僕の場合どこかに行きたいという気持ちは、
あの頃に還りたいというそれと少しだぶる所が多く、
時々見誤る。
上海近郊にあるという毛皮工場を探して。
重い荷物を抱えながらあてもなく探している。
通訳さんお願いすればよかったと少しの後悔、まあ450元けちったわけだが。
あっち行ったりこっち来たり、
犬に吠えられたり小姐に手招きされたり。
どぶに落ちそうになってグチる。
初めて来る町にどうしてまた僕は詳しい情報も持たずに、、、と。
またまた歩いて歩いて。
やっとそれらしき看板を見つけた。
書いてある書いてある、なんとか皮革中心とかなんとか。
ちぇっ、最初のバス停から遠くなかったのか。
どうも反対方向に歩きだしてしまっていたようだ。
国道318号線、116kmという標識を何気なく通り過ぎる。
瞬間声がもれた。あっと。思わず。
国道318号線、、、
僕はこの道を知ってる。
この道の遥か5000キロ彼方を、僕は自転車で走った。
この道の起点は上海の人民広場。
この道の終点はチベット、ネパールとのダムコダリ国境。
この道はラサからカトマンズまで僕が18日かけて走った道。
この道はあの道に続いていた。
あの頃。
毎日哭きながら自転車に乗っていた。
雨、風、雪、雹、高度5000m。
故障ばかりのたった270元(4000円)の自転車。
荷台が壊れたらバックを背負って。
パンクしてパッチがないと、チューブを針糸で縫い合わせて、それでも走っていた日々。
ある日次の町までの最後の10キロがどうしても歩けず、
強風の中テントを張った。
寒くて、お腹も減って、オオカミも出るとか言うし。
テントの中で「今日友達の結婚式だ」と思い出すと情けなくて涙が出た。
みんあきれいな服着ておいしいモン食べて飲んでしてるのにおれは何やってるんだ、、、と。
自分の経験不足が、知識不足、技術不足が思い知られて、
出発前に準備完璧なんて胸をはっていた自分を撲殺したかった。
この道を、たとえば。
5000キロでも行ったなら。
あの坂道も菜の花畑も、鼻歌まじりに走った道も、
伴麺食べた食堂も、虹のアーチをくぐった峠も、
チョモランマもあの日テントを張ったあのオフロードも、
そこにあるんだ。
確実に。
信じられない、なんだか。
でも間違いなく、
この道はあの頃に続く道。
きっとこういうのを邂逅と、そう呼ぶのだろう。
あの日テントの中でメモ帳に書いた言葉を思い出した。
「こんな俺でもいつか誇ってくれ」
「こんな俺」よ、お前さんよく走ったよ。諦めずにね。
誇る、誇るからもう泣くな(笑)
こんな日がくると思わなかった。
あの頃あの道をずっと走り続けて、
あの道に続くこの道を歩いている今があるという、
なんだか素敵なパラドックス。
R318。