日々、気温が下がり秋が深まる頃、東京の西郊の国立を訪れました。
最近復元が話題になっている三角屋根の駅舎は当時は現役。古びた小さな駅舎とバスやタクシーで混雑する駅前広場が昭和を感じさせます。
地図で確認すると良く分かりますが、国立駅の南側は駅の新設に併せて大規模な区画整理が行われた整然とした街。駅から三方向に大通りが延びて、枡目状に整然と区画された良質な宅地が広がります。今も変わらないのが駅前通りの並木道。この景観を壊すからと高層マンションが取り壊されたのは最近のことです。
国立の街づくりにあたって、都内から公立・私立の多くの学校が誘致されました。その一つが千代田区一橋から移転してきた国立一橋大学です。
駅からほど近い広大なキャンパス、当時は昭和初期に建築された古色蒼然とした校舎が幾つも建っていました。
一際目立つのがロマネスクようしきの一橋講堂。数々の名建築を手がけた伊藤忠太の設計です。
外壁は薄茶色のスクラッチタイル。昭和初期に特徴的な建材で、関東大震災後の復興建築に多様されました。
校舎の多くが古い様式建築。ゴシック様式やバロック様式などとの折衷式もあって、今に続く整然としたインターナショナル様式とは違って、細部を見学するのが楽しくて、この頃は散歩の大きな目的の一つになっていました。
国立駅の北側は少々雑然とはしているもののお屋敷も多い住宅街。当時すでに珍しくなっていた昭和初期に建てられたであろう文化住宅なども、まだまだ沢山残っていました。
文化住宅とは当時流行した郊外住宅の様式で、基本は日本式の住宅に様式のリビングやキッチン、応接間などを組み合わせたもの。どうやら明治期の和館と洋館を隣接させる貴族や富豪の御屋敷をギュッと凝縮させたもののようで、高級官僚や大学教授・文化人といった純富裕層の郊外住宅として多く建設されました。玄関脇の応接間は西洋式、家族が生活する居間は畳敷。こんな文化住宅も今は殆ど姿を消してしまいましたが、小金井の江戸東京たてもの園に何棟が移築保存されています。
駅から北に歩いていくと旧玉川上水にあたります。
江戸の人々に潤沢で綺麗な水を届けた人工の水路。既に役目を終えて久しかったこの頃ですが、保存運動も盛んで水路沿いは雑木林の繁る遊歩道が整備されて地域に愛される身近な場所になっていました。
玉川上水は遥か遠い多摩川沿いの羽村に取水堰を設けて、都内四谷まで江戸時代に開削されました。今も取水堰は現役ですが、取水まもなく大きな地下水路に大半の水が流されて、旧水路には保全などに必要な最小限の水のみが流されています。この近辺から井の頭公園あたりは遊歩道なども良く整備されていて、春は桜・秋は紅葉を楽しむハイカーなどが多く訪れます。
水路途中にはゴミなどを除去する大型施設。開店する網で落ち葉やゴミを掬い取ります。なお、玉川上水の旧水路は今も水道局の管轄で、両岸のフェンスから内側は立ち入り禁止です。














