諧謔(かいぎゃく)の世界

諧謔(かいぎゃく)の世界

わたしは80歳を過ぎてから、諧謔の世界にはまりました。
諧謔とは、ユーモアの利いた洒落や冗談のことで、
諧謔の面白さを絵にしたいと思いました。
楽しんでいただければ幸いです。

こんばんは。

久々の投稿になります。

 

ずっとほったらかしにしていたのに

時々このサイトを覗きに来てくださった皆様

いいねやフォローくださった皆様

本当にありがとうございます。

 

さて久々の投稿ですが

今回は順子さんが亡くなったことについて

皆様にお知らせしなくては

なりません。

 

6月11日、火曜日早朝5時15分に

眠るように静かに

この世を旅立っていきました。

 

 

今年の一月に親族で集まって

父の誕生祝いをした時

順子さんはもうほとんど

モノを食べられない状態で、

毎日のように近くのクリニックに

点滴に行っていました。

 

ずっとものが食べられない日が続き

今年の4月に隣町の総合医療センターに

緊急入院。

 

検査の結果、悪性リンパ種で

ステージ4まで進んでおり

余命1ヶ月の宣告を受けました。

 

娘の私は今年の一月末から

京都の木津川市のグループホームに

入居していたのですが、

父のことが心配で

急遽、実家に戻って来ました。

 

そしてその間、父が下血して入院し、

父と順子さんの両方の病院に見舞いに行ったり

親族や順子さんの友人たちに最後のお別れの

通知を行ったりしているうちに

あっという間に月日は過ぎていきました。

 

結局亡くなるまで、

2ヶ月あったおかげで

葬儀の準備も事前にある程度はできました。

 

今回は北海道に住む姉の長女である姪が

ずいぶん助けてくれて、

葬儀は無宗教形式することにしましたので

この姪が、メモリアルムービーを作ってくれたり、

葬儀の日も受付してくれたり

八面六臂の活躍をしてくれました。

 

 

また、順子さんは

この「諧謔の世界」の

二冊目の作品集を作りたいと

以前から希望していたので、

お葬式は

2022年に発売した

「諧謔の世界」には載ってない作品を

発表する個展のような

お別れ会にしたいと

思っていました。

 

 

 

なので、その作品の選定や、

作品を交えたメモリアルムービーを

作るのでバタバタと日にちが過ぎていきました。

 

終末ケアをお願いしていた病院から

食事もしなくなったし血圧も70切っているので

もうそろそろかもしれない。

ご家族の方にすぐ来て欲しい。

と言われたのが6月10日の午後のこと。

 

それを聞いて私たちは

あと残された時間が少なくなって来たのを

覚悟しながらも、まだ呑気なところもあって

誰が順番に順子さんと最後のお別れをするか

決めようなどと言っていました。

 

すると夜になって姉が言いました。

「病院の看護師さんが来てくださいというのは、

もう今日、明日ということだよ。

呑気に構えてたらお別れできないまま

お母さん死んじゃうよ」

 

それを聞いた父が

「お母さんは死なない!」

と叫んだり、ちょっとした修羅場になりました。

 

それで、病院に一度電話して

聞いてみようということになって

電話してみたら、

「ちょうど血圧が測れなくなったので

すぐ来てください」

とのことでした。

 

それで、タクシーを呼んで、

急いで病院に行きましたら

まだ間に合って、

順子さんは呼吸器だけつけた状態で

少し呼吸が荒いけれど

なんとかまだ生きてくれていました。

 

私たちはそれから、看護師さんに

多分長丁場になるだろうから

家族の控室で休みながら診てあげてください。

と言われて

休みながら順子さんの最後の瞬間を

一緒に過ごしました。

 

看護師さんが

「呼吸は苦しそうに見えても

眉間に皺がよってないので

ご本人は私たちが思うほど苦しくないようです。

ただ耳はしっかり聞こえていますから

どんどん声をかけてあげてください」

と言うので、

私は順子さんの描いた「諧謔に世界」を

1ページづつ読んでいきました。

 

 

そしてそれからしばらく休んで

ちょうど亡くなる15分前に目が覚めて

呼吸が小さくなっているのに気づいて

看護師さんを呼ぶと

もうそろそろですね。

と言われて、眠っていた父を

起こしました。

 

するとそれを見届けたように

スルッと身体から魂が抜けていくようにして

最後の呼吸が止まりました。

 

亡くなった瞬間魂が抜けて

あっという間にシュッと小さくなっていく

順子さんを見て、

ああやっと楽になったんだなと思いました。

 

それからは葬儀のことやら

なんやらであっという間に

順子さんとの最後のお別れが来てしまいました。

 

 

皆様に読んでいただいた

「諧謔の世界」はこのまま

アメブロに載せておこうと

思います。

 

私は小さい頃から母のことが

苦手でした。

 

母からも

「私たちは合わなかったね」

と直接言われたこともあります。

 

でも最後の三年間一緒に

「諧謔の世界」が作れて

本当に良い思い出ができたし

素晴らしい読者の皆様との出会いもあって

本当にありがたかったことばかりです。

 

ありがとうございました。

 

順子さんはは「理不尽を酒の肴に」した

とても逞しく、強い女性でした。

 

入院中も

子供達に会いたいとか

泣き言も全く言いませんでした。

 

お通夜から葬儀にかけて

本当に素晴らしいお天気の日で

ジメジメと悲しむお葬式ではなく

カラッとした楽しむお葬式ができました。

 

今回の人生はやり切った。

もう、順子さんは次の人生に向けて

スタンバイしているのかもしれません。

 

もし、あなたが、

何か理不尽な目にあっったりしたら、

時々、この諧謔の世界を

覗きに来てください。

 

クスクスっと笑って

明日に向かってあなたが

スタンバイできれば

親子供ども

こんなに嬉しいことはありません。