日曜日は、田中さんの引越しを聞いて過ごした。

僕が6号室、田中さんは5号室。1年あまりの隣人だった。
神田川に近い、風呂なし、家賃四万円以下のスズキ荘。

銭湯で。よく顔を合わせた。
24時30分に閉まる近所の銭湯では23時すぎ、混雑がピークに達する。
プラッチックでカラフルな、イスとセンメン器を確保するのも不確かなほどの。
田中さんは自前の洗面器を持参して、「こんばんわ」と声をかけてくる。
色白でデブっちょ。背は170くらいで年齢は25だと聞いた。
くちびるを尖らせ丹念に石鹸をこすりつける、入浴時間30分の田中さん。

田中さんはビートルズで毎朝を起きた。
七時半頃に出勤、なんでもパソコン関係の仕事をしているらしい。
「ま、ルーチンワーク、やりたい事は別にあるんですけど」、そう笑った。
22時すぎに帰って来て、子犬プリントのパジャマに着替えて銭湯に行く。

噂話が好きだった。
大家さんの話、2号室で同棲している演劇青年とその彼女の話、家賃値上りの話。
昔は大家さんの娘がアパートの一室に住んでいて、その娘が自分はうるさく騒ぐくせに
こっちが友達を連れてくるとすぐに大家さんに言いつけた、そんな話。
僕の部屋、6号室の前の住人はいま、香港でたこ焼きの屋台を出しているのだと教えてくれた。

6年前、田中さんは家を出て初めての一人暮しをこの部屋で始める。
初めての夏、あまりの暑さにエアコンをつけた。
壁に穴が開き、「出ていく時は穴を埋めて」と大家はぶつぶつ言ったらしい。

靴持ちだった。
晴れた日には、ベランダに靴が十数足並んだ。
自転車を買った。
折り畳める、「五万円もしましたよ」な自転車。
コンパクトでオシャレな自転車は田中さんには似合わなかった。
自転車は赤で、僕のMTB(紺)の横に駐まっていると兄弟みたいだった。

ある日、田中さんがパソコンを捨てた。
パソコン3台にモニタ、プリンターなど、旧く黄ばんだそれらに
粗大ゴミ収集シールを貼って。

「今度引越しするんです」
唐突だった。
銭湯で一緒になってその帰り道。
びっくりした。
田中さんが引越しをするなんて思わなかった。
引越しをそろそろ考え始めていた僕にとって、田中さんはいつまでも送り手のはずだった。
田中さんがメ動いているモなんて思わなかった。

引越し前日、エアコンも置いていく、角部屋で日当りもいいからと、
5号室に移らないかと誘われた。
大家さんに一度聞いてみようかと。
エアコンは魅力だったが断った。
5号室は田中さんが6年間過ごした部屋で、僕の部屋ではない。

引越し当日、日曜日、雨。
「田中造園」とかかれた軽トラックをアパートの前に乗りつけて、騒がしく引越しが始まった。
田中さんの新居は故郷だと、実家に戻るんですよと聞いた。
兄弟が二人引越しを手伝いに来ていた。
色白デブっちょで、田中さんにそっくりだった。
田中さんは内弁慶だということが最後に分かった、兄弟にはああせいこうせいと喧しかった。
僕は何もする事がなくて、田中さんの5号室がカラになって行くのをずっと聞いていた。
ドタドタガヤガヤ。冷蔵庫を持ち上げる『ヨイショ』
パソコンをぶつけたのか『コラッ』
『さようなら』をと、立ち上がったがやめた。 静かになって、雨の音だけが残った。
日曜日は、田中さんの引越しを聞いて過ごした。

律儀にも、月曜には東京電力がやって来た。
「はじめてのご使用に関して」をドアノブにひっかけて、
素知らぬ顔で帰っていった。

さようなら。5号室の田中さん。