自分を変えたときの話
小学校3年生の夏に父が闘病の末亡くなり
それを皮切りにしたかのように
帰宅すると幾度となく我が家に来るようになった叔父(母方の親戚)による性的嫌がらせ
学校では特定の男子による足をガンガン踏まれたりするイジメ
夜は眠れない見えない存在の訪問で
私は堪えられなくなってしまった。
小学校後半はよく学校帰りに変態につきまとわれたことがある
中学校でも続いた
当時痴漢が流行っていて
私はよく、学校帰り後をつけてくる異様な気配を感じると
知らない家に駆け込んでは「助けてください」と
事情を説明したことがあった。
入浴中ののぞき見もあった。
お風呂に入っていると、外から手が伸びてくるのだ。
犯人は私にはわかっていた。
それをいうと、村八分にされそうだったから言わなかった。
それくらい、影響のある大人の男性だった。
そんなことがつづくもんだから・・
私は一向に気が休まらなくなってしまった。
宗教の強制的勧誘
母親は宗教に依存していた
「拝めば直るから・・」といった言葉を再三聞くと
「そんなことあるわけないでしょう」と私は思った。
現に一向に私の身の回りで起きていることは変らないから・・
父が亡くなってからは母も大変だったから
私は最初何も言えなかった。
だけど現実は変らない
自分じゃどうすることもできない次々とおきる現象に悩まされた
当時は小学校の子供だったので
どうすることがいいのかがわからなかった。
誰に相談してもいいのかわからなかった。
だから、ひたすら我慢し続けていた。
堪えないと生きていけないから・・
母親に心配かけるから・・
そして、ある時
何とか自分をコントロールする為に
歌を唄いまくって気分を発散させたのである。
最初は学校帰りに歌を唄って帰った。
そのうち自宅で炬燵の上にあがり、好きな当時のアイドル歌手のレコードを流し
それに沿ってうたいきるのだった。
叔父が来ない日は何だか察知できるので
こういう日はどうやって逃げるかを考えた。
で、だんだん歌を唄うことに情熱が出て来て
次第に自分らしさが出てきたのだった。
本来の負けず嫌いという性格・・
はっきりモノを言う性格・・
嫌なものはいやだという性格・・
なのでいつの間にか母親には叔父の事を告げた
叔母の事も確かこの時に暴露をした。
母親はショックだっただろう・・
電話越しに母は叔父を叱った。そして叔父の母親である実姉に事実を伝え
少し関係性が悪くなってしまったらしかった。
でも、本当の事だったので、私は母親には申し訳なかったけれど
おかげで叔父は我が家を出禁になり
二度とあの嫌がらせは受けなくなった。
学校では私ばかり標的にした特定の男子は転向した。
後に分かったが
彼の家も複雑だったらしい・・
その影響もあるのだろう・・、鬱憤を晴らすために
何も言わずただじっと我慢している私が疎ましかったのだろう・・
だから標的にしたのだろうと思う。
いずれにしても
子供の頃の環境は親次第というところがある
でも親だって忙しい
親も今を生きるので精一杯だ
ましてや子供を抱えて女一人で生きていくという道だからこそ
当時田舎で不便極まりない場所に住んでいたからこそ
母親は本当に大変だったと思う。
自分だけが大変じゃなくて
自分以外の人も又
それぞれの場所で大変だからこそ
どうやって生ききるのかは
本人次第しかないということで
子供にもそれがいえるのだろう・・
だけど私は少しいいたいのは
子供の頃はどうしようもないのだ
どうしようもない環境なら
それに殉じて生きていくしかないのである
子供に一人で稼いで生きていく・・というのは
酷な事だと思うのです。
今の後期高齢者の方々の世代では
そういった不遇な環境でも一念発起で大成されるかたもいるが
そういった環境をバネにできる人もいますが
自分でできることと
その子ができることは性質も性格も環境要因も違うので
当てはまらないでしょう。
願わくば
親が子供にできることは
なるべくなら一緒にいること
そして
あたたかく見守っていくことそれだけであると思う
そこでモラルというか
倫理観というか、
人として生きる上で一番大切なこと
「ありがとうございます」「ごめんなさい」が言えるのか否か
困っている人に手を差し伸べられる人になるのか
困っていても手を差し伸べられない人になるのかは
親の背中を見て育つ
本当にそう思うのです。
私は子供を育てられなかったけれど
人の子でも、そういうことが言えない子をみると言ってしまいます。
それが私の欠点でもあり、利点でもあるのですが・・
また子供には
親に否定的なことをいわれることも辛いだろう
親に差別されたり虐待を受けたりするのは想像を絶するけれど
そういう親は親の事情でそういう未熟な親になっているのだから
自分以外の人間は変えようがないのだから仕方がないのです。
こういった体験経験をしてくると
自分の成長段階にどれだけ影響があったかと考察すると
実になるほど‥と言った具合で大人になってからも
その影響がいろんな形で出てきたのだとわかりました。
摂食障害もそう
自己否定観や他力本願もそう
自分に起きてきた心身の不調も
社会で生きていく間に起きるトラブルや原因も
ここが全てな気がします。
そして
だからすべてを乗り越えてまた新たに課題があるのは
自分に焦点を合わせて生きたかではなく
今度は自分以外に向けて私ができることを
私は私が語れる資格の中でどのように伝えていくのか、
助けていくのかは自分の中の名前にあるのです。
光珠の煕は成長の木
自分の名前にあなたの使命の鍵が隠されている
あなたの本当の使命を見つけるのは
この光珠の煕であると私は確信しています。
宿命は変えられません!
でも
運命は変えられるのです!
たとえば
過去で教えていただいたスピリチャルな技術では
宿命自体を変えること(プログラムによる影響)は出来るかもしれませんが
とりあえずは
いまを変えることができれば
おのずと変化変容してきますから
起きる現象も変わるので
それは土台をちゃんと作った上で
基礎を作ったうえで構築しないと
上ばかり見ていては、簡単にくずれてしまうのです。
なので
スピリチャル難民になってしまっている方々や
自分の運が今一つというところで伸びない人
頑張っても頑張り切れない人
自分の使命がわからない人
自分軸が一向に整わない人
運命を変えたい人に
この光珠の煕は必要です。
あなたの土台・基本を作り上げ
貴方がやがて大輪の花を咲かせられるようにしていただきたい
それが私の願いです。