相手のここはいいけど、

 

ここはイヤ。

 

てか、キモイ、ウザイ(笑)。

 

ってなってるときって、

 

 

 

そのキモさ、ウザさを感じる

 

自分を大切にできてないのよね。

 

 

 

キモイから、あっち行け

 

じゃなくて、

 

自分から離れる。

 

 

 

ウザイから、こうしろ

 

じゃなくて、

 

自分から離れる。

 

 

 

わたしはそれにキモイと感じます。

 

それをウザがる人です。

 

それを発表して離れる。

 

 

 

それでいいのに、

 

「わたしにそれを見せるなー!」って言いながら

 

至近距離にいる(笑)

 

もしかして、ドМですか?(笑)

 

 

 

自分から心地いいところへ行く。

 

自分から快を感じに行く。

 

 

 

不快を感じる自分のセンサーを

 

大切にピカピカに磨いておこう。

 

これからも、不快なところに居続けないように

 

わたしにしっかり教えてねー!

 

って言葉をかけておこう。

 

 

 

「ここにいるのがとってもイヤなのに、

 

誰もなんともしてくれないんです」

 

って言いながら居続ける

 

んじゃなくて、

 

「ここにいるのがイヤだって

 

わたしが感じてる、その感覚に素直に動こう」

 

って決めてみる。

 

 

 

そうやって離れてみて、

 

「いやー!スッキリした!」って感じてたとしても、

 

「あー!早まったことをしてしまった!」って感じても

 

どっちも正解で。

 

 

 

早まったと思ったならば、

 

そこにいて喜べることを喜べてなかったんじゃないか?

 

自分の喜びのセンサーも

 

正常作動させてなかったんじゃないか?って気づくことができる。

 

 

 

やってみないと気づけないところまで来てるなら

 

やってみてもいいじゃまいか。

 

センサーの感度を上げるのが先かも。

 

 

 

で、

 

そんなときって、

 

自分のブラックな部分を

 

自分でキモイ、ウザイって言ってたりする。

 

 

 

いや人間だから。

 

機械じゃないから。

 

腸に菌いっぱいいるから(笑)

 

菌いないと死んじゃうくらいだから(笑)

 

てことは、菌も自分の一部だから。

 

 

 

自分もキモイし、ウザイのよ(笑)。

 

 

 

相手のキモサは受け取る必要ないけど、

 

自分のキモサは捨てないで。

 

自分の弱さは捨てないで。

 

自分の情けなさは捨てないで。

 

自分の子どもっぽさは捨てないで。

 

それはみんな、自分の一部だよ。

 

 

 

ウンワ、ドット(by サザエさん)

 

 

 

自分のキモサを受け入れたとき、

 

相手のキモサを問題にしなくなる。

 

自分の情けなさを受け入れたとき、

 

相手の情けなさが、かわいくなる。

 

自分の子どもっぽさを受け入れたとき、

 

相手と子どものように遊ぶことができる。

 

 

 

相手はただ、それを教えてくれてるだけなのです。

 

 

 

 

 

 

 

世界で唯一のあなたへ

 

 

心理カウンセラー

猪狩純一(ガリさん)

 

メリクリモードだねぇ♪

 

 

 

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