伊勢湾をカヤックで横断した。


当初は知多半島~渥美半島を抜け伊良湖水道を通って鳥羽にいくコースを検討、しかし決行日は、波風ともに悪かったので、伊勢湾の中央部横断に切り替え家康が渡った伊賀ルートに注目する。風向き駐車場や撤収を考えて、伊賀ルートの逆を行く



常滑市チッタキャンプ場にて車泊。



前日、大型船が渋滞をなし、ひっきりなし通りまくっていてやる前からネガティブになる。緊張のため眠りが浅かった。


キャンプ場オーナーが早朝、わざわざ来てくれて見送ってくれた激励してくれた。

しかし、大型船がひっきりなしにバンバン通るルートで出港前なのに戦意喪失





大型船の通過時間間隔が結構せまいので、正直出艇決心がつかない。行けるのか?行けないのか?悩んでいても仕方ないので、行けるところまで行こうと決心し出発。


セントレアは羽田の離発着数ほどではないが、飛行機の着陸の様子が間近でみれた。

若干のうねりと波はあるが、それほど抵抗は感じない。ひとこぎで結構進む。


どんどんこいでいたら、セントレア沖にいたフィッシュカヤックが「おいおい、何しとんねん!!どこいいくねん!!」というような感じでずっとみていた。


昨日からパターンをみていた。

港に入る大型船が多いが出てくる大型船は少ない。走行中の大型船がいきなり停まる、準備を整える動き出すパターン、そのまま停泊するパターンもある。

湾内は停泊中の大型船が多い。一瞬通過するのが緩む時間がある。その瞬間に逃さず一気に横断しよう思う。


まずは、セントレアから西側にある赤い浮標を目指す。浮標は漁場のようで漁船がいて、さらに奥の航路の側にも漁船多数いて、漁船のいるラインはひとまず大型船が通過しない目安になるので少し気持ちが楽になる。

浮標を通り漁船を通り過ぎ航路に入る。

声をあげながらフルパワーで漕ぐ。

KEEP WEST!




1隻ひときわ大きな大型船くるのでスピードを緩め、進路を確認、目の前を通過、スピードをあげずやり過ごす。

航路横断中、なんとうねりと波が消え凪になる。天は我に味方する!!


遠くに見える大型船と大型船の丁度中間にあるかすかにみえる灯台らしき白い物体を目安に進む。


航路を抜ける。衝突のリスクが一気なくなったもので気持ちが凄く楽になった。

凪状態なる。

大型船が多数停泊する場所があったので間近まで近づき見学。




調査船、自動車を運ぶようなフェリー、など様々な種類の船があった。


調査船の乗組員がこちらに気がつき手を降ってくれたので嬉しくてこっちも手を全力で振る。







浜辺が見えてくるが着岸せず、鈴鹿市の楠漁港に入り、浅瀬になったので下船し歩いて貝のからで船体を傷つけないようにヘドロまみれなりながら、着岸進みゴールとした。


伊勢湾横断コースは、大型船の通過がなければうねりや波もほぼないどおって事ないコースに思えた。

だが、航路通過時はまるで、初代ファミコンのゲームいや、超アナログのゲームウォッチの簡易障害物回避ゲームのように轢かれないようにひたすら大型船を避けながらつき進むような展開で、ゲームなら3回失敗できるが、こっちは1回の失敗は死を意味するのでひたすらBボタンダッシュを余儀なくされ緊張した。


本がもう少しで出版します。
軽く動画とプロローグを載せておきます。動画QRコードあり写真ありの盛り沢山の本となっています。是非是非買ってくださると嬉しいです。







 【プロローグ】
北極圏に隣接する北緯63度、酸素が平地の2分の1、高度6000m、気温マイナス30度に強風…

『ハアハアハアハア…』

しかも、前はホワイトアウトで視界が5m位しかみえない。

空気が薄く、数歩く度に心拍数が上り呼吸が早い。私は、たった一人でホワイトアウトの中、山頂を目指し歩いていた。

『もう体力も限界だ、充分やったじゃないか?これ以上行くと本当に死ぬかもしれない。撤退しよう。生きて日本に帰ろう。』そんな心からの声がした。

引きかえそうとアタックキャンプ側に足を向けた瞬間、私に呟くもう一人の自分がいた。

『また、辛い事から逃げるのか、壮絶ないじめを受け落ちこぼれ、ずっとくすぶり続け負け犬のままで終わっていいのか?社会でも負けて、山でも負け、また逃げて生き恥をさらしたままでいいのか?
プロも躊躇するデナリで、単身でのデナリスキー滑降に挑戦し生還する。それを遂行する事で自分を変え、誇りを取り戻そうと誓ったじゃないか?この十年すべての欲を捨ててこれに賭けてきたじゃないか!!』

でも、天候が崩れたら確実に死んでしまう。自分の中で葛藤がはじまった。
そう、これは我が人生を賭けた絶対に負けられない戦いでもあったのだ。


2年もかかってしまいましたが、ようやくようやくつむぎ書房より私の本が発売となります。なので簡単ながらこの場をお借りして私のプロフィール的記事を書かせてもらいます。本の方も是非是非よろしくお願いいたします。
【経歴】
小学生の時壮絶なイジメにあう。(殴られ蹴られるのはもちろん。プロレス技で首をしめられ何度も失神。虫を食べさせられたり、裸にされ全員の前で辱しめも受ける。熱した鉄を顔につけられ今もその傷は残る。)
兄は地元で神童と呼ばれてるくらい秀才(その後、東○大に入り建築家になる。)で親や教師の感心や期待は全て兄にいく。親からも虐待を受け、心が完全に折れ自殺を考えるも踏みとどまる。引きこもりの完全な落ちこぼれになる。その後、なんとか三流大に入学し留年し5年かけ卒業。
時代は、超就職氷河期…企業就職ももれて外れクジ的なダーク企業やブラック企業を転々とし激務を10数年間こなす。
就業中、過労とストレスなどで大量下血し緊急入院し、その後復職も会社に数ヶ月間給料も未払いにされあげく倒産し、ホームレスになる。その後友人宅に居候後、お金を溜めてアパート借りる。


【ブラック企業勤務で過労で下血し緊急入院】

駅のチラシで見た富士山ガイドツアーに何となく参加しなんとか登頂。山頂で何故か涙が止まらなかった。


 【涙が止めどなく溢れる】

それを機に、取り柄もなく怯えて逃げてばかりの弱い自分を変えたいと、精神的肉体的に自分を徹底的に鍛え直し、100キロマラソンやトライアスロンや10キロ遠泳など積極的に体力系レースに参加しまくる。自分にとって憧れだった植村直己さんの眠るアラスカ北米最高峰のマッキンリー山頂からスノーボード滑降を志として突き進む。

【体力系レースに出場しまくる】

【自転車でも海外挑戦を目指す】
【クロスバイクでトライアスロン参加】
【カヤックでもトレーニング。海外遠征を狙う】

それでは物足りず山や海に繰り出し自転車やカヤックや登山もはじめる。初心者スクール通学の費用のお金がないので図書館で借りたスポーツ参考書を、白黒コピーして持ち歩き、現地でそれを見ながらトレーニング続けてスキルを上げる。平行し大学時代にかじったスノーボードを背負って国内の上級者バックカントリー雪山登山ルートを一人で登り滑りまくる。何度も遭難し死にかける。

【国内難関コースで何度も遭難しかける】

(・御嶽山滑降中、積雪した沢に深く脱落し閉じ込められる。・吹雪の安達太良山山頂でGPSがまさかのバッテリー切れ、完全にルートを見失いさ迷う。・穂高岳で雪崩に巻き込まれる。雪崩にのまれ流される。・冬富士山でスノーボード滑落中滑落し危うく死にそうになる。)数々の困難に打ち勝ち、日雇いバイトなどで稼ぎボロアパートに1ケ月食費1万円生活をしながら徐々に資金を集めていき40歳を過ぎて満を持して海外に遠征にいく。
2014  ヨーロッパ最高峰エルブルス    (5642m)登頂【自身海外登山初登頂】

2015  タクラマカン砂漠自転車南北縦断(ホータン~コルラ1000キロ)【シルクロードの砂漠を走る】

2016  カナダ  テズリン川~ユーコン川ドーソン785キロカヌー行

【テズリン~ユーコン785キロカヤック行】

2017  アジア火山最高峰ダマバンド(5671m)山頂スノーボード滑降          (日本人初滑降)


【アジア火山最高峰ダマバンド日本人初滑降】

2018
スノーボードでの登山の限界点を感じ、スキーでの登山へシフトチェンジ。全くの0の素人から冬の富士山に籠り山岳スキーをトレーニングし直す。


【スノーボード登山からスキー登山へフルモデルチェンジ】


【富士山で山岳スキーを0からトレーニング】

同年5月 
イラン山岳スキー遠征 
ダマバンド5671mスキー滑降 
ガードンクー4400m山頂スキー滑降 
アラームクー4850m山頂スキー滑降 

【ガードンクー山日本人初滑降】


【アラムクー4850m日本人初滑降】

【前年同様スキーでも滑降】

2019
ファミレス冷凍食材ピッキングの仕事を中心に-20度の冷凍室内の仕事の日雇いを重点的にし、体を寒さを慣らしアラスカに向かう。
同年5月 北米最高峰アラスカ 
   デナリ山頂(6190m)スキー滑降

【夢にまで見た念願のデナリ登頂滑降だった】


ボロボロになりながら単身で何とか登頂。その後スキー滑降するも、6000m地点で日没でルートロストしてしまう。その場でノーテントで立ったまま緊急ビバークを敢行。-35度の冷気に長時間さらされ、右手と右足に重度の凍傷を負い真っ黒になり、緊急帰国し入院する。切断は免れたが、右手人差し指や中指に障害が残った。

【ビバークの代償】

2020
日雇いの職場で落ちこぼれ中年の星として崇められる。その後、ヒマラヤ8000m級峰スノーボード&スキーの二刀流無酸素ソロ滑降を計画するが、コロナ渦で中止を余儀なくされる。
2021
結婚、義理の息子と娘が結婚しいきなり2人の孫ができる。
2022~
アウトドア離れした若い世代や普段自然に接する機会が少ない方々に、興味をもって貰い裾野を広げたい。そんな活動がしたいと考えアウトドア指導員資格を多数取得し講演会などを開催しアウトドアスクールも起業。自分のような落ちこぼれ達の足元を照らし自信を取り戻すための正しい方角に導く誘導灯になるべく只今伴走中。
2024
つむぎ書房より商業出版で自伝本出版予定