正解はない
自分の意見や考え方
正解ではないが自分のことだからこそ自分が信じなければいけないと思う。
まぁ自分の行動や考え方に常に疑問を持て!っていう思想もありますが・・・・・・
今回はそれは置いておいて、
ふと考えたのは
教育ってなんだろう
学校ってなんだろう
学年ってなんだろう
クラスってなんだろう
先生ってなんだろう
社会ってなんだろう
ほかにも色々なことに関してなんだろう
つまりはそれの存在意義、定義に関心を寄せたり疑問をもったりする
冒頭の正解はないというのはそれについて
書きたいことはみんな色々な意見を持っているし国家としての方針もあるということについて
しかし今考えついたのは
正解なんてないのに
不正解、間違っているかもしれないのに
何故その考えを信じ行動できるのかということ
どっちから書くか・・・
まずは人それぞれ色々な意見があるということから
そこから正解云々へつながればいいとしよう
人にはいろいろな意見、考え方、思想がある
それは間違いない
その場で思いついた意見もあれば
普段から根底に持ち自分の活力の源とするものもある
それぞれ最大で人の数だけ意見がある。
では最終的に行動した時に基づいた考え方は・・・?
面白い考え方もある
しかし現実世界で実際に行動するには奇抜すぎたりするものもある
では最終的に人は何に基づいて意見を決め行動しているのだろう
ひとつは一般
あまりにも曖昧な「普通は」ということに頼って生きている
普通の定義なんて曖昧だ
しかし普通を外れることはその場の空気というか規律、雰囲気を損なうことがある
そこから外れないことが普通となったと思う
政治の場であったり、国家単位での決め事には偉い政治家であったりその集団がその「普通」を決める
ここで私などの一国民が急に
「教育とは~~~である」
「こうすべきだといったところで」
それがどういう経路であろうとその決定機関に入っていくのは想像もつかないくらい後のことであろう。
では今現在私たちは何に従って自分の行動の根底を決め生活、行動しているのか
行動するのは良いことだ
立ち止まっていても
いや立ち止まって得られるものよりも自分から積極的に動いて得たものの方が
得るものの大きさ、価値、その他何かしら追加で得るものがある
これは間違いないと思う
ではどう動けばいいのか
何を思い、考えそれに基づき動くべきなのか
この話、考えの中で
直感的な行動は抜きにして話を進める。
すべてが直感的というのはありえないからだ
すべてが直感的ならばその直感的というものがその人の中での一つの大きな幹であるからだ
それに尽きずとも劣らない
いくつもの考えがありそれにはどれ一つとしてこれに統一すべきというほどの決定的な良い面であったり
正解はない
そんな曖昧ななかで何故人間は生きられるのだろう。
自分が生きていることに強い疑問を抱く必要はないが・・・
人に迷惑をかけたと思うときにこんなことを思う
軽視したようにも見えるように書いたがこういう時は直感的に行動することも必要でありあるべきなのかもしれない