2022年1月。

高校生活も終わりを迎えようとしているころ、私は担任からずっと言われていた

 

 

 

カウンセリング

 

 

を受けることになった。

 

 

 

 

カウンセリングとは英語のcounseling(相談、助言)からきている言葉だ。

私は高校3年間、ずっと言われていた。

 

 

 

「君、カウンセリング受けた方がいいよ。」

 

 

 

しかし私がここまで断り続けていた理由は一つ。

 

他人に相談しても意味がないと分かっていたから。

 

ただ今回は、「まあどうせ意味ないけれど行くだけ行ってみるか」という気になったのだ。珍しく。

 

 

 

 

 

相談室に入ると、まず名前やら家族構成やら悩んでいることやらを書かされた。

私は名前しか書かなかった。

 

 

 

 

 

「何に悩んでいるの?」

 

 

 

 

 

そう聞かれ、私は戸惑った。

 

ああ、私は何を相談しに来たのだろう。

 

 

 

 

いつも死にたいと思っていること?

 

卒業が悲しすぎるということ?

 

被害妄想が酷いということ?

 

自傷行為がやめられないこと?

 

 

 

 

 

どれをとっても、私の相談したいことではなかった。

 

それでもとりあえず、無難そうなテーマを選んだ。

 

 

 

 

 

「…みんなに悪口を言われるんです。死ねとか。」

 

 

 

 

 

そうして1時間ほど話した結果、

 

 

 

「これはカウンセリングでも病院でも解決できない問題」

 

 

 

だということになった。

 

 

 

私はなぜ行ったのだろう。

その疑問と同時に、本当は少しだけ解決してくれることを望んでいた自分が顔を出したせいで、涙が流れた。

 

 

 

 

涙が止まらなかった。

 

私は自分のカラーマスクが変色するくらいに泣いていた。

 

 

 

 

 

ふらふらとよろめきながら、私はある先生のもとへ向かう。

 

私のことをよく知っている(と勝手に私が思っている)先生だ。

 

 

 

先生の部屋に入ったが、先生はいなかった。

私は近くにあった椅子に座って泣いていた。

 

しばらくすると、先生が戻ってきた。

 

 

 

 

「あ、なんかいる。」

 

 

 

 

そう言って、近くに来て、話を聞いてくれた。

 

やっぱりこの先生しか私にはいないのだなと思うと同時に、自分への殺意がこみあげてきた。

 

 

 

 

なんで自分はこれを迷惑だと思わないのだろうか?

 

先生の立場に立ったことはあるか?

 

先生が迷惑だと考えたことはなかったのか?

 

 

 

 

 

私は自分の中の感情が抑えられなくなると、腕に傷をつける癖があった。

 

それを自分でやめようとして、先生にカッターやらハサミやら剃刀やらを全て預けたのだが、

 

この時は切りたくて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだ、

 

自分のがないなら他人のを使えばいい。