パスタ・モル沸点上昇・小学校の国語の副読本 | 今村健一郎(愛知教育大学 哲学教員)のブログ

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 今日はパスタを茹でた。パスタを茹でるとき、塩を少し入れることの意味として「そうするとお湯の沸点が上がるから」という説明がしばしばなされる。「モル沸点上昇」(あるいは「沸点上昇」・「モル上昇」)という現象だ。しかし、調理上、意味がある程度にまでお湯の温度を上げようとするならば、とんでもなく大量の塩を投入しなくてはならない。それこそ、パスタで塩辛でも作るのかってくらいに。だから、塩の投入はパスタにちょっと塩味をつけるためであって、お湯の温度を上げるためではない。

 

 で、むかしむかし、小学校の国語の時間に読んだ副読本の話を思い出した。登場人物は三人のきょうだい。お姉ちゃん(たぶん小学校高学年)、主人公の女の子(お姉ちゃんより2歳くらい下?)、一番下の子(男の子だったかな~?)。

 台所で母親を手伝ってお味噌汁を作っていた主人公の女の子が、誤って鍋をコンロから落としてしまい、それで一番下の子をやけどさせてしまうという話である。

 やけどした下の子は病院に連れて行かれて、主人公と姉は二人で留守番。で、下の子をやけどさせたことの罪悪感に苛まれる妹とそれを慰める姉の会話。

 

 姉「大丈夫だよ、味噌を入れてなければ」

 妹「え・・・私味噌入れたよ・・・」

 

 今思い出しても胸をかきむしられるような場面である。ここで姉が言ってるのは、つまり、「味噌(=塩)を入れてさえいなければ沸点上昇は起こらないから、やけどは軽傷だよ、大丈夫だよ」ということである。ところが主人公の妹は味噌を入れてしまっていた。青ざめる妹。

 

 いやいや、化学的にはそれっぽっちの味噌じゃ大して温度上がらないからって言ってあげたくなる。

 

 子供の頃はだれだってこれに類する経験はしてるよね?無知ゆえに不要な罪悪感や恐怖に苛まれたりしたもんだよね。

 でも、大人になったからといって、人はあらゆる無知から逃れられるわけではない。当然、大人だって知らないことはたくさんにある。

 であるならば、味噌を入れちゃった主人公の女の子と同様に、大人であるわれわれもまた、無知ゆえの不要な罪悪感や恐怖を味わい、辛い体験をしているはずだと思うのですよ。

 ぼくの悩みや苦しみや辛さに関しても、その多くが、智者・賢者の観点からすると「いやいや、それ大したことじゃないから、大丈夫よん」って感じのことだったりするんじゃないかなと思ったりするのですよ。だから、いくつになっても学び続けることは大切だねっていうありきたりな結論になるわけですよ。

 

 ところで、このお味噌汁の話って創作じゃなくて実体験を綴った小学生の作文だったように記憶している。印象に残るのは『ごんぎつね』なんかよりも、こういう話なんだよね。