「9時ぐらいには帰れると思うけど、はっきりしないから夕飯先食べてて」


あぁ、ダメ



そんな言い方したら困るよ



「ん?」



俯きそうになった私の頬に、彼の右手が添えられる



「なるべく早く帰るから」



私が寂しいと思ったのかな



添えられた手の親指で、優しく頬を撫でられる



そうじゃないんだよ



そうじゃなくて



靴を履いてもう出かける準備万端なのに、少し腰をかがめて私の目線に合わせてくる



そんなに広くはない玄関



そこに靴を履いて仕事に出かける彼が立っている



明かり取りの小さな窓から、朝の光が差し込んでいて



彼の整った顔を、優しく照らしている




「大丈夫。お仕事頑張ってね」



上手い言葉が見つからない



だって、なんか何を言っても…なんか…だから…



頬に添えられていた彼の手に、少し力が入り



私は顔を少し上げさせられる



「ん…」




小さな音を立てて、唇が離れる




思わず自分の口を押さえてしまう




「んふふ。真っ赤」



「准くんだって、耳」



ふはって笑い声たててから、いってきますって出かけていった



私は彼が出ていった扉を見ながら、その場にしゃがみ込んだ



視界の先には私のローヒールの靴



その横には彼のスニーカーと革靴



もう無理




にやけてしまう



ニヤニヤニヤニヤニヤニヤ



帰りの予定とか、早く帰るとか、




いってきますのキス




とか



幸せなことしかないんだもん



あぁ、頬から溶けてしまいそう