悪人つっても、人から奪うことで幸せに満たされる人はいない前提の話。




「自分、善人です。
だって、あの悪人に比べたら
自分はこんなにルールを守って…」

と言ってるうちは、
悪人の存在に感謝せざるを得ないね。

比べる対象を使って自分の価値を確認するのであれば。

あの人よりはマシって、
それ、腹黒くね?

悪人が見えるということは、
自分にもその素養があるから。
それなのに必死に
「あの人のようにはならない」
と自分の中の悪を
封じ込めようとしてるから、
悪いあの人をアッチイケ!する。
でもね、忘れた頃にまた違う「あの人」みたいのがやって来るのよー




「自分、できる人です。
だって、あのできない人と比べたら」

と言ってるうちは、
できない人に感謝しないといけないね。

「あんたできないの?」
って言うことで自分をできる人に持ち上げるのって、腹黒くね?(笑)




逆に、
「自分はできない…
なんでできないんだろ?
ここが悪いから?」
って被害者になるのは、
加害者に感謝しないとね。
相手に光を与えて、
影に安住するのを選んでるのは、自分だもんね。(耳イテテ!)

相手がどうこうじゃないんだ。
比べる必要はないんだ。

自分に光をあてよう。
善人であることを認めよう。
自分にできた影をよく見よう。
悪人であることも認めよう。
どっちもあって、
自分なんだ。

その自分が、丸ごと愛されてる。
だから今ここに、生かされてる。
そこにこそ、感謝しよう。

そんで、そんな相手がいる、
自分を照らす光がある。
にありがとう。

光に照らされて、感情を味わってる。

だから、自分も光りを放ってしまえ!


自分の中の善人も悪人もふくめて、強く!ね(*^^*)




心屋認定心理カウンセラー
ガリさん