僕はこの一連の経験を通じて何を学び取る必要があったのだろうか。毎日お金のことばかり考え、毎月、支払いが近づくと頭がおかしくなり、独り言が多くなり、自分からお金を奪って行く人間達がいなくなってくれはしないかと祈り、僕をこのような状況に追いこんだ詐欺師達への復讐を夢見、自分のこの状況の影響で振り回してしまった家族を想い、苦しみ、涙を流し、心の中で必死に謝り、過去の幸せな日々、弟と毎月飲みに行った安い居酒屋、親父と飲んだ日本酒や焼酎、母の料理、飼い犬との散歩、彼女との幸せな日々やゲーム機を買ってくれた兄、みんなの笑顔が自然と溢れ、戻れない日々に苦悩し、怒り悲しみ祈り苦しみ、そんな感情の混沌とした混ざり合いを感じ尽くし、そして、明日にはきっと状況が変わるだろうと日々信じたが、結局実現せず、この苦しい日々がいつまで続くのかと暗い気持ちになる毎日、そこから何を学ぶ必要があったのだろうか。
今、1冊の本を読み、なんとなく、この日々の意味がわかりかけてきた。
正直、今、自分が一番望んでいることは、家族や恋人へ影響を与えない形での死だ。
死こそが自分のこの苦しみを解放してくれる唯一の手段だと考えている。死ねば何も感じる必要がなくなる。もしかしたら死の直前の苦しみなんて、今の状況から考えるとむしろ気持ちが良いくらいのものなのかもしれない、そんな風に考えている。こんな苦しみが続き、前が見えず、自分が悪い面も当然あるとは思いつつも、やはり騙し、裏切っていった人々を恨み、しかし、恨むだけで実際の復讐なんてやることができず、前も見えず、何をしてもうまく行かず、家族に心配をかけ、いやそれ以上に家族の期待に答えられず失望させた、こんな人生を送り続けるくらいなら、いっそのこと、終わりにしたい、その方がこんな現実を続けるよりはどれだけ楽か。そんな風に考え、きっと死というのは自分のこの苦しみを解放してくれる一番の手なのではないか、そんな風に考えている。
それでも、この体はおそらく簡単には死なせてくれない。
自分の腕には10cmほどの縫い傷があるが、そこには数本の毛が生えている。おそらく自分の体が、強烈な深い傷に対し、これ以上傷が増えるのを防ぐために防衛反応として、毛を生えさせたのだと思う。傷の部分以外には産毛以外の毛がない。そして、不思議なことに、私の傷があるのは左腕であり、右腕には傷がない、にも関わらず、右腕の同じ部分、左腕の傷と同じ位置に毛が数本同じように生えているのだ。おそらく体は左腕に起こった事象は右腕にも起こる可能性があると考え、これもおそらく防衛反応として、右腕にも毛を生やしたのだ。
こんな体である。
自分がいくら死のうと思っても、こいつはきっと逆にしっかりと力強く自分を守る。どうにかして生かそうとする。
自分の精神上は死にたいと考えている。そのために自分で死を強制的に選択してもいい、むしろその方が心地よい、その方が楽だとすら考えている、そうであるのも関わらず、この体は僕の精神状態とは全く真逆の行動、しっかりとこの体を守り、全力で死を免れようとするだろう。さらには、傷が治った後にはもう一度同じことを起こさせないように、その部分を守る施策すら打ってくるだろう。
こんな体である。
自分が如何に死のうと思っても、簡単には死なせてくれない。
こんな体、どうして自分の勝手な想いで破壊することができようか。
この傷は僕が以前いじめに会い、同じように死にたいと考えていた時期にできたものだ。この傷は自殺痕ではない。友人につけられた傷だ。
不思議なものである。過去死にたいと考えていた時期にできた傷、おそらく、今と同じようにその友人を恨んでいた時期にその友人につけられた傷が、今、まさに同じように死にたいと考えている時にふと目に入り、死ぬことは容易にできないことを思い出させる。
人生とは実に不思議なものだ。
そして、これらのことから、自分が今の境遇から何を学ぶ必要があるか、それを考えると、一つの結論が出てくる。
自分のゴールは死ぬことなんだ、と。
自ら自分を殺すことなく、自然な形で、いや不自然な形でも、自分の意思とは無関係な形で死ぬこと、それがゴールなんだ、と。
自分を騙したり、裏切ったり、傷つけたり、そんなことは決してしてはいけない。そんなことをしたら、自分が結局、自分を裏切った奴らと同じになってしまう。そんなのは死んでも嫌だ。
だから、自分を裏切ることなく、生き続け、這いつくばってでも生き続け、それで手に入れた死、それが自分にとってのゴールだし、生きる意味なんだと思う。
そう考えると、この考えを持てた自分は相当に幸せなのだと思う。
だって死が怖くないのだから。死ぬことがゴールなのだから。
少し前までは死とは、自分の意識が無くなり、感じることも、楽しいこともできなくなり、ただ単にそんな無感情の現実に恐怖を感じる存在、それが死だった。死を想像すると、眠れなくなり、今横にいる3人の動かない友人、この友人達がどうなるんだとか、もう会えなくなってしまうのだとか、そんなことを考えてしまい、怖くなった。
でも今は真逆である。死というものが自分の望みであり、最上級の贈り物であるとすら考えている。
そんな考え方を手に入れることができた自分はものすごく幸せなのだと思う。だって、自分の最後に最高の幸せがあることが約束されたのだから。
僕はきっと、この一連の苦しい苦悩の時期のおかげで、自分の人生の結末を幸せに終えることができる権利を手に入れたのだろう。
簡単に想像ができる。死の間際きっと僕はこう思うだろう。
やっと終わった。僕のこの苦しい人生からようやく解放された。僕は最後にして最高の贈り物を受け取ったのだ。本当にありがとうございます。
