ライオンズゲートが一番開くと言う8月8日は数秘で考えると21となるのですよね。実はこれ前回のブログで書こうかなぁ~と思ったのですがなんだかのんさんが書くのではないかなぁ~という気がしまして。はい。不思議なんですが。私が書くよりのんさんが書いた方がいいなぁ~なんて思ったのです。勿論書くかどうかはわからないので書かなければ今日書くつもりでした。このブログがUPされた時、あぁ書いてくれたなぁって思ったんです。不思議ですね。グラサン

 

 

のんさんは新月の願い事書けたのですね。

私はなんだか書くことが出来ませんでした。最近少しぼんやりとしている自分がいます。何がしたいのか。どうしたいのか。いや、その前に自分は一体何モノなのか。どこに行きたいのか。どこに向かっているのか・・・・・

 

なんだか自分の心が決まらないのですよ。軸がぶれると言うよりは軸が無い感じです。それなりに毎日は充実もしている。だけれどもなんだか心もとない感じなのです。そんな感じで3連休の最後にTVをつけると「バケモノの子」がやっていました。

 

私はこういうちょっと自分がここに居ない時というのでしょうか?上手く言えないんだけれど・・・いるんだけれどいない時(わからないですよね。これ)ってものすごく本を読んだり、映画を観たりするんです。なぜかはわからないのですけれど一種の現実逃避かもしれないですね。本の中や映画の中に自分の思考を逃がすと言う感じ。

 

せっかくエネルギーが溢れているこの時期に私はひどい頭痛と「自分」がわからないというそんなぼんやりとした時間を過ごしております。

 

そんな3連休の最後に私のところにやってきた映画(というかTVから勝手に流れてきたという方が正しい)は「バケモノの子」これ映画館でも観ました。

 

 

映画の中には渋谷の街並みが出てきますが、この描写がリアルですごいんです。あ!これあそこかな。。と思いながら物語に引き込まれていきました。何度も観てるのにニヤリ

 

渋谷のある路地を入ったその奥の奥・・・そこにあるのはバケモノの世界「渋天街」

渋谷のそんな路地裏で行き場を無くし、大人に不信感を抱く少年はバケモノの熊徹と出会い、その後を追ってバケモノの世界へと迷い込んでしまうのです。そして少年は強さを求めて熊徹の弟子となり、九太という新しい名前をもらいます。

 

ひとりぼっちの九太とひとりぼっちで生きてきた粗野で不器用な熊徹


上手く自分の気持ちを言葉に出来ない二人の共同生活

 

最初はぶつかり合うものの月日が経つにつれ、2人の間には親子のような絆が生まれていくのです。

 

九太が17歳になった時、偶然から渋谷の街に戻ってしまいます。

そこで楓と出会い、学ぶことの楽しさを知り九太は自分が本当に生きるべき世界を模索し始めるのです。

 

ここから話は大きく展開していくのですが、この映画には「人間はひ弱な故に心の奥に闇を宿らせる」という言葉が何回も出てきます。

 

ここで言う人間の心の闇とは何だろうかと映画を観るたびに考えます。

 

映画の中で「心に闇を宿すのは人間だけ」というセリフがあります。という事はバケモノは心に闇を宿すことがないということなのでしょうか。

 

そう思いながら観ると、物語の中のバケモノの世界には様々なキャラクターが存在します。多様性の世界なんですね。どのようなキャラクターであったとしてもそれぞれがそれを受け入れている。他の人がどうあろうと関係ない。自分は自分そう思えることがどんな時でも自分を見失わずにすむことなのかもしれないと思いました。

 

そう言えば九太は熊徹たちと各地の宗師を訪ね歩く旅で、さまざまなかたちの「強さ」のヒントを知ることになります。価値観の多様性という事を学んでいくのですよね。

 

自分を受け入れ、そんな自分を受け入れてくれる。居場所のあるところにこそ「本当の自分」がいるということなのでしょうか。

 

うーん・・・・「居場所」を探しているのかな・・・私は



そんなことを思った3連休の最終日でした。

 


 

 

 今週も楽しくいきましょう。

魔女になるのも大変だJun-JUNON