ファスティングサポーターなのに過食。完璧主義で自分を責めまくった私が過食克服、幸せになった話
初めまして。「できる自分でいなきゃ」を手放し、「かっこ悪い自分」を許したら、可愛くて愛されまくるようになったマーシャこと吉川雅子です。我慢だらけで不平不満が多いブスから可愛い愛されキャラへ💕可愛くなっちゃったー💕💕「できる人」でいなきゃ、「役に立たない自分には存在価値がない」と思い込みできるまでとにかく頑張れ、努力しろ、わがまま言わず我慢しろと軍隊のような人生を歩み、自分責めがデフォルトだった私。我慢しすぎで感情すらわからない。そんな私が小田桐あさぎさんの『魅力覚醒講座』で43歳にして自分責めをしていたことに気付き、3か月でかっこ悪いニートな自分を許してダメな自分を全開にして生きることで、かわいくなった。キレイになった。過食が治った。「できる自分」を目指した時より、もっともっと愛されるようになりました。かつての軍隊人生は一転、パラダイス人生、たまにお花畑人生のようなゆるくて楽ちんという真逆の人生を手に入れた話を書いていきます。今の私のプロフィールを簡単に紹介すると、・自分責めをしている事を気付いていなかった→自分責めに気付き自分を許せるようになった・かっこいい自分でいなきゃいけないというドM思考→かっこよくない自分も許せるようになった・自分の感情がわからない→感情に気付けるようになった・幼馴染にしか本音を話せなかった→本音を話せる友達ができた・稼げない私はダメな私→稼がなくても私の価値なんて変わらない・過食で太り、食べる事が怖い→ピーク時からマイナス4kg。食べる事を許し、楽しくたべれるようになった・肌荒れがひどく、老けてブス→肌荒れが改善し、若返り、かわいい、キレイといわれるようになった・余裕がなく慌ただしい生活→余裕がありケンカもイライラもゼロ。夫からはさらに愛されるようになった。・家事にイライラ→家事代行などで必要最低限だけの家事でも快適に暮らせるようになった・参加したくない誘いでも行く→誘いを断れるようになったこんな感じです。私がこんなに変われたのは、魅力覚醒講座のおかげ。でも実は講座に入った動機は、自分の周りの環境を変えてみることで、私のファスティングサポートビジネスがうまくいく、あさぎさんも面白いし楽しそー!というビジネス重視で入りました。正直、「魅力」はあまり興味がなかった(笑)小田桐あさぎさんのことは『「私、ちゃんとしなきゃ」から卒業する本』で初めて知りました。ぶっ飛び具合が想像を超えていて、私もあさぎさんの言う「ちゃん卒」とやらをやってみようと取り組んだつもりでした。当時入っていたビジネスグループで課題ができなくても焦らない、先生のいう事より自分の好みを優先するなど。あの頃は「他人軸で生きず自分軸で生きる」ってことをよく言っていました。(恥ずかしい)私は「ちゃん卒」していると思い込み、満を持してビジネスの勉強をあさぎさんの元でするぞ!!くらいの意気込みで講座に乗り込みました。しかし実際には、ちゃん卒ができていない自分、“エセ”ポジティブな痛い自分、に気付くことになるのです。日本の教育は我慢が美徳。私と同じように自分責めに気付いていない人は多いと思います。衝撃的なこの言葉。「ギセイとガマンはブスを生む」我慢して自分責めしてどんどんブスになる。我慢しているからイライラ、眉間にはしわ。家族とのけんかが増える。邪気満載の顔。どうせ私が全部すればいいんでしょ。という悲劇のヒロインで生きる。口を開けば不平不満。こんな自分の人生「クソつまんねー!!!!」いや待てよ、これでも幸せだし多くを望む私が悪い?いやいや、それでも毎日イライラする「私の人生モヤモヤばっかり!!!」みたいな。私は3か月前まだこの「モヤモヤ人生」を自ら選んでいました。もちろん選んでるつもりはないw今はそんな人生とは無縁!自信を持って「私、幸せ!」と言い切れます。あなたはたった1度の人生「モヤモヤ人生」を気付かずに選択してませんか?そんなわけで魅力覚醒講座に入ってから私がどう変わっていったのか、私の今までの経歴も含めながら書きたいと思います。ちょっと長いのですが、ライトに書いているのでエンタメ感覚で読んでもらえれば~!では、ここからが私の物語です。======================1.自己紹介のZOOM会でまさかの号泣2.ビジネス目的で入ったのにビジネスを全くしない私3.止まらない自分責め4.役に立たない私でも愛される5.できない自分をしられたくない6.かっこよくない自分を愛する7.やっとたどり着いたこれからの私1.自己紹介のZOOM会でまさかの号泣「なんで泣いてるのか自分でもわからないけど、涙が止まらない」なんてことあります?私は講座のしょっぱなもしょっぱな、グループの自己紹介ZOOMでまさかの「謎」の号泣をしたんです。当然グループのみんなもきょとん。「え?え?どうした?」って感じだったと思います。だって自分でも理由がわからないのだから(笑)先にも言いましたが、私がこの講座に入った理由は「自分ビジネスがもっとうまくいかないかなー、あさぎさんっておもろーww」みたいな軽いノリ。魅力を開花させたいとか、友達が欲しいとかマインド整えるみたいなのはあまり関係ないかなーみたいにちょっと斜に構えていました。まさに“エセ”ポジティブ全開(笑)ところが、そんな斜に構えた私が超超ビッグな流れ弾に当たることになります。このZOOM会でTちゃんが「この講座を受けてどうなりたい?」って聞かれていたんですね。その時Tちゃんはこう答えたのです。「もう自分に嘘をつきたくないです」この言葉を聞いた私は、突然嗚咽するほど号泣。もうバズーカ砲をくらい瀕死状態です。次は私の番なのに.........でも号泣は止まらず名前と年齢を絞り出すように言いました。(年齢は不要w)そして私はあまりのありさまだったのでしょう。同じ部屋にいた夫が驚いた顔で私を見つめていましたから。グループの中には私達講座生をサポートしてくれるOG生がいます。私の様子を見たOG生たちはこう言いました。「ずっと頑張ってきたんだね。」「マーシャがどれだけ頑張ってきたのかわかったよ」「頑張ってきたんだから、これからはもう頑張らなくていいんだよ」またまた号泣。この時はまだなぜだかわからなかったのですが、「自分に嘘をつかない。」この言葉だけが私の中に響いていたのでした。2.ビジネス目的で入ったのにビジネスを全くしない私講座の課題で、理想の状態を書き出すというものがありました。この時の私の夢はビジネスでの成功。私は月商〇万、毎月〇人、投資などなどビジネスに関することを枠からはみ出るほど書きました。そしてこの理想を叶えるために、講座に従って「嫌なこと」、私でいうと面倒なことをやめていきました。家事代行の利用、毎日の掃除をやめる、目覚ましをかけない、洗濯は週1コインランドリー、着替えない、生協のミールキット使用などできることを導入していきました。「よーしこれで自分の夢をかなえるためのエネルギーを生み出せるぞ!」「バリバリ仕事をする私になるんだ!」「これで講座に入った目的通り、ついにビジネスがもっと回りだすんだ!」「ビジネスで成功する女性になれるんだ!」と輝かしい成功、有名でかっこいい女性を約束されたように感じていました。成功し、かっこいい女性でいることが私にとっては何よりも大切だったのです。ところが、予想に反し仕事を全くやる気になれない。むしろ講座に入る前以上にやらない。私の思う「ビジネスでの成功」「有名でかっこいい女性」とは全く逆の方向に進んでいきました。時間はできたのに、一日中パジャマで、食べて寝る生活。仕事の申し込みもあまりない。仕事を語る資格なんぞないと言われるくらい、底辺のような生活です。そうなると出てきたのが「焦り」でした。私は集客をブログやインスタをやりたくないために、広告を選んでいます。それなのに焦るにつれ、手放したはずの「個人起業家はブログ、インスタ、お茶会、メルマガというような地道な活動をすることで徐々に成功していくもの」という教えが私をいつも追いかけてくるようになりました。私は毎日ダラダラと過ごしているニート。かっこいい女性とは180度違う現実。やらないこと、ダラダラニート生活を責められているようで、焦りと不安がどんどん募っていきました。だけど、やらなきゃいけないのにできないのです。「なんでできないの?時間はあるでしょ」「頑張ってやらないと成功できないよ」「みんなやってるんだから、やらなきゃ」「このままでいいとおもってるの?」「そんな子じゃないよね?何でも頑張れるよね?」こんな感じでできない自分を責め、「どうして?どうしよう?どうすれば?」という三段活用を唱える日々。メンタル的には負のループにドはまりしていったのでした。3.止まらない自分責め実はこの頃私には誰にも言えない秘密がありました。それは過食。ファスティング講師なのに過食。ありえません。きっかけは友達の死。ある日、予後もあまり良くない彼女から相談を受けました。「なんて答えればいいんだろう?言葉に責任もてない返答はできないな」と思い、「大事なことだから〇ちゃんのしたいようにするといいと思うよ」と返信しました。彼女からの返信は「答えにくい質問してごめんなさい。」なんとなくそのLINEに返信しにくくて、2日後「体調どう?」とLINEしました。返信は「今朝亡くなりました」という彼女のお母さんからのものでした。彼女と私の最後の会話はなんと「ごめんなさい」で終わってしまったのです。「なぜ私はもっと優しい言葉をかけなかったのか?」「自分のせいにされるのが怖くて逃げたんじゃないか?」「あんな返信したから彼女の死期を早めてしまったのではないか?」「彼女は私を恨んでいるのではないか?」今考えるとひどい妄想だと思うのですが、その時は後悔と恐怖で自分を責め続けました。そしてそれと同時に「よくわからない食欲」に悩み始めます。その食べ方はというと、車の中で普段は食べないドーナツを両手に持って一気に6個。1個がケンタッキーサイズの唐揚げを一気に6~7個。TimTam1袋….「お腹はパンパンで食べたいと思わないのに、なぜ食べてるのか自分でもわからず、でも食べずにはいられない」そんな状態でした。夫にばれるのが怖くて、コンビニにごみを捨て、寒くても車の窓は全開。痕跡を残さないよう必死でした。そして一人で行った金沢旅行で私は完全に崩壊します。美味しい金沢の料理を食べお腹いっぱい。それなのに私はコンビニで買い物。菓子パン2個、スイーツ2個、アイスクリーム1個、そしてカップラーメン1個。どれも普段から食べない、控えたほうが良いと指導しているものばかりです。私はこれを泣きながら一気に食べ、そして嘔吐しました。「ファスティングの講師なのにこんなに食べるなんて最低」「もう私は完全に異常じゃん」「お客さんには控えてくださいって言う立場なのに、食べてる私は最低」「どんどんデブでブサイクになっていく自分を許せない、恥ずかしい」「こんな状態じゃお客さんに会いたくない、みじめ」「どうしたらいいの?もう私は最悪で最低な人間だ」という具合に、とにかく自分を許せず自分責めをすることをやめられなかったのです。どうです?ここまで聞いて「なんて自分に厳しい人だな」と思いません?しかし驚くなかれ!恐ろしいことに自分を責めているという自覚はなく、むしろ正しいことをしているくらいの感覚!その時の私は『あるべき姿』でいることが当然で正しいこと、そこから外れることは悪。悪は正さなければならないので、成敗、制裁を加えるというのが私のデフォルトだったのです。これは『完璧主義』の私の自分への虐待でした。長年これを当たり前としてきたため、自分にとっては普通のこと。自分への虐待に対する痛みも麻痺してしまっていたのだと思います。そして私は、自分自身への虐待の痛みがあることを身をもって体験することになるのです。4.役に立たない私でも愛される自暴自棄になりかけていた私は、ある占い師さんのセッションを受けることになりました。「こんなやる気のない私がビジネスに向いているのか?こうなったら占いだ!」という占いへの好奇心や占いで答えを出してほしいという謎に賭け的な気持ちが強かったと思います。しかし、このセッションが私の人生における大転機になるのです!この占い師さんは脳心理学も活用され、カウンセリングもされています。自分のビジネスの話をする中で、食べ過ぎてしまうことに関するカウンセリングもしていただいたのです。その方は私の話を聞き「今から言う言葉を、今ここで声に出して読んでくれる?」と言いました。「役に立たない私でもいい」「役に立たない私のまま愛される」「醜い私でも愛される」「醜い私でもいい」「そのままの私でも愛される」この言葉を聞いた瞬間、涙がボロボロ出てきました。言おうとしても涙が出すぎて、声がでない。嗚咽が止まらない。そしてついに私は気付いたのです。「これを許せない自分だったんだ・・・・・」役に立たない私は、世の役に立つことができないから存在価値がない。だから役に立つような私でいなくちゃいけない。できない事は努力でできるようにするべきだし、やりたくないなんてわがままは我慢しなきゃいけない。何かできることで好かれる。何かないと、私の存在意味はない。だからもっと頑張って、もっとできるようにならなきゃと自分に課し、頑張ってきたのです。私の人生を振り返ってみると、もっとできるように、もっと頑張らなきゃというスーパー・ハードモードの私は、いつも何かをするとなると「資格とらなきゃ」と資格をとってきました。看護師、保健師、製菓衛生士、ピラティスインストラクター、紅茶なんとか、ファスティングアドバイザー、分子栄養学は試験を受けませんでしたが、40万かけて学びましたし、カラーセラピー、邪気抜き小顔インストラクターなるものまで、なかなかのマニアです(笑)いくら使ったかは計算しないでおきます・・・・・・今なら「できるから好かれるんじゃなく、私だから好かれる。夫はニートのような私をそのまま愛してくれてるよね。そのままの私でも愛される、そのくらい魅力的なんだよ、私って」と過去の私に言ってあげることができます。ちなみにこの製菓衛生士ですが、資格がないとできないという理由でとった典型的なやつです。私は当時お料理やお菓子が得意で、友人にふるまっていました。友人の中の一人にパン講師がいたのですが、その子から「お菓子が美味しすぎるから、私と一緒にコラボ教室をしよう!」と言われて自宅で教室を開講することになったのです。ちなみに友人はパン講師の資格をもっています。もう想像がつくと思いますが、その時私が真っ先に考えたこと。「私には資格がない!」そこで私は通信でお菓子の勉強を始めました。肩書がない自分はダメだとか、他の人は持っているからいいな、私も何か取得しなきゃと自分のやりたい気持ちではなく全てを義務で選択するようになっていたのです。5.「できない自分」をしられたくない「できる自分」を守りたかった「できる自分」にしがみついていた「できない自分」を認めたくなかった私の仕事人生を振り返ると、製菓衛生士やらピラティスやら紆余曲折がありましたが、最終的には産業保健師に行きつきます。誰もが知る大手企業で派遣社員ながら周囲からは認められていたと思います。私のプレゼンは見に行ったほうがいいと言われた新人が見学に来たり、正社員試験を受けてと言われていました。まさに「できる自分」が認められているという喜びに浸っていた時期でした。しかし、ここで夫のアメリカ赴任が決まります。このことで私は「スーパー・ハードモード」から「ウルトラスーパ・ーハードモード」と化していきます。アメリカ赴任は念願だったのでとても嬉しく、私にとっては語学留学的意味合いがありました。「これで話せるようになって、帰国しても英語ができる人として仕事ができるんだ。」と思っていました。私にとって一番大事な『できる人。存在価値のある人』でいられる。今考えると甘かったなと笑えますが、当時は本気でそう信じていました。しかし、アメリカの生の英語は私には厳しかった。しかも「ちゃんとした英語を使わなければいけない」と思っているので、自信がないから全くしゃべれないし、聞き取りも全くできない。だけど必死。たっかい授業料を払いコミュニティーカレッジにも通いましたし、周りから見ても英語に人生をかけている女に見えていたと思います。(笑)こんな私ですが妙に発音が良く文法ができるが故周りからは英語ができる人と思われていました。私は周りが認定する「できる人」でありたいがために、わからない事でもわかるふりをしてできる人のふりをし続けていました。当時の私は、聞き取りはできないし、語彙力がなさ過ぎて子供の本もろくに読めない。だけど学校では一番上のクラスにいるというおかしすぎる状況。一番上のクラスはフリーライティングクラス。試験の前の対策で、「おそらく大丈夫なグループ」と「頑張らないとやばいグループ」とに分けて先生に呼び出されました。もちろん私は後者。薄々気づいてはいたものの、できない自分に向かい合わされ、「とにかく嫌だ、試験に落ちて私の本当の実力がばれるのが怖い、クラスメイトの日本人はできるグループに呼ばれている、恥ずかしい、できない事がばれてしまう」もうパニックでした。私は、「何でもできることがかっこいいと思っていたし、できる人が認められるし、それでこそ存在価値がある。今私ができないという事がばれると、私は認められないし価値がなくなる。たとえできなくても、嘘をついてでも隠さなきゃ、隠したい!」と思い、「できる自分」にしがみついて3年を過ごしました。そして帰国後もこれは続きました。帰国後は「アメリカでの英語の学びを活かさなければ、私の3年間は無意味になってしまう。」別名:アメリカの呪縛(笑)今思うと、もう何を言っているのやらと思いますが、私は真剣です。それからというもの私は、幼馴染が外資系の秘書をしていたので、私もそうなりたい!と思い、「別居してでも東京の外資に勤めてやる!六本木の保健師ならいける?いやいや外資のバリキャリだ!!」と様々な就職サイトに登録し、ひとり暮らし用の家まで探し始めるという迷走ぶりを発揮していました。経験もない40歳の私にチャンスが巡ってくることはなかったのですが、地元でIKEAの社員という望んでいた外資系正社員の座を獲得します。ここでは同僚からも慕われていましたし、時々英語を使うような状況でしたが、上司とウマが合わず「こんな上司と仕事をするために私は英語を頑張ったわけじゃない。もっと頑張った証になる職場で働かなくっちゃ!」と半年でやめてしまいました。今考えると、本当に失礼すぎる上に、どこまで自分ができる人だと思っていたのだろう、自分の理想である「できる人」でありたかったのであろうと恥ずかしくなります。でもこれができる人でありたい、そうしないと自分に価値を見出せないと思っている、そのまんまの私の姿だったと思います。まだまだ迷走は続きます。その後、私は英語を使うためには商社だ!と派遣で商社に応募しまくるわけですが年齢と経験で書類すら見てもらえず、自分の無価値観を順調に高め、やさぐれていきました(笑)そんな中、貿易系の会社の事務が決まりました。これなら英語を使えるかもしれないと思っていましたが、実際はコピーやホッチキス止め、メールすら開かなくてよいという私の思う『できる人』にはふさわしくない仕事だったのです。自分の存在価値を求め、3か月でやめてしまします。そして私はついに念願の商社の海外営業部の営業事務として働けることになりました。やっとアメリカ生活の意義が証明されると信じ、「できる自分」を守ることができると私は大満足していたのです。しかし、初日から壁にぶつかります。インドからかかってきた電話がよくわからない。ディーパックさんからディーパンさんへの電話だったのですが、名前が似すぎて意味が分からず私が発した唯一の言葉が「Who are you?」(笑)「情けない、恥ずかしい、なんでこれくらいのことがわからないの?」以降も思うように英語が使えなかったので、それでも頑張らないといけないと思い貿易のビジネス英語講座を受けに行ったりもしました。(私中国担当なのにww)業務も不慣れなことばかりでした。機械部品の名前がわからないし、輸出入の書類のこともわからない、相手先からの理不尽な要求、普段見ないような価格の見積もり。間違ってはいけない、正確に早くしなきゃいけない、毎日緊張しながらめちゃくちゃ頑張りました。努力は認められ、社員のお誘いもありましたし、グループの人間関係も順調でした。「できる人」として認められ、存在意義を感じていたのですが、もっと大きな額の案件やコロナによる便数減少でのトラブルなどのプレッシャーとストレスで、自覚できるほどの不整脈、6kgの体重増加と体調を崩すようになっていきました。「犠牲と我慢はブスを生む」まさにその通り、デブで肌荒れもひどいし、不平不満ばかり、いつもイライラ。Theブスだったと思います。そんな中、実家の父が認知症かもしれないという事件が勃発。結果的には認知症ではなかったのですが雇われている限り、帰りたい時に帰ることができないので、何かあった時の為に自分ビジネスを始めることにしたのです。あれだけ執着した英語をあっさり捨てるだけの良い理由もでき、ストレスやプレッシャーから解放されたことに加え、これからはできない自分を知られることもないんだと思ったのか変な安心感がありました。アメリカ生活の後のジョブホッパーぶり。1年半での出来事です。まさに「できる人でいなきゃ」「かっこいい自分でいたい」という完璧主義に支配されている私の仕事の選び方は、私の生き方そのものでした。自分にないものばかりを見て、それを埋めなければ、そしてもっと精度を上げることで認められるのだと。本来の自分のもっているものをほったらかして、ないものの為に全力を尽くす。「マーシャは、サッカー選手なのに野球選手になろうとして苦しんでる感じ」と表現されたこともあります。(笑)そうです私はめちゃくちゃ苦しかったんです。こんな状態だったため、私はいつも何かに追われているようで余裕がない、できない事に対し絶望といら立ちを感じ、命を削るような生活をしていたと思います。夫からはいつも忙しそう、慌ただしいと思われていました。6.かっこよくない自分を愛するこんな私でしたが、講座に入ってからはダラダラのニート状態。講座生、OG生とのZOOM会でもパジャマはもはや正装、過食だった自分やめんどくさがりの自分、完璧と真逆のだらしなくて、できない自分を出していきました。というよりも。長年の虐待に疲れすぎて、何もできないというのが正直なところでした。おそらく、これ以上かっこ悪い自分はいないんじゃないだろうか?というほどのかっこよくない自分。ZOOMで登場する私は、お昼でもほぼパジャマにスッピン。顔も洗わず目やにもついてるという(笑)だけど、講座生もOG生も誰一人として私のだらしなさを「ちゃんとしないと」という人なんていませんでした。むしろ「かわいい」と言われたり、「理由はないけど好き」と言ってもらえるようになったのです。できる自分じゃないと好かれない、役に立たないと私の存在価値はないと思っていた私は、できない自分、かっこよくない自分でもいい、何にもない私なのに愛されるという事を体験し「かっこよくない自分もいいのか」と思えるようになったのです。今振り返ると私の過食は完璧主義からきていたのです。友人の死はきっかけ。ファスティングの指導者として、相応しい食生活をしなければならないと自分に課していました。だから食べる事を細かく規制していたのです。ケーキ、チョコレート、大福、ラーメン、うどん、お惣菜など食べてはいけない。いけないっていうか、欲しいなんて思いませんから。フンみたいな、(かわいくなーい)これでファスティング指導者としてふさわしい「できる自分」、これでこそ価値ある自分だと思い込んでいたのです。だから、食べることを許せず、こんな私が指導していいのかという罪悪感が常にあったのです。だけど、かっこよくない自分でもいい、役に立たない私のままでも愛されるんだという事を体験したことで食べる事を許すことができました。指導するけど食べる自分にも、ぽっちゃりする私にも許可を出せるようになったのです。今は食べることを楽しんでいて、過食することなく、一時の体重からはマイナス4kgになりました。そして夫婦関係にも変化が!「かっこよくない自分を愛する」ことによって思いがけず夫婦関係がさらに良くなったのです。元々夫婦関係は良かったけれど、もっと良くなるなんて正直驚きでした。夫からは「慌ただしさがなくなって余裕を感じる、怒らなくなったし表情が穏やかになったね」と言われるようにもなりました。実際、怒ったり、イライラすることはゼロと言っても良いほどなくなったのは事実。私が怒らないから夫も気持ちよく過ごせるようになったのでしょう。いつもにこにこしていているし、以前よりよくしゃべるようになりました。夫は、それまでも私のことを大切にしてくれる神夫だったのですが、今や天照大神(笑) かなりの愛され妻だと思います。実は、夫と一緒に講座のライブ配信を見ることが多く、講座を聞いては「僕はちゃん卒できてるなー。僕も講座できるなー」とか言いながら、2人で講座の内容についてディスカッションすることもあったほど(笑)昔から夫は私のことを「マコちゃんは完璧主義だからなー」とよく言っていて、私が良き妻でいなきゃと思っていることを一番よくわかっていました。だから、一緒に講座を聞きながら、私が本気でそれを手放そうとしていることを一番わかってくれていました。夫は傍で応援してくれる一番の理解者。だから私も本気でかっこよくない自分をさらけ出したのです。掃除をせずに家が散らかる、いつまでも寝ている、在宅で仕事をする夫の横で寝ている。それでも「いいんじゃない」と言ってくれる。さらには、食事を作ってくれたり、食後の洗い物、週1のコインランドリーも「最近上手になって楽しくなってきたし、時間を有効に使えてるから、全然いいんだよ」とすべて夫がやってくれました。「仕事をしていない専業主婦が何にもせず、彼の横で寝ているなんて最悪だ!」と自分を責めることはありましたが、その都度「またやってるな」って気付き、心の底から夫に「ありがとう」というようになりました。(あー泣ける)そして、しんどい時は我慢せずに話し合おうねと約束もしました。私が「カッコ良くない自分を愛する」ことができるようになったのは「彼の愛情を全部信じて受けとることができたから。」夫婦としての絆も愛情も本当の意味でつながり、固く結ばれたと思います。ここまででも私はずいぶん変わったと思います。だけど、私の「かっこよくない」のゴールはあと少しというところなのです。7.やっとたどり着いたこれからの私それは、「完璧主義」を手放すこと。私の自分責めにつながっていた「完璧主義」。私は完璧であることが愛される必須条件だと信じてきたけれど、そうではありませんでした。それにようやく気付くことができたけれど、完璧にできる自分、完璧な美しさを追い求めてきた私のプライドは相変わらずめっちゃ高いのも事実。だからまだまだ手放しきれていない自分がいます。何を手放せていないか?それは・・・・「失敗」「失敗してもいっか」と自分に許可をすることです。最初からいい加減にする。手を抜くという事ではありません。失敗するかもしれないけど、それを恐れずチャレンジするという事です。私は今まで失敗する自分を見たくなくて、ずっと挑戦することから逃げてきました。挑戦しなくていい理由探しばかり。「だって」「でも」「うーん」のオンパレード。私にとっての失敗は「死」を意味するくらい怖いことだから。だからずっと理由をつけて「可能性」の中にいることで、自分を守り続けてきたのです。私の今までの挑戦と言えば「新たな資格をとること」でした(笑)だけどこれからの私がやるべき挑戦は「今あるもの」で勝負する事。サッカー選手が野球選手になろうとするのではなく、サッカー選手としてサッカーを楽しむこと。人と比べずに、私のできることで勝負する事。私が楽しい!やりたいと思うことが一銭にもならないとしても、自分の気持ちに従う事。私の本当の物語は、ここから始まる!そう思っています。=====================ここまでお読みいただきありがとうございます。「人に認められるために頑張って、人の役に立つかっこいい自分でいることに必死で、それができない自分を責め、できるようになろうと無理をする」これを365日やっていた私。この私の物語を書きながら、「辛かったよねって泣いたり、こんなに頑張って可愛いね、迷走っぷりが面白いね」って過去の私に言ってあげることができました。こんな風に言えるようになった私ですが、新たな資格をとったわけでも、収入UPしたわけでも、有名になったわけでも何でもありません。変わったことはというと、自分に課していたことを本心に従ってやめ、グータラでポンコツなかっこ悪い自分を出す。そしてそんな自分を許す。本当にそれだけです。だって3か月間寝ている時間のほうが多かったわけですから(笑)もし今読んでくださっているあなたが3か月前までの私のように「頑張り屋さんで、誰かのために頑張っている人」であれば「何を言っているの?」ってまだ思うかもしれません。だけど「カッコ良くない」私は今、たくさんの人から愛されてることを実感し心も身体も解放され、リラックスした人生を歩んでいます。もう「頑張らなきゃ」って焦ることもないし(たまに出てくるけどw)、頑張ることこそ正しいなんて全く思わない。だから頑張ったら報われるとか報われないとか、不平不満を感じることもなくなりました。講座に入っていなかったら危うく常に我慢して頑張ってブスな女で生きるところだった(笑)今は自分を攻めまくっていた頃より、ずっと幸せだし、私らしいと思います。実際、久しぶりに会った方からも「雰囲気が変わって、今のほうが雅子さんっぽい」と言われたり、「可愛くなった」「表情が柔らかくなった」と言われます。人って3か月で変わることができる。というか「変わりたい」と思ったら瞬間から、絶対に変わることができるんと実感しています。ここから私も自分の気持ちに従い前に進んでいきたいと思います。だってもう自分に嘘はつきたくないですから。「できる自分でいなきゃ」を手放し「かっこ悪い自分」を許したら可愛くて愛されまくるようになった私の物語でした。私のような完璧主義の人が、少しでも肩の荷を下ろせたら幸いです。私の人生を変えてくれた小田桐あさぎさんがこの度4日間無料LIVEをされます。このLIVEめちゃくちゃ面白いし、間違いなく有料級です。あさぎさんのブログや話を聞いたことがある方はお分かりと思いますが芸人以上に面白いし、文章のテンポが良すぎてサクサク読んじゃう。気付いたら、え?夕方みたいなこともありますからね。今回の無料LIVEはあさぎさんのブログからLINE公式に飛ぶと案内がありますよー。1回目は5月25日(火)21:00~です。小田桐あさぎ『イライラモヤモヤをなくし人生を思い通りに生きる方法』こんにちは、小田桐あさぎです。今回、この5年間で400人以上の女性の人生を激変させてきた秘蔵メソッドを無料で大公開したいと思います。テーマは「イライラモヤ…ameblo.jp最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。