私は視力がとても良かった。
運動神経も良かった。
だから、眼鏡をかけている人には逆に憧れを覚えた。
ときに、伊達眼鏡もかけてみた事もある。
そして、走れない人や、機敏に動けない人はダサイとも思った事がある。
年をとり、最近では老眼が進み、老眼鏡が手放せなくなった。
そして、ちょっとした所につまずいたり、少し早足で歩いただけで、若干息切れもするようになった。
私の娘は小さい頃からかなりの近視で、眼鏡無しでは生活出来ないくらい視力が弱かった。
そして、筋力も弱く、普通では考えられない所で転んだりもしていた。
専門学校に行くようになり、容姿も含めて初めてコンタクトレンズに挑戦する事にした。
その時の娘の感想は、世界が明るく見えてとても幸せだ…と。
私は自分が老人に片足を突っ込む年齢になり、身体の不都合をひしひしと感じ、不自由を感じ、老後を暗く考え、何も無くなってしまった…と思える位、落ち込む毎日を送っている。
でも…、良く考えてみよう…。
もともと視力が弱かったらどうだったのだろうか…若い時、化粧をしても眼鏡をかけなくては前が見えなかったら、どうだったろう…。
年をとり、初めて当たり前だった事が、本当は当たり前では無かった事に気付いた。
視力は感覚器の80%を占めるという。
その世界が不自由になると、世の中も暗く感じてしまう。
この先、そんなに長くない人生なのに…である。
そんな当たり前では無いことを、当たり前だと思っていた自分が申し訳なく思うと共に、当たり前な事など無いのだなあ…と最近つくずく思うのです。
全てに関して、当たり前な事なんて、無いのですね。
今更感じている、愚かな私でした💧