戦しかないんです。自分の名前を売ろうと思ったら、巨人戦という考えはありました」

 ONとも数多くの力勝負を繰り広げた。

 「王さんは満遍なく打つ。長嶋さんは私のカーブにタイミングが合わないところはあったけど、みんなが打てないようなところを打つすごさを持っていました。あの人のホームランはライナー。広島市民球場でもショートがジャンプしたら捕れるんじゃないかという打球が左中間に入っていくんです」

 広島といえば、練習量の多さ。現在と比べてどうだったのか。

 「練習前に2時間ぶっ通しで走るんです。大変で厳しい練習でした。日南の天福球場の山も30回登るんです。結構な坂だけど、これはまだ序の口。100メートルを30本、50メートルを30本とか、もうすごい。ノックも地獄ですよ。プロに入る時は楽と思ってたんですけど、何が何が。脂汗が出て、腹の皮が痛くなって笑えんのです。今の選手は強くなる前にアウトでしょう」

 沢村の3度目の無安打無得点から32年後に肩を並べた外木場。だが、この40年、「外木場以来」はおろか、2度達成した投手も71年の鈴木啓示(近鉄)以来、現れていない。

 「記録はみんな破られるんですよ。こないだ、安仁屋宗八さんと、破るとしたらマエケンじゃろって。まだ若いし、可能性は高いでしょう。生きとる間に誰かにやってもらいたいですね。いずれ出てくるでしょう。それがカープのピッチャーなら理想ですよ」

 ◆外木場義郎(そとこば・よしろう)1945年6月1日、鹿児島県生まれ。67歳。出水高では甲子園出場なし。電電九州を経て、65年に広島入り。沢村賞、最多勝1度(75年)、最優秀防御率1度(68年)。79年に引退した。引退後は広島(80~90、96~99年)オリックス(91~93年)で投手コーチを務めた。現在は広島で野球解説者として活躍しながら、後進の指導にあたっている。通算成績は445試合に登板し、131勝138敗3セーブ、防御率2.88。現役時代のサイズは175センチ、73キロ。右投右打。背番号は沢村栄治と同じ14。
(この記事はスポーツ報知から引用させて頂きました)



へえ~。。。

興味ないな(笑)



話は変わって、我仕事について。

段取り的にはメルマガアフィリエイトに8時間と、ブログテンプレの張替えに5時間。



慣れているので問題無いだろう



今日もがんばって稼がねば!



稼ぐと言えばこれ?

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・・・失礼ぜんぜん関係無い?

またやっちゃった?



さてさてディナーは何しよ?

すき焼きかエビチリがくいてーなー^^;



これも良いか?

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たぶんNEXT記事はどうしても明日になります^^;

ということで、一旦さようなら