JUNK DO -19ページ目

「社会人」としての意識

(´・ω・`)

老若男女いずれにも、あまりに「社会人としての意識」が低くて、見ていると半笑いになるような人がそこら中に無数にいる。(笑)

笑い方、歩き方、話の仕方、お店に入った時の振る舞い、喫煙者であれば煙草の嗜み方、上戸であればお酒の飲み方…あらゆる場面で、
「自分が誰かを見るのと同じように、自分自身も誰かに見られている」
という当たり前の事に気づけない可哀想な人達。

あとは、奇を衒うのが、格好いいと思っているかのような、可哀想な人達。
(「傾く(かぶく)」のは自由だけれど、鏡を見て、似合っているかどうか考えたら?)

そうした人達は、私の大事な人生の師。
「ああはなりたくない」
という気持ちが、私を磨いてくれる。

外見も、内面も。
自分自身を、どこに出しても恥ずかしくない紳士淑女に仕立て上げるのは、生きている楽しみの一つだと思うの♪

七夕

七夕は私にとって、とても重要な節句。

別れた夫との結婚(入籍)記念日もこの日。

今年は色々とイベントもあるし、大切な人達を招待するべきか否かで悩み中。
まぁ、以前書いた「不惑の坊ちゃん」が確実に出没する所へ、大切な人達を不用意に近づけたくないので、今年は何も言わずにおこう。

もっともっと、私は私を研ぎ澄ませ、練り上げ、引き伸ばす。

生半可な馬鹿共が、声もかけられないような、邪悪で図太い女になる。

「ねばならぬことはなにもない」

タイトルは実家の母の教えの一つ。

気負うのはいいが、自分が世界の全てだと勘違いすると、失笑を買う、という意味にも取れるな、と、最近思う。

自分自身は自分の認識し得る世界の中心だが、自分の認識し得る世界の狭さに気づけないままは、つまらないだろう。

たとえ空の青さ、深さを知ろうと、井の中の蛙は所詮井の中の蛙。
大海の鮪にはなり得ない。

まずは、自分が何をどれだけ知らないのかを知り、その上で培ってきたものを愛おしむ…それこそが、世界の欠片であり、中心であり、同時に世界を内包し得る個存在としての、自覚した人間の醍醐味ではあるまいか。

…まぁ、そんな世迷い言も、基礎教養が無ければ生まれないのだ、と、様々な場で教えられたものだ。(苦笑)
教育を受ける機会を得られなんだ人、自らその機会を放棄した人は、哀れである。
学ぶ方法を知らぬ人は、経験以外で世界を認識出来ず、自らの無知に気づく事すら出来ないのだから。