カイラス、カンリンポチェ、神山、聖峰チセー、天然の曼荼羅。
仏教、ヒンズー教、ボン教、ジャイナ教徒にとっての最高の聖地。
そして僕が四年間焦がれ続けた山、マウント・カイラス。
この旅で僕が最も訪れたかった、絶対にはずせなかった山、カイラス。

人間なんてそう変わらない、そう思う。
変わるとすればきっとそれは状態変化、温められて冷やされて圧されて潰されて、そしてゆっくり形を変えてゆくもの。一瞬で全てが変わるような化学変化は起きない。
それはビートルズだって歌っているように。
「Nothing is gonna change my world
 Nothing is gonna change my world
 Nothing is gonna change my world
 Nothing is gonna change my world...」

たった一瞬で、全てを変えたり破壊したり人生を、人間を根こそぎ変えてしまうような、そんなパワーを持っている場所が、一つあるとすれば、僕はそれこそ此所だと思っていた。
カンリンポチェ、Mt.カイラス。
そこは仏教徒、ヒンドゥー教徒、ボン教徒らが命をかけて山の周りを回る(コルラ、仏教用語で右遶)すると言う。ある者は100回200回と、ある者は五体投地で。
いつか絶対に見たかった、巡礼を果たしたかった山、カイラス。

この山の存在を知ってから四年間、心のど真ん中にはずっとこの山があった。
全部コルラだと思っていた。
そう思って、苦しい時期を過ごしていた。
あの意味のない桜上水のコンビニの往復も、通勤の満員電車も、なんだってコルラだと。これもカイラスの回りを回っているのだと、そう自分に言い聞かせていた。いつか行けると信じていた。

そして旅行に出て、いよいよいつでもチベットに行けるという段になると、チベットから逃げ始めている自分を感じていた。イギリスの前にチベットに行く事もできた、韓国から直行する事もできた、東南アジアの後、雲南省から入る事もできた。しかし僕が選んだのは韓国から東南アジア、雲南省、四川省、新彊ウイグル自治区、そしてやっと西チベット。

怖かったのだ。
この山を見て、自分がどうなってしまうのか。
壊されてしまうのではないか、
帰って来れないのではないか、
あるいは逆に、何も感じなければどうしようという恐怖。
そして一番大きかったのは、この山を見てしまったら、会ってしまったら、一つの区切りをつけなくてはいけないだろうという、予感だった。