監督:クリストファー・ノーラン
製作年:2006年 アメリカ
個人評価:6.5

19世紀末のロンドン。
大衆劇であったマジックの魅せ方に優れスターとして活躍していた「偉大なるダントン」。
人気公演の途中、事故に遭い溺死。容疑者としてかつては同じ師を持ち激しい
ライバル関係にあった「教授(プロフェッサー)」が逮捕されるところから物語がはじまる。
マジックと憎悪に取り憑かれた2人の奇術師のすべてを懸けたプレステージ(偉業)とは。

という感じの映画なのですが、
序盤からストーリーとしては面白いし年代設定の古さも感じさせない。
特異な人間の内面心理を鋭く表現し見てる方を緊張させてくるところは、
さすがクリストファー・ノーラン!

ってわくわくしてたのですが、
話が進むに連れすべての鍵となるマジック(仕掛け)が、あまりに荒唐無稽で微妙に派手な演出。
前半で「すべてのマジックには種がある」という台詞を印象深く使っていたので、
その点はなにかあるかも?と期待はしたけど、なにもなかった。
ダークナイトのような内面に迫る狂気に絞った展開で引惹き込んで欲しかったかも。

クリストファー・ノーランっていうだけでハードルあげすぎ!?









  感謝。

 「ありがとう」

 そう思えることが幸せ、と。

 何気ない食事

 誰かの親切

 仲間の助け

 家族の存在。etc...


 一方

 仕事などにおいて

 勝ち負けが見えてしまうフィールドで

 自分の限界や殻を破ることに挑み続ける人も多くいる。

 目指す先の挑戦が

 勝ち負けという

 シビアな現実の場合

 
 どんな結果になろうと

 そのとき 何気ないものに

 感謝できれば

 誰も不幸にはならない。

 きっと多くのことを得ている。

 「挑戦と感謝」

 これは誰の人生にとっても

 素晴らしい理想のサイクル。

 そして目標や挑戦などがなくても

 なにかに感謝できれば

 それは何にも代え難い幸せである、ということも

 覚えておいてほしい。



 今日読んだ本にそんなことが書いてあった。



 長友もインテルで自信を失いかけたとき

 食事への感謝からやりなおし、

 充分幸せな自分

 今の環境に感謝しがんばるしかない、と

 挑戦を再度、心に決めた。

 と、インタビューで言ってた。



 日々感謝の実践は、むずかしいけど

 ほんとその通り。




 僕はアイスランドアーティストの曲が

 とても好きで 

 毎日聞いている。



 言葉もわからないし

 ハッピーなメロディでもないのに

 深く染み渡るのは

 きっと自然、地球の風景を

 ただ表現してるからだと思う。



  美しさも

  脅威も

  破壊も

  再生も



 すべてを肯定しありのままに風景を表現する。

 そして

 この雄大な地球で自分が存在していることを
 
 ただ噛み締める。


 
 「感謝」



 その気持ちを持って

 曲を聴くと一層

 心に染み渡る気がする。




 「感謝」は人生を変える

 一番のエッセンスかもしれない。



 
 sigur ros [Heima]より


 




 
 
 
 
 


 
  

 人がひとり生きていくのに

 世の中にはさまざまな局面が用意されている

 不公平や自己犠牲_我慢なんか当然あり、

 協調できなければ其処で生きていくのはむずかしい。


 利害がなく協調できるのは、家族や友人と呼べる

 存在しているだけで肯定してくれる人たち



 大きな目標に挑戦したり

 理念を持って自己実現に邁進したり

 努力をもって素晴らしい日々を生きてる人もいる


 震災や事故や年齢でまったく知人がいなくなり

 存在を肯定してくれる人が誰もいなくなった

 そんな孤独な人もいる



 政治家は国民を

 経営者は社員を

 サラリーマンは家族を

 ニートは親、友人を


 大事な人の範囲は千差万別
 
 他人にはわからないが


 どんな大きさでも
 
 その存在に寄り添える人がいるなら

 その人を大事にしなければいけない。

 「ひとりじゃない」
 
 と伝えなきゃいけない 

 

 自分の大事な人たちが

 もし明日、急に何かで独りになったとして
 
 孤独にさせないために

 そこから生きてもらうために

 「これからもあなたに生きていてほしい」

 そんな意志を遺すため

 人は生きているのかもしれない。


 一切なにも残せず自分が死ぬとき
 
 大事な人に生きてほしい

 それ以外ないように思う



 そして誰もが

 本当の孤独と向合う人がいることを

 忘れてはいけない。

 
 本当の孤独を知る人の気持ちは

 誰も聞いたことがない

 そのときはもう死んでいるのだから。

 
 そんな人を作っちゃいけない


 身寄りがなくても

 助けてくれる人がいなくても

 まわりが全員死んでしまっても


 誰かの意志を抱いていければ

 独りじゃない、と生きていける

 
 震災孤児の話をうけて

 過ぎる日常への戒めとして

 思ったことを徒然なるままに。