船橋:はなしききやのじゅんちゃんです。


振り返ると 彷徨う自分が、目の前に現れる。

賑やかな人混みだったり、薄暗い場所だったり……

私の記憶の中には、戦後の貧しさがある。昭和の南海大震災の体験がある。


そして、電灯が明るくなり、洗濯機が、冷蔵庫が、次々と家の中に入ってきた日々がある。

テレビで相撲を見て、オリンピックに声援を送り、時代劇の塀が倒れるたびにくすっと笑った🤭


便利を追い求め、どんどん発展していく世の中を、幼い私は目を輝かせて見ていた。目の前の変化は、いつも華やかだった。



30代は、人並みに結婚・出産。

40代は、子育てに専念した専業主婦。

50代の中頃からは、ビジネスの世界へ。

60代は、仕事をしながら看病・介護。

70代は、退職と同時に老々介護。


そして——「はなしききや」の活動へ。

その間もずっと、彷徨うように自分を満たそうと、学びの場を求めて出かけ続けた。

学んでも、學んでも、3日坊主の繰り返し。

満たされない不安。

潜在意識の奥に隠れた劣等感。

他人と比べては湧き上がる不満。

言いようのない不安定さ……


本を読み、講演会に参加し、貪欲に「自分探し」を続けた。

年を重ねた経験で、世の中のことも物事の理屈も、知ったふうな顔で「整えて」生きていた。

でも本当は——何かが、ずっと足りなかった。



83歳の春。

「塩むすび【禅】の会」で、真っ白でまん丸のおむすびに出会った。

座学の内容は長く、以前に学んだ「人の生きる道」と重なる部分も多かった。

ああ、そういう会なのだなと、どこか頭の中で整理していた。


やがて、土鍋でのご飯の炊き方を習う。その出来栄えに、大満足💯

そして最後に——「認定」があると言う。

こんなおむすびで、合格・不合格が分かるものか?

半信半疑のまま、受けてみた。

1回目——不合格🥲

座学に立ち返り、もう一度向き合って挑んだ。

2回目——合格💮


「生き辛かったな…… 人は50.60には自分の生き方は動かし難い。 

素直と言っても出来ないが普通。

83歳で2回目に合格とは、すごい」

主催者の男性は、そう言いながら、私の口におむすびを頬張らせてくれた。


感動はなかった。

「ふーん そうなんだ」という感じだけだった。


ただ 認定の時に、後ろ手の棒を押されて身体の中心軸をチェックされた。

教わったように結んだおむすびを食べた後の私の身体は——微動もしなかった。

凛と、立っていた。


これが、私だ‼️

他人に「騙されている」と言われても、誰がなんと言っても、これは私の真実の体験だ。

見えない世界を絶対に信じなかった私が、この瞬間、見えない自分の心の奥を——

初めて、強く感じた。



その後、「光のおむすび®︎」の活動を続ける中で、じわじわと気づいていったことがある。

あぁ、「信じる」とは……これだ。


83年間探し続けた答えは、まん丸の白いおむすびの中に、静かに宿っていた。











船橋:はなしききやのじゅんちゃんです。



じゅんちゃんのブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます😊
今日は、ちょっと勇気を出して
わたしの身体の話をさせてください。



あの頃の膝は、まるで裏切り者でした。

階段を降りるたびに「ズキッ」。

立ち上がるたびに「ズキッ」。

朝、床から起き上がるだけで「ズキッ」。

病院に行くと、先生に言われた言葉が

今でも忘れられません。

「変形性膝関節症です。

軟骨がすり減っていますね。

年齢的に、これはもう仕方ない部分もありますよ。」


…仕方ない。

その言葉がずっと、頭の中をぐるぐると回っていました。

「仕方ない」という言葉を、わたしはどこかで信じたくなかった。


でも同時に、もうひとつの問いが生まれていました。

「この痛みは、わたしに何かを伝えようとしているんじゃないかな」


『はなしききや』の活動を通じて、

わたしはずっと「言葉の力」「聞く力」を大切にしてきました。

人の話を聞くとき、

その人の奥にある「本当の声」を聞こうとすること。

それをしているうちに、ふと気がついたんです。

「わたし、自分自身の声を聞いていなかったな」って。


痛みから目を逸らすのでも、

痛みを恐れるのでもなく——

痛みの声を、ちゃんと聞いてあげること。

膝はずっと、

「じゅんちゃん、ちょっと休んでよ」

「もう少し、丁寧に扱ってよ」

と言い続けていたのかもしれない。


意識が変わり始めたのは、そこからでした。

お薬も、注射も、もちろん否定しません。

(わたしは医療の専門家ではありませんので、治療はかならず先生とご相談くださいね!)

わたし自身がやったのは、ふたつ。


ひとつめは、「痛みと結びつける意識を、そっと外すこと」。

気づいたんです。

無意識のうちに、こんなことを考えていたって。

「今日は雨だから、膝が痛くなるかも」

「たくさん歩いたから、あとで痛くなるかも」

悪気はないんです。

経験から来る、自然な反応。

でも——その「かも」の積み重ねが、

身体に「痛くなる準備」をさせていたのかもしれない、と感じました。

だから、その言葉を頭の中で見つけたとき、そっと手放してみることにしました。


「雨だけど、今日はどうかな」

「歩いたけど、膝はよく頑張ってくれたな」

決めつけない。

先取りしない。

ただ、今の膝の声を聞く。

これは、あくまでもわたし個人の体験と気づきです。


でも、もしあなたも似たような「かも」を

無意識につぶやいていたら——

一度、外してみることを試してみてもいいかもしれません🌸


ふたつめは、「膝の声を、聞くこと」。

毎日、膝に手を当てて、

「ありがとう。長い間よく支えてくれたね。」

「痛かったね。ごめんね。」

「一緒に丁寧にいこうね。」

…最初は、正直、自分でも半信半疑でした(笑)

でも続けていくうちに、痛みへの向き合い方が、少しずつ変わっていきました。


「痛みをなくさなきゃ」という焦りから、

「この痛みが教えてくれていることは何だろう」という問いへ。


3ヶ月後、先生が首をかしげました。

「炎症も落ち着いていますし、ずいぶん安定していますね。」

「何か特別なことをされましたか?」

「……膝の声を、聞くようにしていました。」

先生、しばらく黙っていました(笑)


治療は無事に終了。


「痛くなったらまた来てください」という言葉をいただきました。



意識の力、と言うと難しく聞こえるかもしれません。

でもわたしが感じたのは、もっとシンプルなこと。

痛みから逃げるのでも、

痛みにとらわれるのでもなく、

 痛みの本質に静かに向き合うこと。

そして、痛みを先取りする言葉を

そっと手放してみること。

自分の身体を「やっかいなもの」として扱うのをやめて、

「ずっと一緒にいてくれる存在」として

丁寧に聞いてあげること。

それが、わたしと膝の関係を変えてくれたんだと思っています。


「人の話を聞く前に、

まず、自分の声を聞きましょう」

今では、そう伝えるようになりました。

あなたの身体も、きっと何かを伝えようとしています。

よかったら今日、自分の身体にそっと手を当てて、

「ありがとう」って声をかけてみてください🌸


そして、もし心の中に

「〇〇だから、痛くなるかも」という言葉を見つけたら——

その「かも」を、一度そっと横に置いてみてくださいね。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。





船橋:はなしききやのじゅんちゃんです。


また一つ戦争が 勃発した。
国と国が・・・
宗教と宗教が・・・

損得が・・・

あいつは 嫌いだ・・・
あいつの考えは 間違ってる・・

勝った 負けた・・・
正しい 間違い・・・

愚かな戦いを 黙って見過ごして良いのだろうか⁉️
この地球に生きてる者として
何をなすべきか・・・

あの大戦を経験した国として
あの大戦を経験した国民として

あの大戦で父が戦死した子として
傍観者でいいのだろうか⁉️

神代の時代から
一粒の籾から稲作をして
その収穫した米を主食として来た 日本人の本質が 荒ぶる心を鎮めるのでは なかろうか・・・


集団と調和を重んじると共に

伝統を重んる。

礼儀正しく 他者への配慮が出来て

空気を読み 謙虚さを備えている。


まだまだ ありましょうが 私の心根が喜ぶ特性(本質)を並べてみました。

日本人には 大和魂の〇〇道のような 深く長く培われた 揺るぎない型があると思います。


目の前の現象に惑わされる事のない 日本人の持つ型を思い出し 謙虚に凛として生きて行く在り方生き方が この身勝手な損得や勝ち負けの世を 目覚めさせるのではないだろうかとの考えに至りました。


世界の争いに 自分一人で何が出来るかと諦める前に 日本という国に生まれた我が身を 長く長く続いた国の誇りに背を押されながら 日本人の生き方を貫いて生きたいと しみじみ感じ入っています。


読んでくださった皆様は 如何でしょうか⁉️








船橋:はなしききやのじゅんちゃんです。




3月朔日

京の朝は 静かです・・


身体の芯まで

透明になっていく


昨日は 初体験の

香良洲神社での おむすび奉納でした⛩️


周辺の竹林の吹き抜ける

風のよろこひ・・

天と地が繋がるような

凛とした身体の感覚・・

言葉にできませんでした。


一瞬一瞬 同じものはない

その場でしか 体験出来ない。

総ての おむすび奉納は

一期一会の 尊い場であり

時である。

また 向かって行こう🐾


ご一緒出来ました皆様

ご縁に感謝申し上げます🙏

ありがとうございました


おむすびの体験会

https://fb.me/e/48gtB6W9m?mibextid=wwXIfr

船橋:はなしききやのじゅんちゃんです。



「お日様は 待ってくれんぜよ‼️」

明治生まれの祖母の声が 聞こえる👂

どんな状況だったか記憶にないが 小さな私が
"そうか 明るい内にするんやな"
戦後の不自由な子供の 心の奥に沁みた❤️‍🔥

そののち 日本は成長して 
人間が楽になる様に 
どんどん便利になり 
お日様が沈んでも
不夜城の様に明るい時が 
通り過ぎてゆく・・

電話を始めて知った時
電線に 話が乗っかって
どうやって相手に届くだろう⁉️
不思議でならなかった⁇⁇?

地域に一軒ある 何でも屋さんに赤い公衆電話がついた。

勤め始めた頃 月の煌々と輝く夜道を 男の人に追いかけられ飛びかかって来たので 身体をかわしたら 田圃に落ちた隙に 走って民家に駆け込んで難を逃れた後 公衆電話で交番に電話をして
「捕まえてください」と
低い声で伝えた事もあったな。

怖かったな〜〜

そして何年か後 我が家にも黒い電話がついた。

世は移り 60代かな
携帯電話が開発された。

当時のリーダーが得意そうに見せてくれた。
大きな箱だった。
便利な ポケベルも使った。

通信の進化は進み
ガラ系の携帯電話も長く使った。
そして スマホに変える時は勇気がいった。
一年一年歳を重ねると 余計に出来なくなると思う自分と戦って スマホに切り替えた。
便利だわ📱

世の中は 夜の夜中でも 平気でsnsの投稿や お知らせメールが鳴る。
まさに 小説 モモに出てくる時間泥棒や。

昼夜関係なく 時間を自分の都合に合わせて 自由に使う様になった。

物も 時も 場も
もっと大事に使えないかな・・
便利になり過ぎて
不便を感じる様になった😱😱
睡眠を妨げられる
夜中のLINE😭

やっと眠たくなり ウトウトしたたら 着信音が鳴る。

そうだ!
寝室外に スマホを置こう❣️


そう言いながら 
文明の機器で 呟いている
ばーさんであります👵🏻