僕にとって2.1は少しだけ特別な日。
2002年2月1日。
東京のアパートを解約して、バックパックを背負って、初めての長い旅行に出た。
バンコクのドンムァン空港に降り立って早速、どこに行けばいいか分からず行ったり来たりしてた。
東京での忙しい生活が幻みたいに思えた、カオサン通り。
150バーツの宿。ほとんど独房のような。
その部屋で見た、壁に書きなぐられた、誰かの落書き。
" You'll see what I saw
But you never see it was mine
'Cuz I never name it "
(君もあれを見るかもね。
でもきっと君はそれが僕の見たあいつだとは気づかないんじゃない?
だって僕、名前なんてつけないんだから)
言葉に、さらに文字にするというのは、勇気がいる事。
実はなんだか良く分からないような気持ちでも、「寂しい」と言ってしまえば、結局「寂しい」になるような。
自分だけの「このグチャグチャ」が、言葉に出した瞬間、誰でも知ってる「ああ、あの寂しいね」に無理に形をかえるような。
他人にそう伝わるだけでなく、自分も「ああ、オレ寂しいんだ」と騙されるような。
赤かったと言ってしまった瞬間、えも言われぬ夕焼けの色が12色の色鉛筆のボックスに収まってしまうような。
鋳型に流し込まれた途端、それが「たこ焼き」か「お好み焼き」だったことになるような。実はただの小麦粉の水溶液なのに。
言葉にする事、名前をつけることに勇敢でなかった僕だけれど、
あの日のgrand hotelの150バーツの部屋で膝を抱えていた自分から5年がちょうど経って。
伝えなきゃならない事はちゃんと伝えなきゃいけないし、
言わなきゃいけない事、謝らなきゃいけない事もそうで。
なんだか。
忘れる事は怖いことでは全然ない。
何かが香り立てば、忘れていてもまた取り戻せる事は知っているので。
自分の見たり聞いたり、はたまたやった事が、別に陳腐でもありふれていてもくだらなくても、それは仕方がないと思う。そんなもの所詮、他人の判断だし。
自分のはらわただけに収めているのは確かに居心地がよい、嘘になる事も変形してオリジナルが見えなくなってしまう事もないのだし。
それでも自分の中の様々な「ぐちゃぐちゃ」を声に出してみたい、書いてみたい。
あの壁の、落書きの作者へ。
あんた怖かったんじゃない。
自分が見たものを、誰かに見られるのが。評価されるのが。
だからあんたが見たもの出会ったもの全て、自分の世界の中にだけ置いておきたかったんだろ。
あんたの心の中だけにあるものならばなるほど、それは誰にも侵せないから。
きっと純粋で優しい人、あんたは。そして弱い人。
旅行を始めた時、憧れたこともあったけれど、今は違う。
弱いの、大好きだけれど、今は強くなりたい。
もう自分が逃げない事も知っている、だったら。
色々考えましたが、やはり長い旅行はもうやめっぴです。
旅人、大好きですが、しばらく卒業です。
まぁここ5~6年の間は。
またホームページでも作ろうかと思ってます。
まぁ、のんびりとですけどね。