朝8時半頃、烟台に到着。

どうやらここは青島の北、山東半島らしい。

中国と韓国、日本は一時間の時差があるので、時計を一時間遅らせる。

 

イミグレーションで会った日本語の達者な韓国人おばさんに知り合いの乾物屋さんまで連れて行ってもらい、両替。

アイスクリームを一本もらい、さらにはバスターミナルまで送ってもらう。

中国語をほとんど勉強してこなかったので、「シェイシェイ」と「ニーハオ」くらいしか知らない。

ドライバーや乗客に中国語を教えてもらいながら、北京行きのバスを苦労して買う。

19時発とのこと、荷物を預けて烟台の街をぶらぶらする。

 

超市(スーパーマーケット)で水を買う。

500ミリのペットボトル0.7元。(1元=約14円)

マクドナルドのセットが15元くらいから。

 

ターミナルに戻り、ダイソーで買った「トラベル中国語」を広げて、また中国語を教えてもらう。

漢字が分かるので覚えやすいはずだが、声調が厳しい。

タイやラオスでも声調は5段階であったが、カタカナ読みでもなんとか通じた。

でも中国はだめ。

「多少銭(いくらですか?)」さえ声調が違うと

「こいつは何を言っているんだ?」という顔で返される。

 

おばさんが突然ぼくに何か話しかけて来た。

他の乗客と少し調子が違って、何か怒っているような。

「ナンジン、ナンジン」としきりに言い、僕のトラベル中国語を必死に繰る。

ついには僕の手を取り、「あれを見ろ」と指差す。

彼女の指差した方向には「烟台→南京」とあった。

、、、そうか、ナンジンは南京か。

彼女は日本人が「ナンジン」で30万人を殺したのだ!と言う。

僕は両手を合わせ、沈痛な顔で、ごめんなさいと。

彼女は僕を指差しリーベンレン(日本人)、今度は自分を指差しジュングーレン(中国人)、そして首を刎ねる真似を繰り返した。

僕はとにかく頭を下げ、日本人はそのことに対して非常に申し訳なく思っていると彼女に分かってもらおうとする。

こんな時は難しい。

いろいろと伝えたい事はあっても、それはきっと日本人が言う事ではないと思う。

傷が癒えていない人に向かって、それでも前に向かって進めというのは、加害者側が言う事ではないと思う。

例えば事実の確定という事だけをとっても、どのような事が南京で、起こってしまったのかは確定が難しい。

虐殺の証拠として、射殺している瞬間、おびただしい人骨などの写真はたくさんあるし、それを捏造だと反証を試みる人もいる。

しかし、ある程度、かなりの虐殺があったのだと僕は感じている。それが30万人とか100万人という規模なのかは別として。

また、歴史的に大きく見る事も可能だけれど、それもやはり僕たち日本人が今彼らに言うべき事ではないと思う。

一つの誤解を解こうとして余計にこじれてしまうという事を繰り返して来たのがこの60年、戦後の日中、日韓関係なのだから。

 

おばさんは僕の両手をとり、もういいよと言ってくれる。

さらには食堂に連れて行ってくれて、ごはんとコーラをご馳走してくれる。

子供の写真を取り出す。僕が紙に「可愛」と書くと喜んでくれる。

娘さんが北京の大学で勉強していて、これから会いにいくんだって。

優しい母親の顔に戻っていた。

僕のノートに、日本人は好きじゃないけど、あなたは好きだと書いてくれた。

 

旅行は面白い。

昨日までどこにあるのか知りもしなかった街を歩いて、

昨日まで顔も名前も存在も知らなかったこの人とこうして筆談している。

コーラを飲みながら、僕のノートが漢字で埋まって行く。

言葉が通じなくったって、「我好中国、我想和平」で笑い合える。

 

偶然のような必然。

奇跡のように思えるけど、こんな奇跡を毎日のように起こしている。

だから旅行は面白い。

 

 

 

(For Tourist)

朝9時頃、烟台港に到着。

イミグレが町の中心にあるので烟台港からバスでイミグレまで連れて行ってくれます。

そこから長距離バス乗り場まで300メートルくらい。

両替はイミグレオフィスを出てすぐの店でできる様子。

僕は小さい乾物屋のような所で人民元に両替してもらえた。

 

烟台→北京のバス。

186元+19元の荷物(自転車)料金。(1元=約14円)

19時発、翌9時着。寝台バス。

北京の木犀園バスターミナルを経由して四恵バスターミナルまで行った。

四恵からは地下鉄で北京中心まですぐ。