今回は、わたし自身のことについてお話ししたいと思います。
夢追い人
20代のころ、わたしには夢があり、漫画家を目指していました。自信もありました。アルバイトをしながら漫画を描き、人にも漫画家になるのが夢だと話していました。
まだ若く、未来に心配などありませんでした。
しかし、すごく漫画を描いていたか、愛していたか、というとそうでもなかったのです。はじめは音楽で身を立てるとか言って上京しましたが、すぐに挫折し、少し得意だった漫画に夢を切り替えただけでした。
今から思えば、バカにもなれず、ただ描くということもできず、本屋やゲームセンターに行き、時間をつぶしていました。
そのうち、内面についていろいろ考えるようになり、心理学から宗教やスピリチュアル関連の本を読むことに夢中になっていきました。
同時に、独学で瞑想をはじめ、あるとき光の中で幸福感に包まれる体験をしました。これはすごいと思いましたが、後にも先にもそんな体験をしたのはその一度きりでした。
しかし、なにか現実をこえた世界があると信じられるようになったのは、そのただ一回の経験が支えてくれたかもしれません。
夢をあきらめられない
30代、わたしは故郷に帰っていました。奥さんと子供もいました。
いろいろうまくいかず、一度帰郷して、また上京しようと思っていたのですが、気づけばそうなっていました。
正社員として地元の会社で働きながら、家庭のほうもなんとか守っていましたが、わたしはそれを手放しで幸せと感じることはありませんでした。
いつもどこか満たされず、自分の価値も感じられず、心の中はもがいていました。何者でもない自分がとてもイヤで、ときどき漫画を描いて投稿する、ということをしていました。少ない時間で作業も進まず、イライラしていました。何か自分に価値をつけなければ終わりだと思っていつも焦っていました。
一方で、わたしが小さいころ両親が離婚していたこともあり、私自身はかなり寂しい思いをしていたので、何か違う、何か足りないと思いつつも、家庭を壊して夢へと突き進むこともできませんでした。
まさにそれが自分の親父がしたことだったから・・・。
同時に、スピリチュアル関連のこと、真理に関することに興味は尽きず、ときどきは瞑想もしながら、悟りへのあこがれも募っていきました。なんとなく、いろんな本の言わんとすることがわかってきて、自分が高まってきている感覚もありました。逆に言えば、自分はわかってる側だから、ということで自己イメージをなんとか保っていたのです。
小さい子供とよく遊び、「パパ、パパ」となついてくれていたこと、父親としての役割もまた、わたしの支えになりつつありました。
夢やぶれて
40代前半まで、わたしはまだ逆転できるかもしれないと二人目の子供も育てながら、漫画にすがりついていました。
でも、ある日心が折れました。描けなかった。もう描きたくなかった。
描きたいからやってるわけじゃない。自分に価値をつけたいからやっていた。それは目的ではなく手段だったのです。
家庭は一応うまくいっていました。
「成功以外はなんでも持ってる」いつもそう思っていました。
成功だけが足りない。自分の価値はこんなものじゃない。そう思ってもがいて苦しみました。
こんなに精神世界のこともわかってきたのに!そんな自分は成功するべきだ!
子供たちや妻は、自分を愛してくれているのはわかりましたが、わたしは足りなかった。成功や、それに対する尊敬、そういったものが足りなかった。
しかしある程度わかってもいました。それは自分の無価値感をうめるために欲しがっているだけだ、と。焦りのからくりはわかりかけていました。
でも苦しかった。このまま終わる・・・。そういうリアルな気持ちは本物だったからです。
そんなとき、「鬼滅の刃・無限列車編」の映画を見ました。そういうのは嫌いだったんです。自分の劣等感を刺激するから・・・。でも子供と一緒に見てしまった。そして、夢やぶれたのです。・・・自分はこういうのは作れない。こんな熱量は無い。アンチになる気にもならない。そんな圧倒的な映画でした。
そして悟りも捨てた
夢やぶれたわたしがすることは、自動的に「悟りだけでもひらいてやる!」
そんなことでした。・・・でも苦しかった。
もう読むべき本も無いように感じ、本屋でスピリチュアルのコーナーにいるだけでも気分が悪くなるほどでした。もう何を読んでもうまくいく気がしない。波動の本も見た。有名人の成功体験、オポノポノ、引き寄せ、いろいろ読んでいろいろやった。
けど全部ダメだった・・・。
もうすべてがイヤでした。「なんとかメソッド」とか「〇〇の習慣」「マインドなんとか」「〇〇の鍵」・・・
そしてわたしは悟りのほうを捨てました。
もういいと思ったからです。もうやるだけやった。学ぶだけ学んだ。
でも届かなかった。だからもういいと思いました。
「生きている以上、苦はある。無明もある。完全に悟りきることはできない。」
そう思うようにしました。
ゴミは拾う
せめて、なにか役には立ちたかった。夢もダメ、悟りもダメな自分だけど、そのままじゃダメだと思いました。
父親として、子供も3人になり、懸命に育てていましたが、なにか他にもしたかった。
そこで大谷選手が運をよくするためにゴミ拾いをしているのをテレビで知り、せめてそれくらいはできると思い、通勤時にビニール袋片手にゴミを拾うことにしました。
自分ルールとして、人がいて恥ずかしいときはスルーしてよい、生ごみは拾わないでよい、なんか打算的だけどとりあえず続ける、という緩いものを用意しました。
拾っていたときはコロナだったので、マスクが多かったです。一番はタバコの吸い殻です。
夢やぶれて悟れなくてなにも残ってないので、なにか良くしてやろうという気負いはありませんでした。
それからの変化
ゴミ拾いをして5年か6年になると思いますが、いろんなことがありました。
社長が変わり、社名が変わる。
仕事内容も変わり、やりがいのあるものになる。
給料もあがり、家計がだいぶ楽になる。
イラスト投稿をはじめて、少しだがお金を出してくれる人が現れる。
ピアノを弾いたり、自転車に乗ったり、子供と釣りや登山をするようになる。
不思議なのは焦って何か動いたわけでもないのに、自分をとりまく環境が変わったのです。
ゴミ拾い効果あったなぁ、と思えたので、じゃあお礼にもっと拾うしかないな、という感じで今もゴミ拾いは続けています。
悟りを捨てて見えてきたもの
それは結局「悟りなんて本当は無い」という逆説的な真実でした。
子供は悟りなんてなくても楽しそうに過ごしています。思えばそれをずっと近くで見てきました。
ああ、いらなかったんだ。と後から気が付いたのです。
心と体の両方が地に足がつき、現実を生きること、それもまたスピリチュアルなのだと、後から気が付きました。
苦はある。イヤなこともある。悟れない、逃れられない、でももうそれでいいじゃん!
そんな人生を受け入れたとき、悟りを開いた理想の自分を捨てたとき、わたしはやっと自分の人生を生き始めたのだと思います。
わたしの他の記事の般若心経の翻訳などは、そういったことを経て、なにか自分にできること、なにか新しい視点があるはず、という思いで制作したものです。
今回は個人的なことをお話ししましたが、ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございました。
