この自粛期間に僕が感じてることは、

 

リアルに誰かと一緒にいることって

 

すごくうれしいことなんだなぁ、と。

 

 

 

どちらかというと

 

いくらでも家にいられる僕なんだけど

 

やっぱり人と会ったり

 

人がいる雰囲気を感じると安心する。

 

 

 

昔は、家に一人でいるのって

 

気楽で最高!って思ってたけど、

 

今は誰もいない家に毎日いるなんて

 

さみしくて耐えられない。

 

 

 

で、一緒にいてくれる奥さんや

 

一緒に遊んでくれる人、

 

ふと話しかけた人との

 

五感で触れ合う感覚って、

 

すごくうれしいことなんだなって感じてる日々なのです。

 

 

 

世の中的に

 

テレワークもやってみると意外とできることや

 

テレビ番組でも出演者が自宅から参加しても成り立つ

 

友達ともビデオ通話でいくらでもコンタクト取れる

 

そんなふうに、便利になることが加速するでしょう。

 

 

 

が、一方で

 

実際に人と会うことの喜びや

 

何人かで集まって遊ぶ楽しみ

 

にぎやかな街を歩く楽しみ

 

そんなことも

 

当たり前じゃない状況になってみると

 

めっちゃ恋しくなるくらい、

 

僕らはそこに喜びを感じる生き物ってことも

 

わかってくる。

 

 

 

僕はテクノロジーの進化が向かうのは

 

天国化だと思っていて

 

というのは、

 

一瞬でどこへでも行けたり

 

どんなに離れていても顔を見て話せたり

 

スイッチを押すだけで食べ物が出てきたり

 

ひょっとしたら、寿命も操作できる?

 

っていう

 

「こうしたい」と思った瞬間それが叶う世界に

 

いたいだけいることを

 

人は目指していると思ってる。

 

 

 

それって、肉体のない世界

 

すなわち天国じゃんか。

 

 

 

てことは、

 

その喜びを目指して人類は進むんだけど、

 

それが叶ったところで

 

ラク、便利ではあるけれど

 

幸せなのか?

 

って思うんだよね。

 

 

 

だって天国行ったらそれは日常なわけで

 

天国に退屈してわざわざこの世に降りてきたんだから。

 

 

 

この世にいるからできることって、

 

なんか人といると安心する感覚や

 

ふと人恋しくなる感覚を

 

身体を使って感じること、体験すること

 

じゃないかと思う。

 

 

 

ただ友達と顔見て話せるとか

 

ただ誰かと一緒に生きるとか

 

それだけで

 

生きてることの意味はある。

 

そんな日常的な当たり前のことが

 

実はこの世でしかできない

 

特別なことなんだよね。

 

 

 

お金持ちになっても

 

偉くなっても

 

全部自由になっても、

 

最後に欲しくなるのは

 

人との触れ合いな気がする。

 

 

 

それって、人に認められ

 

自由を手にしないと得られないものじゃなくて

 

過去にいっぱい体験してきたはず。

 

 

 

そのときには「ただの当たり前」だったことが

 

実はこの世で一番価値のあること

 

って言えるじゃないか。

 

 

 

人と会って話したり

 

店員さんと笑顔を交わしたり

 

人の雰囲気を感じるだけで

 

なんか安心する感覚って味わえる。

 

 

 

今感じるものが

 

ただの日常なのか

 

生きてる喜びなのか

 

それを決めるだけで

 

日常の意味が180度変わるんだね。

 

 

 

あー、早く旅したいなー!

 

わざわざ時間かけて遠くまで行って

 

見て聞いて遊びたい!

 

 

 

 

 

 

 

世界で唯一のあなたへ

 

心理カウンセラー

猪狩純一(ガリさん)

 

 

 

わざわざ2時間煮てから焼き上げるうれしさよ!

 

てか、美味しさよ!(^^♪

 

 

 

 

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