明日は、ある先生の一周忌をかねての偲ぶ会が大宮で開かれる。
もちろん参加する予定であるが、今思い返しても、早すぎる死であった。
おそらく、その先生からは「生意気な野郎」だと、私は思われていたに違いない。
よくその先生には、歯向かうこともあった。
けど、それは「先生」という存在でありながら、言いたいことが言える人であったからである。
あるとき、歴史解釈をめぐって少しだけ議論したことがあった。
その後の食事の際に、「今日、○○○君と喧嘩したんだよ」と笑顔で他の方に話していたが、
非常に楽しかった。いい思い出である。
2009年に身内にいろいろなことがあった時も、親身に話を聞いてくれて励ましてくれた。
今更ながら、器の大変大きな方だったと実感する。
それを思うと、今このブログを書いていて、自分の器の小さいことを恥じている。
以前にその先生からもらった本の冒頭に、
ある学説に関する理解を福島の安達太良への登山とかけて、ある学生が書いた一文があった。
書き手の「ある学生」とは、その先生である。
さっき改めてその一文を読んだが、今の自分の心境に近いものを感じ、思わずジーンとしてしまった。
昨年2月に先生は亡くなり、その一か月後くらいにあの震災が起こった。
福島に縁があったその先生は、元気であれば今の状況をどう話されるのだろうか?
それを聞いてみたいと思わせる今の社会状況、
そして聞きたい人に聞けない状況が残念で仕方ない。