思い出したように吐き出し。
どちらかが嫌な思いをして済むことなんてありえない。
嫌な思いをさせた方だって嫌な思いをしているはずなんだから、どちらが、ということではない。
どちらも嫌な思いをしたくないなら、回避方法はあったはず。それをしなかったんだから嫌な思いは双方(あるいはもっと複数でも)受けてしまっても仕方ない。
だからといって、嫌な思いをしないようにと変化を求めないのも違う。
変化はするべき。成長は変化で、変化がなければどこへも行けない。
嫌な思いをすることが不幸なことではないということを知るべき。
だけど、自分が嫌な思いをした文、他人に嫌な思いをさせたということもきちんと理解しておくべき。
犯罪的な問題でない限り、
どちらかがどうしようもなくダメ!ということは多分ない。
一方的に責めちゃダメ。
100人の人が全員その人を悪いと思ってることなんてありえない。
私は、自分が好きな人が自分の好きな人の悪口を言うのは嫌だ。
すごく辛い。
それも変化に立ちあってしまっただけということなのかも知れないけど。
だとしたら私は、今耐えているのはどっちなのか見極めて、
耐えている人間のそばで「100人が全員あなたをそんな風に思ってるわけじゃないんだよ」と伝えてあげる。
でもそれを責められたらどうしよう?
八方美人的だなーとわれながら思わないでもない。
よくわかんないけど、
たくさんのことを考えるのは苦手なので、自分の信念のとおりにしかできない。
つまり、目についたものから撫でていくという作業、というか、手当たりしだい大事にしていく、というか。
それが何の意味もなくて効率悪くて馬鹿で日和見な行為かも知れない。
それこそ八方美人なのかも知れない。もちろん撫でるだけじゃなくて説教だってしたい。
でも私は注意されるだけじゃ立ち直れない人間だから、他の人も怒られて排除されるだけじゃ多分「良い変化」はできないと思うから、とにかく四方八方愛すべきだ、って思ってしまう。
私は友達が少ないし、友達も選ぶし、嫌いな人は嫌いだ。合わない人は合わない。
だから、私の手の届く範囲内の人の事は出来る限り愛したいと思う。
自分ほど裏表のない人間はいないと自負しているから、それを信じてもらえる限りは愛情は相手にも通じる、と信じる。
そろそろ24時間テレビの季節だけど、
私は愛は人を救うと思う(地球は知らん)。
むしろ愛でしか救われん。
排除や嫌悪だけじゃ自分だって救われない。
馬鹿になって人を愛する。それでいーのだー。と思う。

