これはある内戦下のお話です。
銃弾飛び交う市街戦、沢山の市民が難を避けて教会へとやってきました。
彼らがGODに祈りを捧げる中、数名のゲリラが侵入、
彼らは覆面の上から、銃を構えて教会の外へ出るよう言いました。
反抗する者は射殺すると。

大勢の市民は先を争って外へ。
教会に残り祈り続けた者はほんの僅かでした。
「お前達は射殺されるのが怖くないのか」
ゲリラの問いかけに対し、市民は答えました。
「GODと共に居ります。恐怖はありません」

ゲリラは銃を捨てて、覆面を外しました。
「我々もクリスチャンだ。弱き者が去り、
 真の信仰を持つ者だけが残った。さぁ、共に祈ろう」


この話は今日のモーニングサービスでの講話。
タイトルをつけるとしたら「真の信仰心とは」なんだろうけれど。

我先にと争って外へ出た市民の方が、
僕には気になってしょうがない。
講話の語らない、彼らのその後が。

強くなれないのが人間だと思う。
道を示されてもそこに辿り着けない事は、
とても人間らしい事だと。
弱き者?、、、僕はその側で生きていたい。