死について考えることって、誰にでもあることだと思います。ふとした瞬間に、心に浮かぶテーマですよね。私もちょうど考えていたので、思ったことをブログに綴ってみました✨️
「死」について考える時、私の頭に高校時代に興味を持って調べた『竹取物語』が蘇ります。ジブリ作品にもなった有名な物語ですが、個人的にはすごく深いお話だと思っています。
話を進める前に、そもそもかぐや姫が月から追放された「罪」とは何だったのでしょう。さまざまな解釈がありますが、高畑勲監督の考えでは、かぐや姫が「地上に憧れを持ったこと」そのものが罪とされています。そのため罰として地上に送り込まれ、人間として愛や喜び、悲しみ、そして生きることの辛さを味わうことになったのです。月の住人には負の感情がありません。だからこそ、そうした感情を知ることが、かぐや姫の人生に大きな変化をもたらしたのではないでしょうか。
「死ぬ」ということは、感情の世界から離れて元の「無」の状態に戻ることなのかもしれません。生まれる前の「無」を考えると、そこには痛みや恐れはなかったはずです。しかし、いったん「感情」を知ってしまった私たちには、その感情が消えてしまうことへの不安が残ります。かぐや姫が最後に衣を羽織るのを拒んだのは、単に月に帰るのが嫌だったわけではなく、地上で得た感情や思い出が「無」に戻ることを恐れたからなのではないかと感じます。彼女にとって、地球での生活は「生きた証」そのものであり、それを消し去ってしまうのは、まさに死と同じように感じられたのかもしれません。
私たちが「死」を恐れる理由も、きっと経験した感情や思い出が消えてしまうことへの恐れからきているのでしょう。だからこそ、人々は言葉を残し、記録し、自分の存在を証明しようとするのかもしれません。生きた証や思い出が形となって残ることで、死後も存在し続けることができると信じているのでしょう。
また、かぐや姫の物語には仏教的なテーマも感じられます。仏教において「涅槃(ねはん)」とは、生死を超越した境地であり、すべての苦しみや欲望から完全に解放された状態を指します。多くの人にとって、それは究極の平安とされていますが、かぐや姫にとっての「無」への帰還は、地上で得た感情や思い出を手放し、喪失に等しい「死」を意味していたのではないでしょうか。地上で経験した愛や喜び、そして苦しみは、彼女にとって単なる苦しみではなく、「生きる」ことそのものの豊かさや温もりを象徴していたように思えます。だからこそ、地球を「美しい」と評した彼女の言葉には、物理的な美しさ以上に人間らしい感情や記憶への愛情が込められていたのだと思います。
このように、かぐや姫の物語は、私たちにとって「生きること」と「無に還ること」の意味を問いかけてくれます。『千と千尋の神隠し』の銭婆の「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」というセリフがあるように、かぐや姫の心にも、例え思い出せなくても、魂にはその感情や思い出がずっと刻まれているのかもしれません。それを思うと、たとえ私たちがいつか死んでも、生きた証や感情はどこかに刻まれ続ける気がして、少しだけ死への恐怖が薄れるように感じます。
かぐや姫の作者は誰か定かではありませんが、生きることや感情の価値、そして無に還る切なさを深く理解していたのではないでしょうか。この物語が今も愛され続けているのも、私たちの心に響くものがあるからなのでしょうね✨️