ゴヌが拗ねている。
ミュンヘンフィルのフルート奏者と呑んで帰った。
玄関先で腕を組み仁王立ちしたゴヌが私を家に迎え入れる。
シンプルなグレーのTシャツにダメージにジーンズを着たゴヌ。Tシャツの衿ぐりはVラインになっており私が付けた印しが僅かに残ったゴヌの鎖骨が覗いている。
このTシャツは禁止だな…
今日一日この格好で過ごしていたのかと思うと胸の内に小々波が立つ。
楽団の中にもゴヌにやたらとスキンシップを図ろうとするヤツがいる。私のひと睨みでゴヌに触れることに成功したヤツはいないが油断も隙もありはしない。
ゴヌの艶っぽい鎖骨の威力の前では私の睨みなど何の役にも立たない。
少しばかり酔った頭でそんなことを考えていると自分を無視していると誤解したゴヌが口を尖らせた。
「先生!誰と呑んだんですか?」
リビングに入った私を追いかけて来たゴヌが後ろから聞いてくる。
「フルートのエリーゼだ。コンマスのフランツと揉めたらしくてな。散々管を巻かれて参った。」
溜め息混じりに言うとゴヌが不満顔で呟いた。
「それにしては何だか楽しそうですね…」
エリーゼと呑んだことが楽しかった訳じゃない。
わかりやすく拗ねてヤキモチを焼いているゴヌが可愛いだけだ。
呑んで帰ると連絡を入れた時も、『夕食を作り出したところだったのに』とブツブツ文句を言っていた。
ダイニングテーブルの上は綺麗に片付けてあった。私が帰らないと知って自分だけならと軽く済ませたのだろう。食べた気配さえ残されていないテーブルを見て、少々ゴヌに対してすまない気持ちになった。
ちらっとリビングの壁時計を見た。
ちょうど日付が変わるところだった。
口を尖らせたままのゴヌのご機嫌を取るべく私はピアノの前に座った。
コンクールでの優勝経験もある私だ。小品なら酔っていても弾ける。
片頬を上げた私は徐にベートーベンの小品25番を弾き出した。
鍵盤の上を滑る指が紡ぐあまりにも有名過ぎる冒頭部を聞いたゴヌがドイツ語で呟いた。
「Für Elise…」
エリーゼのために…
ヤキモチを焼くゴヌが可愛くてついつい意地悪をしてしまう。
ゴヌがヤキモチを焼いたフルート奏者の名を戴いたベートーベンの曲をわざと弾いた。
俯いて曲を聞いていたゴヌの瞳に薄っすらと涙の幕が張り出した。
目尻から涙の粒が零れ落ちる寸前、私は短調の調べから華やぐ長調の曲に変えた。
Happy Birthday to You〜♩
大サービスだ。私の貴重な歌声もつけてやった。
パッと顔を上げたゴヌがピアノを歌いながら弾く私の背中に抱きついてきた。
「ゴヌ…誕生日おめでとう…
本当はエリーゼに誘われたのは今日だったんだ。
だが、お前の誕生日に飲みに行く訳にはいかないからな…
今日、無理やりセッティングしてエリーゼとフランツの諍いを収めて来たんだ。」
「…先生…」
ゴヌは一言呟いたきり私から離れようとしない。
私の肩に額を擦り付けたままだ。
「今日は楽団の練習も休みにした。一日中お前と居てやる。何処か行きたいところはあるか?」
ゴヌの好きにさせながら問いかけた。
ゴヌは黙って首を横に振った。
「何処でもいいぞ?豪勢なディナーでも食べに行くか?」
ゴヌはまた横に首を振る。
「私の今日一日がプレゼントなんだが、これじゃあプレゼントにならないな。」
私が困ったという素ぶりで首を横に振るとゴヌが小さく呟いた。
「…行きたいところ…ありました…」
「何処だ?何処でもいいぞ?」
余りにも小さな声なので背中を押す気持ちでとびきりの甘い声でゴヌに言った。
私の背中から離れ、ピアノの椅子の横に膝立ちになったゴヌがおずおずと寝室を指差した。
「…先生が…一日中一緒に居てくれるなら…
俺は先生とベッドの上にいたいです…」
自分の言葉に照れたゴヌの頬が酔ったような桜色に染まる。
いじらしい言葉が溢れる唇に私はキスを落とした。
「センイル チュカヘヨ…」
祝いの言葉を呟きながらゴヌを寝室に誘った。
黙ってついてくる愛しい恋人を甘く啼かせたい。
これじゃあどちらがプレゼントかわからないな…
ゴヌの惚れ込んでる自分苦笑しながらも、一際優しくベッドに横たわるゴヌに口付けた。