5年生の運動会直前に俺は
左肘を骨折した。

ギブスで手首まで固定され
一人で銭湯に行くのが困難になり
そいつの世話になった。

たまたま見ていた近所のひとが
「よかったよかった」
なんて感動していた。


よくなかった。

その頃俺は学校でいじめにあっていた。
原因は色々あったが
母が水商売だったことと
父親でない男が家に出入りしていたことはよくいじられた。

いじめっこに投げ飛ばされて骨折したなんて
知ったらどう思っただろうか。

どうして俺の父親になりたかったのなら気付いてくれなかったのか…。


気付く訳もない。

再び祖母の家で暮らすようになると
やつは母が居ないのをいいことに
毎晩のように飲み歩き
酔っ払い
機嫌が良ければプロレス技を
悪ければただ単に殴られた。

祖母は早朝の仕事で夜は早く就寝し
その事は全く気付いてなかった。

何故誰にも助けを求めなかったのか

多くの被虐待児童もそうだと思う。

俺は洗脳されていた。

悪いのは自分

怒られるのは自分が悪いから

殴られるのは自分が悪いから

大人は正しい

大人はえらい

だからさからってはいけない
俺のお気に入りだった部屋に
ある男が出入りするようになった。

母の店の常連客の一人だ。

それまでも何人かの客の男達に遊びに連れて行ってもらったりしたが、
母は決して家に上げることはなかった。

そいつは今までの調子のいい奴等とは違い、寡黙で逆に俺にとってはつまらないヤツだった。

10才の俺にもそいつの教養の無さがわかった。
5年生の宿題が教えられなかった。

真面目そうだが頼りない、そんな感じだった。

しばらくして母がデパートの最上階のレストランに連れて行ってくれた。

そして「お父さん欲しいか」と切り出した。

俺は「お母さんがそれで幸せになるんやったら」
そんな大人びた返事をした。
ドラマかなんかで聞いた台詞のパクリだ。
父親なんかいらなかった。
でもこれで母が夜働かなくてすむ、
それが嬉しかった。



間違いだった。



母は店を辞めることはなかった。


母の代わりに今度はそいつに殴られることになった。
母は怒るとよく
「言うこと聞かへんのやったら日本橋行け!」
なんて言ってた。

父の実家のことだ。

そこに父が居ないであろうことがわかっていたからか、
それとも本気で言ってないことがわかっていたからか、
俺は「ごめんなさい」と言うしかなかった。


5年生になったころ
母は自分の店を出した。
裏に小さな部屋があり
そこでよく寝泊まりした。

カラオケの音や、下品な笑い声でろくに眠れなかったが、
母のそばに居られることが嬉しかった。

幼い頃母が勤めに行こうとするとよくぐずった。
泣いてしがみついたこともある。
一度「朝のパンを買ってくるだけ」なんて言うので、
ずっと起きて待っていたが
いつまでも帰ってこないので
パニックになり壁を叩き続けた。

となりおばちゃんが出てきて、


どうなったっけ


忘れた。


ともかく俺はその部屋が気に入った。

アイツが来るまでは