20代の頃、僕はテレビ屋をしてました。
「○○ちゃん、いいね、本番もその調子でよろしく~♪」
っていう、アレです。

その時に知り合ったカメラマンの大先輩がいまして、
その方の撮る映像が、もうとても半端なく
優しさにあふれているのです。
例えば8月の朝、お台場の砂浜に残された
花火の燃えカスを撮った
何気ない10秒のカット。

言ってしまえば砂浜に残されたゴミですから、
祭りのあとのさびしさとか夏の終わりへ向かうせつなさとか、
画面に映るのはそんな気配のはずなんですが、
その大先輩の撮った映像からは、
花火の役目を果たした満足感というか、
「オレ、ゆうべ若いやつらにキレイな花火見せてやったんだぜ!」
なんていうセリフが聞こえてきて、
花火を囲んで楽しんだであろう若者の笑顔が
連想されてくるという優しさがあるんです。

その方に僕はひどくかわいがっていただいて、
月に2回は銀座の小料理屋に連れていっていただいて、
めちゃくちゃおいしい旬の魚やら野菜やらを
ごちそうしていただきました。
20代の僕にはその料理の素晴らしさ、お酒とのマッチングは
相当鮮烈で、そこに集う社長や弁護士の方々との
大人の男のお付き合いもカッコよくて、
なにより彼の優しさに包まれた時間の
心地よさに酔っていました。

当時の僕はとても存在給が高くて、
そんな風にごちそうしていただくことに
何の疑いも持たず、何のお返しをすることも
まったく考えていないほどの親知らずで、
いつか自分もそんな男になりたいという
夢だけを持っていました。

月日が流れて、その方とも疎遠になり、
37歳の時にふと、
感謝があふれてきました。

あの時のめちゃくちゃおいしかった料理が
僕の味覚を育て、本物の素材やプロの料理を教えてくれた。
あの時の成功した方々とのお付き合いが
自分も同じ場所にいられる存在だという経験をした。
そして何より、学びとか結果とか、何かを得よなどと
押しつけがましいことなど一切言わず、
お金の心配を一切させず、
一緒に最高の酒を飲んで楽しんでくれていた
大先輩の無償の愛。

40歳を目前に控えて、僕は
大先輩の愛の大きさと太っ腹さに
一気に気づいてしまい、12年ぶりに
大宮にある彼の自宅へ感謝を伝えに伺ったのですが、
会うことは叶いませんでした。

「さあ、この伝えられないままの感謝、どうしよう?」

そのとき僕は、やっと実物大で見えた超特大の愛情を、
受け取ったままでいることのモヤモヤを感じました。
だってもう、本人には、
目に見えるもので返すことができなくなってしまったんですから。


つづく



今日も幸せな気持ちで目覚めました。
ブルームーン、きれいでしたね(^^♪


心屋認定講師を目指すマスターコース35期受講中
日本メンタルヘルス協会基礎カウンセラー
猪狩純一