竹内栖鳳 宝珠図:掛軸 | 野崎淳之介 『玉石混淆 美術館』 blogsite

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玉石混淆=良いものもそうでないもののごちゃまぜになっている様。

 

竹内栖鳳(たけうちせいほう Seihou Takeuchi

元治元年—昭和17年

 

 

明治・大正・昭和の始めにかけて活躍した日本画の巨匠。

第一回文化勲章受賞者であり帝室技芸員。

 

横山大観・川合玉堂と並んで「近代日本画の三巨匠」のひとりと称され、

「西の栖鳳、東の大観」と呼ばれる程

近代日本画壇の頂点に君臨した日本画家です。

 

画風も大和絵・西洋画・水墨画など様々な技法を取り入れ、

特に動物を描かせれば匂いまで描くとまで言われた達人でもあります。

 

最初「棲鳳」の号を名乗っていましたが、後に「栖鳳」と改めています。

 

 

そんな大巨匠・竹内栖鳳が描いた宝珠の図です。

 

 

宝珠とは「如意宝珠」ともいい

仏教において全ての物事を思い通りに叶えてくれるという

霊験あらたかな珠のことをいいます。

仏画でよく仏様が手に持っているものです。

 

 

落款部分です。

この絵には印譜のみで署名は書かれていません。

 

 

印譜を比較してみます。

 

左側は参考資料。

光村推古書院 刊「竹内栖鳳」(大型本・作品集)から抜粋しています。

ピタリと合致するまったく同じ印譜です。

 

 

この印譜には「竹内棲鳳」と彫られています。

竹内栖鳳は明治34年にヨーロッパを巡遊しています。

そして、その帰国後に号を「棲鳳」から「栖鳳」に変えていて

印譜なども作り替えているので

この作品は明治34年以前に描かれたものであることがわかります。

 

 

また、参考資料の光村推古書院 刊「竹内栖鳳」の解説によれば

この印譜に関しては、作品に使用された例が見出せないといい、

『ただ、①(この印譜)が潤筆料を受領した證書に

しばしば押されているのが面白い」(本文抜粋)と書かれています。

 

これほどの竹内栖鳳研究書でもある大型作品集の解説の内容が

いまでもそうであるならば

この印譜の押された宝珠図はかなり珍しい作品であると思われます。

場合によっては、この印譜を使用した絵の存在は

それなりに価値あるものなのかも知れません。

 

 

箱は鑑定箱となっています。

 

 

本来の竹内栖鳳の繊細なタッチではなく

かなりザックリとした一筆書きのような宝珠図ですが

一般にはほとんど知られていない印譜が使用され

それが完全に合致することなどを踏まえれば

この作品は竹内栖鳳の真筆で間違いないと思います。

 

憶測ですが・・・この宝珠の絵はそのタッチから

酒の席で乞われて描いた即興画の「席画」か、

または、証書などに使用されていた印譜が押されていることから

受領証などを書いた際にその場で相手に描いて渡した

いわゆる「オマケ」のような絵だったのではないでしょうか。

だからこそ、証書に押した印譜と同じ印が押してあったと考えると

合点がいくと思います。

 

しかし、たとえオマケのような絵であったとしても

大巨匠が描いた絵に違いはありません。

受け取った人物は丁寧に表装して掛軸として飾り

それが現在巡り巡って私の手元にあるということを考えると

何か感慨深いものがあります。

 

そういう作品にまつわる背景を考えてみるのも

美術を楽しむひとつの方法であるともいえます。