音楽評論家の萩原健太氏がラジオの音楽番組にゲストで招かれた時、ジョンのロックンロールナンバーを流したところ、ナビゲーターの女性DJが『ジョン・レノンってこんな激しい曲も歌うんですね!』とのたまったそうだ(笑)
このように、今では一般的に『愛と平和を歌うバラードミュージシャン』的扱いされる事があるジョンだが、本質はロックンローラーであり、ロックンロールのみならずバラードからポップソングまで手掛ける天才肌のソング・ライターだ。
ジョンは、生涯一貫して『愛』を歌ったが、実は『戦争や平和』に関する曲を書いたのは、ある時期のほんの数年間に過ぎない。
その期間に平和や戦争反対を唱える代表作が多く生み出された上、死後、メディアの多少強引なイメージづけにより『平和の使者』的なカリスマ性を与えられただけである。
ジョン・レノンって人は、まわりに凄い才能を備えた人や強い影響力持った人が現れると、たちまち感化される傾向にある。
ボブ・ディランと出会えば帽子から靴までディランの格好を真似てみたり自作にディラン風の歌詞を取り入れたりしているし、オノ・ヨーコと出会ってからも全く同様だ。
そもそも街のパーティーバンドで既製のロックンロールを歌う事のみに喜びを見出だしていたジョンが自ら曲を書き始めるきっかけになったのは、音楽的には明らかに自分以上の才能を持ち既に何曲かの自作曲を書いていたポール・マッカートニ-と出会ってからなのだ。
ジョンの生涯を追っていくと、その他にも同じような例がたくさんあるのだけど、要するにマイブームがめちゃくちゃ激しい人だったってこと。
それに加えて、彼はポールのように架空の物語を作ることを得意とせず、その時現実に自身のまわりにあるものや関わりのある人を題材にした曲を書く。
ビートルズ時代の名作『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』収録曲を例に挙げると、息子が描いた絵で『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』、骨董品屋で見つけたサーカスのポスターにインスパイアされて『ビーイング・フォー・ザ・べネフィット・オブ・ミスター・カイト』、ある朝たまたま流れていたケロッグのCMから『グッドモーニング・グッドモーニング』、朝刊の記事から『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を書いている。ものの見事に小世界だ(笑)。
ジョンが『反体制』や『平和思想』を、発言にも作品に明確に表し始めたのはベトナム戦争の混乱冷めやらねアメリカに移住してからの数年間だけである。
この間、ジョンの発信力に目をつけて近づいてきた反体制運動家達と深く交流したことにより、平和主義を明確に打ち出すようになった。また自身のアメリカ永住権獲得の関係で当時のニクソン政権とやりあった為、余計に反体制姿勢が強かった時期でもある。
現在平和のアンセムとして定着し、ロンドンオリンピックの開会セレモニーでも感動的な使われ方をした『イマジン』や、あなたが望めば戦争は終わる。武器を棄ててクリスマスを祝おうと歌われる、もはやクリスマスソングの定番『ハッピー・クリスマス』などはすべてこの時期、年数にして4年ほどの間発表されたアルバム3~4枚とシングルに収録されたものだ。
それ以外の時期の作品はほとんど戦争や平和とは関係ない。
それから約五年の隠遁生活を経て最晩年に発表された実質的なラストアルバム『ダブル・ファンタジー』では、自分の事とヨーコの事と息子のショーン(最高にちょうどいいホンダのCMに出演中 笑)の事しか歌ってない。
彼の業績を讃えるならば、まず優れたシンガーとしての才、天才的な閃きを持つソング・ライター、実験的でありながらどこまでもポップなサウンドを生み出す発想力など…
結局まず音楽という地平で論じないと、彼の偉大さを見誤る可能性がある。
『愛と平和の人』的イメージは、彼の作品の間口を広げ音楽ファン以外にも彼の知名度と業績を認知させる事ができるが、そこからもう一歩深く知りたいのであれば、ビートルズ初期の作品に触れて欲しいと思う☆
ジョン・レノンがまず最初に世界に影響を与えたのは、平和を歌う人としてではなく、ロックンローラーとしてのカッコ良さとその声なのだ♪