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no rain no rainbow

成長がゆっくり、のんびりなのんと心配性のママ(私)の毎日です。

自分に自信を持ってのんには生きていって欲しいと思う。

そしていつも自分自身を好きでいられるようになって欲しい。

私は・・・

自分に全く自信がない。

自分のこともあまり好きではない。

違う誰かになりたいと思うことも多々ある。

もっと強く、もっと優しく、もっと賢く。

自分に自信がないからいつも他人の目を気にして、他人と自分を比較してしまう。

そんな事は愚かでくだらないことなのに。

わかっているから必ず後で後悔し、反省する。

それを何度も何度も繰り返してしまう。

学習できない自分がさらに恥ずかしく、情けなく思う。

父と母の娘、姉二人の妹、のんの母親なのだから情けない、愚かな自分から脱皮しなければ。

のんの未来に光がさすように。

私の大切な人たちが笑顔でいられるように。


でもそのためにはどうすれば良いのかな???


その答えはきっと私の中にあるのかもしれない。


母が亡くなる前に私に

「いつでも音楽を聴かなきゃダメだよ。」

と言っていた。

母が亡くなり、2番目の姉が亡くなり、のんが生まれて私は日々の生活に追われ

本も読まなくなり、音楽も聴かなくなった。

のんに発達の障害があるとわかると障害に関する本だけを読んでいた。

自分の心のために本を読んだり、音楽を聴いたりすることはほとんどなかった。

父がこの夏亡くなって母のこの言葉が妙にひっかかり、何となく手嶌葵さんの曲を聴いて見た。

「テルーの唄」  

涙が流れてきた。心に響く歌だった。

手嶌さんの歌をYou Tubeで探し、手嶌さんが歌う「Over The Rainbow」を聴いた。

昔から大好きな歌だったけれどこれほど優しく、温かく私に問いかけてくる歌声を聴いたのは初めてで

また涙が出た。

哀しくて、切なくて、苦しくて暗闇の中にただ1人ぽつんといるようなそんな私にオレンジ色の光が差し込んできて

まるで小さな私が母と父に手を繋いでもらい、夕日の中を歩いているようだった。

懐かしくて優しい気持ち。

私ものんにこんな気持ちを持たせてあげることはできるのだろうか?


今私にはのんがいて、主人がいて、新しい家族がある。

残された者の哀しみと寂しさをいつも一緒に乗り越えようとした大好きな大切な1番上の姉がいる。

血は繋がってないけれど妹のように大切に思う人もいる。

多くはないけれど友達もいる。

そして見上げた空にはきっと父と母と2番目の姉もいる。

まだまだ寂しさと哀しみから抜け出すことはできないけれどいつか私も虹のかなたに向かって歩いていきたい。



風を感じながら暑い日差しの中、のんを自転車の後ろに乗せ

大きな公園に行ってきた。

今年は夏を感じることができなかったから、

セミの声も何だかちょっと懐かしかった。


その公園はお父さんと一緒に行った事がない公園なのになぜかお父さんの事ばかり考えてしまった。

病室から一緒に眺めた景色、ベッドに並んで座って見た高校野球。

あの時お父さんの目はほとんど見えていなかったかもしれない。でもきっと一緒に同じもの見ていたよね。

一瞬だったけどその時は穏やかな温かい空気が流れていたね。

きっとこんな風に何をしてもどこに行っても何を聞いてもお父さんの事ばかり考えてしまうんだろうね。

もしお父さんが生きている時にこれほどまでにお父さんのことを考え、思えたなら・・・。

亡くしてからどれほど自分にとって大切な大きな存在だったのか気づくなんて本当にバカだよね。