❏戦後の科学復興
日本は戦後、理科教育に力を入れ、物資が乏しい中、復興を目指してきた。以下のサイトは、戦後、臨海実験所を破壊されないよう団勝麿博士(後の東京都立大学総長)が「最後に去りし者」と残した伝説を記している:
The last one to go

東北大学の栗原康名誉教授も戦後、顕微鏡一つで研究を再開し、墓地の花立てに溜まった雨水に発生する微生物群集を花立てを作る竹材から滲みでた成分との関係から探究を始めて、マイクロコズムという微生物の生態系として体系化していった。栗原先生から1983年頃、私が特別集中講義で直に聞いた話である。

❏科学教育の回帰
下の画像は、学習研究社(学研)に「生物研究室」が開設され、日本BSCS委員会(篠遠喜人委員長)が米国の第一線の科学者が提案した学生向けの自由研究課題集を翻訳し、「日本適用版」として1972年に刊行された1冊である。40年の歳月を経て、ようやく当時の流れに回帰しつつあるのだ。


 ↑「都立書房」にて2,400円で古書入手

❏科学の発見力と英語の運用力は同根
スーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業を通じて、科学は順調に回帰している機運を感じる。が、科学教育の"カウンターパート"(相棒)であるべき、英語教育はいかがな状況であろうか?

私が知る限り、某SSH指定校の英語での口頭発表会の演題が、"The study about..."で始まっているプログラムが改まらなかった事実を、私は危惧せざるを得ない。明らかに、これは「✕✕に関する研究」の翻訳調だからだ。これは、見掛け上は英語であっても、正しい英語表現ではない。せめて生徒が取り組んだ研究なら不定冠詞の"a"をつけ、"about"は"on"(稀にofの実例もある)と表記すべきである。だが、この種のお位牌紛いの題目の表記法は今は影を潜めた(学位論文が厳しさを演出するため日本語表題に故意に使うくらいである)。

❏英語と科学の同時学習方策
科学の探究学習の実現については、私はSSH指定校が主催する交流会を体験してみて順調に進展し、このまま軌道に載るものと一安心している。しかし、英語教育の方は如何ようなのか非常に懸念している。・・と言うのも、私の見解では、英語は科学を生んだ文化の言語であり、文系の科目というより「科学教育と英語教育は、不可分である」と確信している。

特に、科学教育は戦後の復興以降、幾度か繰り返し勃興してきた経験がある。ところが殊、英語教育に関しては、パーマー博士以降、一度も成功体験がないまま百年は経過しようとしている。むしろ明治時代の南方熊楠候の方がよほど、ネイティブと同等の英語を身に着けていた。それは学校での英語教育が果たした成果ではなく、学校での英語教育がなかったことが幸いしたのだと思っている。事実、熊楠が英Nature誌へ掲載された論文数では日本人の筆頭であり、かつ一度、英文を見たことがあるが、驚くべきネイティブと同等の英語表現をモノにしていた。私は科学とリンクさせた場合、そのような英語力を手中にすることは実際に可能であると感じている(竹内)。

-----
追記:スーパーサイエンスコースでは、英語と科学が互いにカウンターパートであることを活用し、科学に軸足を据えた「英語と科学の同時学習方策」を、この分野の先達である小澤昭弥先生(元東北大学教授)と共同で推し進めることにします。日本の英語教育の改革に依然として光明が見えて来ない懸念からの重点化策です。

なお、「英語と科学の同時学習方策」プログラムでは、文系3年生の暮田佳薫さんにも参画して戴き、有効性を検証していきます。既に暮田さんは人類大移動(グレートジャーニー)と言語及び文化との関係を論じる英文エッセイ・ライティングに着手し、好ましい成果を出しています。

暮田さんの文芸賞への応募作品の進捗状況にもよりますが、明日以降のブログ記事の執筆予定者が生徒か教員かは現時点で未定です。生徒の負担になるようであれば適宜、教員が担当します。